第92話「それが、彼の最期の言葉だったわ」



 ねえもう夏が終わるのだけど?


 私は苛ついた様子で腕を組み、指を二の腕にトントンとしながらベッドに座っている。

 時計の針を見れば夕食も終わり、各々が自分の好きなことに費やす時刻。ここが過ぎれば、最早明日の始業式に備えて早めの睡眠に入るところだ。


 つまり、仕掛けるなら……今しかない。


「なのに……!」


 あのおバカは何をしているの!


 今年の夏は本当に特別なものになった。

 実家から島流しの憂き目に遭い、いよいよ進退窮まった……そんな時、私は彼と運命的に出会った。

 強がる私の孤独を見抜き、だけど決して馬鹿にしたりせず、むしろ尊重してくれる彼。

 そしてその哄笑と共に、眷属になってくれた……愛しいヒト。私が初めて、恋をしたヒト。

 そこからはもう怒濤のような日々で、今までの生活が嘘だったかのように、楽しかった。

 デートをし、憧れだった遊園地にも行き、キスも交わした。

 元気でどこか憎めない、ライバルだけど内心認め合う友人もできた。

 ……私は、この夏をきっと一生忘れないだろう。宝物のように煌めく思い出を、この胸にずっと抱いて。


「でもね……夏はまだ終わってないのよ!」


 そう、猶予はまだある。

 この燃え上がるような夏の恋に、新たな思い出を刻む時間はまだあるのだ。

 だというのに……彼は私の部屋にやってこないのである!

 あり得なくない? 夏の最後はご主人様と素敵な思い出作りをしたいって、眷属は普通思うんじゃないの?

 ご主人様である私が……この私が……!


「こんな格好してあげてるっていうのに!」


 私は自室の姿見の前に立つ。

 そこには……かつて彼の心を狂わせたロング丈のメイド服と、昨日危うく彼を浄化しかけた猫耳と尻尾を身に付けた自分の姿があった。

 昨日の猫カフェからの帰り際、こっそりとトーカが買い取るのを見て私も買っておいたのだ。


 ……いよいよ極まってきた感じがあるわね。


 一瞬現実に立ち返りそうになったが、ぶんぶんと頭を振ってその考えを追い出す。

 考えてもみなさい? 彼自身が普通ではないのだから、普通なことをしてもなしのつぶてで終わってしまうのは間違いない。

 だからメイド服。だから猫耳と尻尾。あえてね。

 私は試すように、姿見に向かってウインクしながら、軽くスカートを摘まんでお辞儀をしてみる。はいご主人様可愛い。


「この姿を見れば、無双の戦鬼もイチコロよね」


 きっとそのはずだ。

 猫耳と尻尾では優しく抱き締められ、メイド服では押し倒されて気絶するまでキスをされた。

 ということは……?


「も、もう大変なことに、なっちゃうんじゃないかしら……」


 ポッと顔に熱が灯る。

 その“大変なこと”を想像してしまい、心臓がバクバクと鼓動を早めた。

 お、落ち着きなさいリゼット=ブルームフィールド。

 淑女がそんなこと期待してはダメ。これはそう、日頃の献身に報いるための、ご主人様の慈悲なの。ご主人様の務めだから仕方なーく……そう仕方なーくしてあげてるだけなの。


「それにいざという時のために、オーダーはまだ残してあるし」


 ほら、リスク管理きちんとできてる。

 彼が私の姿を見て暴走しちゃったら、問答無用で止めることが出来る手段は残してある。これで安心。

 で、でもよ……? もしいきなりキスで唇を塞がれちゃったり、別の何かに夢中になっちゃって何も考えられなくなっちゃったりしたら……その時は、ま、まあ、仕方ないわよね? うん。

 だからこれはご主人様からじゃなくて、眷属が暴走した結果なの。

 決して淑女である私から彼を求めてるんじゃないの。そこのところきちんと分かって欲しいわよねー?


「そ、それに……」


 私はポケットに忍ばせた最終兵器にそっと触れる。それだけでもう、頬が熱で蕩けてしまいそうなくらいの羞恥に襲われた。

 ほんっとうに恥ずかしかった。わざわざ変装をして、近場ではなく遠くのコンビニにまで買いに行ったのだが、キョドった私を見る店員さんの生暖かい目がいまだ鮮明に思い起こされる。

 通販で買うと履歴が残るので嫌だったとはいえ、我ながら一生分の勇気を振り絞ったように思う。


「うぅ……」


 それは幾重にもつづら折りにされ、派手な色のビニールに包まれた掌サイズのもの。

 いわゆる、その……でっ、できちゃわないように、する、あのっ、その……男性の、大事な部分を、包み込む、的なっ? やつ……。


「あうぅ~……!」


 我ながらなんて物を買ってしまったのかと、羞恥に震え頭を抱えた。

 だって仕方ないじゃない!!

 彼ってそんなこと気にしなさそうだし、私だって恥ずかしいわよこんなの!!

 でも万が一! 万が一そういうことになったら困っちゃうし! 誕生日は冬だからまだ私十五歳だし! 高校一年生だし! むしろリスクマネジメントちゃんとできてるなって褒めて欲しいくらいだわ! 誰に言い訳してるの私!?


「はぁ……はぁ……!」


 そう、これは至らない眷属にご主人様が気を遣ってあげてるだけ。私、えっちな子じゃないもん。向こうがえっちなの!

 よし、完璧な理論武装。我ながら惚れ惚れする。なんて眷属思いのご主人様なの私ったら。ベストヴァンピール賞ノミネート間違いなし。


「だけど……」


 困ったことに……いや私は困ってないけれど! 彼は私の部屋にやってこないのだ。

 窓際に行き、チラリとカーテンを捲れば隣の部屋の明かりは灯っていない。この時間だと……談話室か、地下の酒蔵でワインを物色しているかのどちらかか。


「……よし」


 仕方ないわ。

 慈悲深いご主人様が、会いにいってあげようじゃない。こちらから見せびらかすのは少々高貴さに欠けてしまうけれど、ここに至っては仕方がない。

 ……別に一秒でも早く見せたいとかそういうわけじゃないのよ? 庶民はすぐに勘違いしてしまうから分からないでしょうけれど!

 私はもう一度姿見の前に立ち、スカートや白い猫耳の位置を直す。うん、変なところはないはず。この格好自体が変という意識はどこかに飛んでいってしまっていた。


「いざ……!」


 緊張に震えながらも、私は戦場に向かう面持ちで自室のドアをガチャリと開ける。ここに帰ってくる時は、戦に勝った時のみよ! 進軍!

 運命の一歩を踏み出し、リゼット将軍出陣! 勝利条件は敵国、ジン魔王に捕らわれること! ……おかしくない?

 すでにいっぱいいっぱいな私……そう、だからこそ私は抜け落ちていたのだ。


 敵国はもう一国存在し、これは三カ国間のせめぎ合いだったということを。


 廊下に出た私の視線の先。ジンの部屋のもう一つ奥……その扉が待っていたかのようにガチャリと開く。

 そこから現れたのは――


『あっ』


 互いの存在を認識し、同時にピタリと動きが止まる。

 ジンではない。そこには私の友人でありライバルである、トーカが固まっているのだが……その格好が問題だった。

 頭の頂点には黒い猫耳。身に纏うは紺色のメイド服。だが以前のよりスカートが短く仕立て直されている。彼女の活発さと魅力が引き立つオリジナルな逸品。

 ……そう、夏の最後の思い出作り。

 彼女もまた、同じ事を考えていたのだった。


「……」

「……」


 互いに無言で見つめ合い、イタズラがバレた時のような居心地の悪い微妙な空気が流れる。

 トーカは後ろ手にドアを閉めながらも、こちらから目を逸らさない。私もどう動くべきか分からず相手の様子をうかがった。

 十秒、二十秒……まるで達人同士の間合いを探るが如く、チリチリとした緊張感が肌を焦がす。


「……」

「……」


 そうしてタラリと汗が流れ落ちる中、先に動いたのは……トーカだった。


「……にっこり」


 彼女はなんのてらいも無く、まるで道端で出会った友人へ送るかのような朗らかな笑顔を浮かべ、


「っ!」

「あっ、待ちなさい!」


 ――バッと、短いスカートを翻して全力でダッシュ!!

 向かうは一階、ジンのいる場所!

 出遅れた!

 彼女は抜群の運動神経をこれでもかと見せつけ廊下を駆ける! 姿勢は前傾で身体を低くし、まるで弾丸のように標的へと向かっている!

 もたもたと走る私の目の前で、彼女は既に一階ホールへ続く大階段に差しかかっていた。手すりにぴょんと飛び乗り、その肉付きのいいお尻で軽やかに速度を重ねている。


 だけど――それが人間の限界なのよ!


 私は大階段にさしかかる手前……廊下の壁が終わり、吹き抜けとなる部分から身を躍らせた。


「ふっ!」


 木組みの柵を跳び越え、それと同時に背中から吸血鬼の翼を生やす。

 無論、服は破けたりしない。昔の吸血鬼は苦労したみたいだけれど、現代では服を破かずに翼を生やす術式があるのだ。吸血鬼の女の子が一番に習うものなのよ。


「っ!」


 トーカは階段に沿って進まなくてはいけない分、直線的にショートカットできるこちらの方が先に一階へ、しかも談話室と地下へ繋がる廊下へ辿り着く!

 フワリと羽ばたく私と、手すりを滑るトーカの視線が絡まり合う。驚愕に彩られる彼女と、不敵に笑う私。

 悪いわね、人間はしょせん地に足着けて生きなきゃいけない生き物なのよ。せいぜい重力に囚われて、彼が私に夢中になるのを見ているといいわ、ふふふ、あははは――


「ごめんなさい兄さん! 所有者特別使用権行使――“人鬼一体”!!」


 ははは……は?

 トーカが叫んだ瞬間、莫大な霊力の発露と共に二本の角が生え……彼女の姿がかき消える。

 いえ、消えたんじゃない。私の目では捉えきれないだけ!

 大階段の終わりで、方向転換のために一瞬姿が映り、また消える。壁を足場に、天井すら地とし、彼女は縦横無尽に屋敷内を神速で駆ける! ポニーテールが尾を引くその様は、まさに漆黒の稲妻!

 そうしてザザッとスライディングするように身をかがめ、一気に私が着地する予定の場所へ辿り着いた彼女こそ、勝ち誇った笑みを浮かべた。


 失念していた。

 彼女はただの人間ではない……あの戦鬼の、妹なのだ――!!


 なんということなの……彼女は彼を握らずとも、人鬼一体が出来るのだ。

 それは彼を握った年季ゆえか、絆ゆえかは分からないけれど……すごく、悔しい。


「くぅ……!」


 私は足から舞い降りる姿勢を、頭から落ちる形へと変える。

 彼を握らずに人鬼一体出来る時間は短いのか、それとも“所有者”として彼を使うことに気が咎めるのか、トーカは既に鬼の角を隠している。

 しかし、このままでは確実に彼女の方が早い!

 彼女はこちらから視線をきり、走り出すため既に身をかがめている。このままでは――!

 しかし、そんな今にも走り出しそうな彼女の頭の上に……


「あ」


 ペチリ、と。


 重力に逆らう姿勢を取ったことにより、私のポケットから落ちた物体が、彼女の頭に落ちてしまった。

 そ、それはっ!?


「?」


 不思議そうに頭に手をやり、トーカはその物体を摘まむ。そうして目の前に掲げ……


「ひゃわー!?」


 ボフッと顔を真っ赤にして……ベチャッと、走り出す勢いもそのままにこけてしまった。


『あわわわわわ……!』


 ようやく一階に辿り着いた私と、うつ伏せに倒れながら手に持った道具を見るトーカ。

 二人同時にあわあわする。

 み、見られた……! 好きな人の妹に! アレを! なにこれ、気まずい!


『……っ! ……っ!?』


 真っ赤な顔であわあわしながら顔を見合わせ、指を指し、首を振り、汗を流し……先に言葉を発したのは妹の方だった。


「ど、どどど――ドスケベさんです……!」

「だっ、なっ、誰がドスケベよ誰がー!!」


 あんまりな言い草に咄嗟に否定する。

 リスク管理だって言ってるでしょうが! 道具はまだしも、同じ格好してるあなたに言われたくないわ!


「あなただって、同じ格好してるじゃないの!」

「同じじゃありません。私の方がスカート短いです」

「そういうことじゃ――って、尻尾どこに付けてるの!?」


 倒れている彼女はスカートが捲れ上がっているのだが……私の尻尾がスカートの外側にクリップで取り付けられている一方で、彼女の尻尾はスカートの内側に取り付けられていたのだ。

 その結果、彼女のただでさえ短いスカートは内側から伸びる尻尾によって持ち上げられ、少し屈んだだけでそのレースの下着が見えてしまう危うい状態だったのだ!

 ニーソとガーターベルトを纏い、スカートから覗くむっちりとした太股。そしてそこからチラチラ見えるレースの下着。そのレースも緻密で、おそらく手縫いの気合いが入ったもの。

 というか私の肌を覆うようなシックなメイド服じゃなくて、彼女のメイド服は所々改造されている。胸元の布なんて大胆にくり抜かれて、その我が儘な谷間をこれでもかと晒している。

 こんなのアウトよアウト! こんなの猥褻物陳列罪でしょ! 誰かこの妹逮捕しなさいよー!


「ああああなたの方がドスケベじゃないの!」

「私は自分の魅力を最大限引き出しているだけです。清純派です。こんな生々しい道具も持っていませんし」

「万一の時のためよ! それにどこが清純!? そ、そんな姿ジンに見せて、どうなるか可能性を考えないの!?」

「私、今日は“大丈夫な日”ですので」

「私のことをよくも生々しいとか言ったものね!?」


 この妹の方が余計ダメじゃないのーーー!!??

 だ、ダメ……この妹をジンの前に出しちゃマズい。夏の最後の日に考えることは同じでも、結果が私と違って危険過ぎる……!

 私はなんとか彼女を説得しようと試み、


「なんだ、騒々しい」


 試みる前に失敗した。

 もー! なんでこういう時に限ってこの子はすぐに現れるのよー!?


「ジン!?」

「兄さん!」


 廊下奥、地下へと続く石階段から影を纏うようにして現れるのは……ワインボトルをグビグビと傾ける、私達の目当ての男性その人だった。

 呑気に酒を飲むその様は、明日から高校生とは思えない。


「珍しく俺の力を使ったな、兄は嬉し――なっ!?」


 ゴトン、と彼の手からボトルが落ち、まるで血のようにワインが絨毯に零れ出る。

 しかしそんなことに気を割く余裕もなく、彼はこちらの姿を認めた瞬間、目を見開いてわなわなと震えだした。

 こ、これどうなるの……!?

 トーカもいつの間にか立ち上がっている。

 並び立つ猫耳メイド姿の二人を、視界に捉えた無双の戦鬼はどう動くの!?


「ふふ、にーいさん♪ 夏の最後の夜は、メイド刀花にゃんと過ごしましょうね? 兄さんの好きなことなぁんでもしてあげちゃいますよ?」


 先に仕掛けたのはトーカだった。

 そのたっぷりとした胸を強調するように腕を寄せ、にゃん、と妖艶に兄を誘う。

 ま、マズい……!


「だ、ダメよ、ジン! 健全に! あくまで健全に眷属はご主人様に尽くすべきよ! こっちに来なさい!」


 ギュッとスカートを握りしめ、懸命に訴える。羞恥で涙目になりながらも、ここだけは譲れない!


「兄さん」

「ジン!」


 互いに愛しい人の名を呼ぶ。

 さあ、どうするの!


「え、え……!」


 彼は私達を目の前にガクガクと興奮したように震えながら、呼気を乱す。まるでそれは導火線に火が付いた爆弾のよう。

 そしてその震えが頂点に達した瞬間――!!


「えいどりにゃーーーーーん!!」


 そう言い残し、バタリと。

 白目を向き、泡を吹きながらその場に倒れ伏した。

 とても、幸せそうで……安らかな死に顔だった。ワインの海に沈んでいるから、見た目は猟奇殺人現場だけれど。


『えぇー……』


 二人同時に困惑の声を漏らす。なにこれ。

 ピクリとも動かなくなった彼を前に何もできずにいると……トーカのポケットから着信音が鳴り響いた。こんな時に誰?


『も、もしもし。こちら陰陽局支部長、六条このはです。安綱様の反応が完全にロストしたのですが……何かあったのですか!?』

「え、えーっと……」


 トーカは困ったように笑みを浮かべながらこちらを見る。いやこっち見られても。


『安綱様に何かあったら、本部に報告書を書かないといけないのです。安綱様がロストするなど相当な神秘に違いありません……何があったのか、詳細にお願いします!』


 なにそれ新手の拷問?

 なんて言えばいいのよ。猫耳メイド姿で迫ったら死んだって? バカじゃないの……。


「ジン! こら起きなさい! ジン!」


 曖昧な反応で言葉を濁すトーカに、彼を揺さぶる私。屋敷は一層の混沌の渦に飲まれた。


 ――結局この夜、彼が目覚めたのは夜も更けた頃合いで、夏休みも終わってしまった後だった。

 この騒ぎは一体何だったのか……そう思わなくもなかったけれど、


 まあ、こういう日々が私達らしく……これからもずっと続いていくのでしょう。


 そう思い、私は疲れと、おでこに残る彼の温もりと共に眠りにつく。

 多分、明日は寝坊する。半ばそう確信しながら……。






------------------------------------------------------------------------------------------------

第二章、夏休み編終了。

ここまで読んでくださりありがとうございますー!


――いよいよ物語はプロローグに追いつき学園へ。

試される人間の善意。正しさとの葛藤……!

思わぬ過去との邂逅に、戦鬼はその果てに何を見るのか!? 真の友情とは! 学園でのイチャイチャは!?


次章「無双の戦鬼、友達できるかな?」をご期待ください!


……いや大マジですって! た、多分。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る