第60話「デビュー曲は『ヴァ○パイアガール』ね」



「いってきまーす!」


 私は玄関のドアを勢いよく開けて、キラキラ光る朝の日差しの下に身を踊らせた。


 いっけなーい、遅刻遅刻!

 私、リゼット=ブルームフィールド! どこにでもいるような普通の吸血鬼。今は朝御飯のフランスパンを咥えながら、慣れない通学路をひた走る高校一年生! ねえこれ無理あり過ぎない?

 夏休みを利用した引っ越しも終わり、今日から新しい学校生活が始まる……そんな日に限って寝坊するなんて、もう私のバカバカ!


「ここを曲がれば一気に――きゃっ」


 あとは校門まで一直線、という曲がり角をスピードを落とさずに駆け抜けようとしたところ、勢いよく誰かの背中にぶつかっちゃった。尻もちをつき、咥えていたフランスパンも固いコンクリートの上をガリガリと音を立てながら滑っていく。私どうやってあんなの咥えてたの。


「いたた……もう、なにぼさっと歩いて――」


 打ったお尻の痛みで涙目になりながらも、遅刻ギリギリのこの時間にゆっくりと通学路を歩いている誰かに、せめて文句を言おうと顔を上げた……


 ――と同時に、胸がきゅんっと高鳴った。


「あ゛?」


 その人はこちらがぶつかったのにバランスを一切崩さず、睨み付けるようにしてこちらを見下ろしている。いや、実際怨敵を睨むかのように怨嗟の籠った眼差しだ。初対面でなんでこんなガンを飛ばされなければいけないんだろう。


(で、でも……)


 おかしい。彼の顔を見ていると、さっきから胸の高鳴りが止まらない。

 顔の造形は悪くない、私の好みではないのだけれど……なぜか目が離せない。

 その眉間の皺も、切っ先のように鋭い刃のような瞳も、本来ならば人を寄せ付けないそのオーラも、彼の纏う雰囲気すべてが私を惹き付ける。そう、よく見れば実はそんなに怖くないっていうかっ、慣れれば結構チャーミングっていうかっ。


 え、え? どうして? どうして私こんな気持ちになってるの? もしかしてこれが、一目惚れってやつなのかしら……? でもでも、私は由緒正しいブルームフィールドの息女。そんな箸が転ぶだけで恋に落ちるような年齢でもないし、夢見るような乙女は卒業したつもりだ。


 そう理屈を頭の中で捏ねても、とくん、とくん、と胸の中で甘く脈打つ鼓動は止まってくれない。恥ずかしい。相手に聞こえちゃってたらどうしよう……いや聞こえてたらどんだけ聴力いいのよ逆に気持ち悪いわ。


「……大丈夫か」

「えっ」


 尻もちをつく私を訝しげに見ながらも、その男はこちらに歩み寄り手を伸ばした。

 ほら! 見た目や雰囲気はアレだけど、やっぱりその心には一握りの優しさがあるのよ。不良も濡れた猫には傘を立て掛けるって日本の漫画で見たわ!


「あ、ありがとう……」


 まるで王子様のように差し伸べられた手に、私は自分の手を重ねようと手を伸ばす。手汗とか大丈夫かしらって一瞬思ったけれど、美少女は汗なんてかかないに決まってるでしょ常識的に考えて?


 ああ、こうして一夏の、甘く切ない恋物語が幕を開け――


「そら、起こすのを手伝ってやろう」

「いたたたた!?」


 しかし彼の腕は私の手をすり抜け、こちらの頭をガッチリとキャッチした。そうして私はまるでUFOキャッチャーの景品のように持ち上げられ、その握力に悲鳴を上げた。


「この俺にぶつかって詫びも入れぬとは。妹から教わらなかったのか、『悪いことしたらごめんなさいですよ?』と」

「私、妹いない……痛い痛い痛い!」

「むふー、じゃあ私がじっくりと教えて上げますね?」

「いきなり誰!?」


 唐突に横から出てきた黒髪ポニーテールの女の子が、鼻息荒く男の腕を取って言った。なぜだろう、その手慣れた感じすごくイラッとくるわ!

 それにその子を見ていると、なんだか絶対に負けられない相手を前にした時の闘志と同時に、苦労を分かち合う友を見るような不思議な感慨が湧いてくる。私友達いないはずのにね。悲しいこと言わせないで?


「貴様には礼儀というものをたっぷりと教えてやろう、その身体にな」

「くっ、離しなさい! 東洋の野蛮人になんて絶対に負けないんだからぁ♪」

「なんでちょっと嬉しそうなんですかこの人……」


 そうして私は明らかに普通ではないボロアパートに連れ込まれ、この男に何時間も何時間も礼儀とやらをこの身に刻み付けられついにお箸マスターの称号を欲しいままに――


「……いや意味分からないから」


 というところで目を覚ました。長くない?

 私は頭痛を覚えながらベッドから身を起こし、枕元を見た。そこには昨夜、トーカから借りた少女漫画が数冊置いてある。あまりにも眠れなかったので何か意識を別のものに集中させるべく借りたものだ。そういえばこれを読みながら寝落ちしたんだっけ。


「さっきの頭の悪い夢はこれのせいね」


 ページをパラパラとめくると、そこにはやけに目の大きい少女が、長身の男の子に登校中ぶつかって恋に落ちる姿が描かれていた。

 私は苦笑して漫画を閉じる。あーおかしい。枕の下に想い人の写真を入れる乙女じゃあるまいし。こんな頭お花畑の夢を見るなんて、普段の私からしたらあり得ない話よ。そうよねー?

 そもそも夢とはいえ、彼が大人しく学校に通う様子が全く想像できない。彼がお行儀よく席についてお勉強してる姿なんて思い浮かべただけで笑ってしまう。そんなのより肩パッドつけて「ヒャッハー!」とか言いながらバイクに乗る姿の方が万倍簡単に想像がつく。


「それに今のジンなら私をあんな扱いしないし」


 お昼前の日差しを浴びながら着替え、階下に下りて顔を洗いながらそう思う。

 確かに初対面だったら夢の中のような態度を彼は取るだろう。実際出会った時、鎖で縛られたわけだし。


「でも今は、もう……」


 そう、今の彼ならきっとアイアンクローなんてせず、愛しさをその目に湛え、優しく私を抱き起こしてくれるだろう。

 そうしてちょっぴり強く抱き締めて、それから……


「昨日、みたいに……」


 自分の唇をそっとなぞる。熱した鉄のように熱い。それと同時に昨夜交わした情熱的なキスを思い出してしまい、鼓動が早まった。視線を上げれば、鏡に映る私の頬は真っ赤に染まっている。

 私はぶんぶんと顔を振り、誤魔化すようにもう一度冷水で顔を洗った。熱は……まだ引いてくれそうにない。

 あと念入りに歯磨きはしておいた。貴族は準備を怠らないのよ。




「いただきます」


 トーカが用意しておいてくれた朝食を前に手を合わせる。少し遅い朝食になってしまったが、まあいいだろう。実家と違って咎める者もいない。


「漬物おいし」


 ポリポリとした食感を楽しみながら白米を頬張り、お味噌汁で流し込む。私もすっかり和食に慣れてしまった、好きと言っても過言ではない。それに彼も結構和食贔屓なのだ。食の好みの一致は大切なことよね、うん。

 綺麗な形のだし巻き玉子をパクリと食べると、ちょっぴり甘めに味付けされた出汁が口いっぱいに広がった。トーカが料理上手でよかった。

 ……一応、あの兄妹には使用人としての給料を支払っている。本当なら別にブルームフィールド家から送られてくる資金を自由に使ってくれてよかったのだが、歯止めがきかなくなりそうということでトーカが辞退を申し出たのだ。

 そうして色々話し合い、私の身の回りの世話や家事を引き受けることを対価とし、その給料という形で彼らにお小遣いを渡すという形に収まった。まあお小遣いといっても、彼らにしては結構な額だったようで、その数字に目を剥いていたが。


「少しは役に立ててよかったわ」


 本来ならこの大金は『これをやるから大人しくしていろ』という本国からの圧力だ。事実上の勘当とはいえ、私は未だブルームフィールドの名を背負ってはいる。父は認めたくないでしょうけれど。

 だからこそ大金を渡し、私の行動を制限しているのだ。以前は屈辱感と無力感を覚えたものだが、彼らの助けになるのならば割り切れる。むしろ積極的に使ってしまえとすら少しだけ思ってしまう。

 ふん、と私は自信ありげに鼻息をならす。今は無力な少女という立場に甘んじましょう。だけど見てなさい。私には最強の眷属がいるんだから。

 いつか、彼と共に正々堂々真正面からブルームフィールド家の門を叩き、熨斗をつけて縁を切ってやるのだ。そうして私は彼のものになり、リゼット=サカガミとして温かい家庭を――!


「ふ、ふふふふふふふ」


 まあ当然の帰結ね。だって彼ったら『ずっと一緒にいる』って約束してくれたもん。これってもうほぼプロポーズでしょ。やあね、もう気が早いんだから。子どもは二人がいいわ。日本にもそういう諺があるんでしょう? 一富士二鷹だっけ?


「そう、今は雌伏の時よ」


 食べ終わった食器を洗い場に置きながらひそかにほくそ笑む。

 今はじっくりと牙を磨くのよ……まあ問題は私に牙があるかどうかだけれど。

 立場上、吸血鬼社会に戻って返り咲くのは無理でしょうね。彼らは血筋至上主義。若い吸血鬼はそうでもないけれど、実権を握っているのはそういう価値観で凝り固まった数百年生きている古い吸血鬼達だ。

 いくら最強の眷属を引き連れていようと、私の血は上等ではなく、脅しで人は従いはすれどついてはこない。現実的ではないわね。それにあの戦鬼に貴族社会は似合わない。駆け引きしてる中で絶対にすぐ暴れるだろうし……。


「将来かあ……」


 勉強や訓練ばかりで、自分のやりたいことや夢を持つ余裕なんてなかった。強い吸血鬼には憧れがあったけれど、もうなったし。

 私に出来ること。私のしたいこと……むむむ。


「……え、わからない」


 吸血鬼社会に戻らないということは、市井に染まるということだ。ブルームフィールド家と縁を切るなら、当然手に職をつけておいた方がいいのだが……あれ、私って何が出来るの?

 トーカのように家庭的なスキルはない。ジンのようにアルバイトもしたことがない。人間社会で吸血鬼であることは役に立たない。まさか履歴書に最強の眷属を持つ吸血鬼です、と書くわけにもいかないだろう。死角ですか? 特にありません、無敵です。


「……ま、まあ、まだ高校一年生だから」


 震える声で言いながら自分を慰めた。今は雌伏の時って言ってるでしょ?

 それに実家を離れたことにより選択肢もとりやすくなっている。自分の可能性を試すには絶好のタイミングだ、今までにない挑戦も色々出来る。


 私の持ち味……容姿には結構自信がある。


 ならいっそアイドルでも目指しましょうか、私可愛いし。そうしてプロデューサーとして雇ったジンと共にトップを目指すの。ジン見て、ドームよ! ドーム!

 トーカが縫った可愛い衣装に身を包んで、たくさんのファンに笑顔を送る。だけど本当に見て欲しいのはあなただけ。ステージの上でファンの声援に応えながらも、舞台袖で腕を組んでこちらを見るあなたに秘密のウインク。あなたにだけ、特別なんだから。

 そうして輝かしいステージをかけあがり、国民的アイドルになった後は妊娠を機に電撃引退。それと同時に結婚報道。私、普通の女の子に戻ります。そしてあなただけのアイドルになります……なーんて!


「……一考の余地はあるわね」


 神妙に言いながらうんうんと頷く。悪目立ちするなっていう実家への意趣返しにもなるし。ジンと一緒に仕事が出来るって環境も悪くないわ。

 とりあえずネットでアイドルの動画でも見ようかしら。そう思い自室に戻ってスマホで検索。え、無人島で開拓を!? もう自信なくなってきたわ。


 ゴンッゴンッ


「すみませーん、お届け物ですー!」

「あら?」


 まな板の可能性に思いを馳せていると、階下からノックと声が聞こえてきた。

 身なりを整えてから玄関を開けると、配達業者が笑顔でサインを求めてきたのでサインをし、荷物を受け取る。


「……私宛て?」


 何か頼んでいたかしらと首をかしげると同時に、記載された中身を見て「あー」と納得する。そういえばそろそろだったわね。だとしたら今朝の夢も結構タイムリーだったのかも。


「……試しに着てみましょうか」


 私は少しだけ笑みを深めながら階段を上る。ジンが見たらどんな反応をするだろうかと、楽しく想像しながら。

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