第59話「鳥肉に近い感じでした」



「ふんふふーん♪」


 潮騒さざめく浜辺には少女の歌声と、


「ふふーん――あ、いい感じです! 兄さん、焼けましたよ!」

「……おう」


 食欲をそそる香ばしい匂いが漂っていた。


「兄さんがいるとバーベキューもすぐできちゃいますね、ありがたいことです」

「……そうか」


 紙皿の上へ焼けた肉を取り分ける妹の姿を力なく見る。

 彼女はプレート代わりに適当に作った火力調整可能な大剣の表面から、じっくりと焼いていたステーキもかくやという巨大で平べったい肉を取り上げていた。

 油が跳ねるといけないので、その身はエプロンを着用しているが、水着の上からのためなにやらいかがわしい格好のように端からは見えてしまう。普段の俺ならばたまらない気分になってしまっていただろう……普段ならば。


「いただきまーす!」


 キラキラした瞳で塩を振りかけ、刀花は元気いっぱいに手を合わせてから肉にかぶりつく。

 その肉とは、先程出てきたトラを俺が狩ったもの……ではもちろんない。


「んー♪ 美味しいです! 程よく引き締まっているのに、肉汁がたっぷりと噛めば噛むほど出てきて……これは白米が欲しいですね」

「……そうか」

「もう、兄さんったら」


 シートの上で三角座りをする俺を見かねて、刀花は苦笑してこちらにひょいっと箸で摘まんだ肉を差し出した。


「いや逃げますってどんな動物でも、ドラゴンですよ?」

「俺の闘争……戦鬼の本懐が……」


 ブツブツと言いながら、しかししっかりと刀花の差し出す肉を頬張る。牛とも豚とも違う食感と味が口いっぱいに広がった。美味いのを喜んでいいのか悪いのか俺には判断が付かない。


「ドラゴンさんのお肉なんて初めて食べましたが、これはハマっちゃいそうです……ああ、今兄さんの身体が、私と一つに溶け合ってるんですね……!」

「言い方よ」

 

 そう、この肉はトラでも弁当の中身から取り出した物でもない。他でもない俺から切り出したものだった。

 ……竜に変身し、トラといよいよ交戦かと思われた直後、トラはさっさと尻尾を巻いて逃げ出してしまったのだ。

 勢いよく啖呵を切った手前、目の前の出来事に微妙な空気が漂う中……刀花は神妙な顔で言ったのだ。


『気になったのですが……ドラゴンさんって、美味しそうですよね』


 ということで骨の柔らかそうな尻尾の先を斬り、燃える大剣の表面でじゅうじゅうと焼いたのであった。もうどうにでもなれ。


「肉食獣の分際で、闘争を避けるとは何事か」

「肉食獣だから危険を察知したら逃げるんじゃないですかね?」


 我が妹よ、正論は聞きたくないぞ。

 耳に痛い妹の言葉を聞きながら、俺は頭を抱えた。

 おぉ……! 俺に! 俺にバトルをさせろォ……!!

 そうしてひとしきり悶えた後、ガクリと肩を落として自暴自棄気味にふて腐れる。我が憧れの闘争よ、お前は一体どこへ行ったのだ。


「まあまあ、いいじゃないですか。危ないことにならなくって」


 そんな俺の隣で、エプロンを外した刀花はニコニコと笑ってそんなことを言っている。


「それとも兄さんは、私に危険の及ぶような状況が来た方がいいって思ってるんですか?」

「……そうは言わないが」


 そもそも彼女に危険が及ばない状況を作ろうと昔は戦っていたのだ。そうして戦い抜き、手に入れた少女の安全なのだ。

 妹は学校に通い、美味しいものを食べ、金銭面で少し苦労しながらも、その安寧を享受していた。その環境に文句など付けようもない。


「じゃあいいじゃないですか? 確かに兄さんにとっては物足りないかもしれませんが」

「……いや、そうだな」


 俺が戦闘するということは、それだけ危険な状況に陥ってしまったことの証左だ。少女を守護する戦鬼として、そんなものは無い方がいいに決まっている。

 だが……だがなあ……


「しかし、それでは俺の存在意義がな……」

「何言ってるんですか」


 溜め息交じりに俺が言うと、刀花は呆れるような顔をした。


「兄さんの仕事はバトルがなくなっても、ちゃんとあるんですから」

「……どういうことだ?」


 聞けば、妹はにっこりと笑って俺の手を取る。

 そうして立ち上がり、刀花は俺を海辺へと連れ出した。


「それはですね――」


 パシャパシャと浅い波が打ち寄せる場所まで走り、刀花はその水を手で掬って……


「妹と目一杯遊ぶことです!」


 はじけるような笑顔で言い、俺にその水をぶっかけた。

 ポタポタと前髪から海水を落とし、憮然とする俺を見て刀花はクスクスと笑っている。


「ふふ、確かに戦闘は兄さんの仕事かもしれませんが、兄として妹と遊ぶことも、兄さんにしかできない仕事なんですよ?」

「……ふむ」


 なるほどな。

 確かに、それは俺にしかできない仕事だ。この俺の妹はこの少女ただ一人。そしてこの妹の兄は俺ただ一人。替えのきかぬ、唯一無二の絆で繋がった関係性だ。彼女がそう言うのも理解できる。

 そんな絆で繋がった妹は悪戯っぽくウインクして、次弾をその手に装填しようとしている。

 その姿を見て、俺は暗い表情を改めてほくそ笑んだ。いいだろう、彼女が望むなら甘んじて受け入れるとも。


 ――だが、この戦鬼を相手にするには遅すぎるぞ!


「その仕事、引き受けたぞ!」


 口角を上げ、掌だけではなく腕も使って水を掬う。そうしてその海水を、容赦なく楽しそうに笑う少女へと襲わせた。


「きゃあーーー♪」


 黄色い声を上げ、顔を庇う刀花だが、防御も虚しく頭から水を被ってしまう。後れ髪が肌にピタッと張り付き、快活に笑う少女をどこか色っぽく見せた。


「ふふ、あははっ」


 水飛沫を上げながら、心底楽しそうに刀花は笑う。そうしてしばらく、お互いに水をかけ合って時を過ごす。

 水分をピシャピシャと身体にかけている……ただそれだけだというのに、彼女と過ごす時間は楽しさに彩られていく。


「ふふふふ、えいっ」

「おっと」


 すると刀花は途中で堪らなくなったような声を上げ、


「捕まえました」

「捕まえられてしまったな」


 浅瀬へと、勢いよく俺を押し倒した。

 へにゃっとまなじりを下げた顔を、こちらの首筋にスリスリと擦り付ける。彼女が犬であったら、目の前で尻尾がブンブンと振られていることだろう。


「そんなに楽しかったか?」

「楽しいですよう。それに兄さん、気付いてないでしょう?」

「……何にだ?」


 訝しげにそう聞くと、刀花はこちらの胸に顎を乗せ、じいっと見つめてきた。その瞳の色は、とても優しい。


「小さい頃に海へ遊びに行った時、覚えてません?」

「……そういえば最近来ていなかったな」


 バイトの影響でここ数年は海に来られていない。彼女と共に行ったのは、それこそ小学生の頃だったかもしれん。


「あの時も、私は兄さんを連れ出して海辺に誘ったんです」

「ああ……」


 覚えている。

 襲撃者がいなくなり、すぐの時だ。彼女がようやく自由を手に入れ、その祝いに様々なところに連れて行っている頃合いだった。


「でも兄さんったら、まだ周囲を警戒してばっかりで。それに私が水のかけあいっこしたい、って言ったら何て答えたか覚えてます?」

「……『所有者が結膜炎になるような危険にさらす道具などいない』」


 我ながらお堅いことだった。

 そう……そうだったな。俺は少女を守護する無双の戦鬼。所有者に水をかけるとは何事か。

 ――だが、


「それでいいのだな?」

「その通りです。兄さんも段々と人の世に染まってきたのだと、先程私は確信しました」


 腑抜けた、とは言わない。これを成長かと問われると、疑問を抱く。

 だが、妹が喜んでくれるというのなら、俺はこの変化を受け入れよう。俺は彼女が元気に笑う、その笑顔こそ好きなのだから。


「それに食事だって最初は『俺に食事など必要ない』って言って突っぱねてたのは恨みますよ? 団欒は食卓あってこそなんですから」

「……そ、そうだったか?」


 そこまでだっただろうか……。

 いや、この妹が言うのならばそうなのだろう。今では悪いことをしたという気持ちが湧いてくるので許して欲しい。

 刀花はしばらく俺の胸の上で恨めしそうにこちらを眺めていたが、再びふっと笑って身を起こした。


「まあいいでしょう。今では妹にメロメロな兄さんがいるんですからね」


 そう言って彼女は髪を掻き上げるような仕草を取る。腕が上がり、脇を見せつけるようなそのポーズは雑誌のグラビアに載っても遜色ないだろう。ふむ、と頷きその姿勢を眺める。なぜこんなポーズをいきなり取ったのかは分からんが。


「……」

「……あ、あれ。雑誌ではこうしていたはずですが」

「雑誌?」

「あっ」


 しまった、といった感じで口を押さえる刀花。


「雑誌……ああ、あれか」


 そういえば、夏の礼装の参考になるかと数冊買った覚えがある。ああいう雑誌は下着も描写するので地味に参考になるのだ。

 刀花やリゼットに似た姿のモデルのものを買ったつもりだったが、やはり本物の美しさには全くといっていいほど及ばず、参考にすらならん代物で放置していたのだった。その他の人間の姿など見たくもないわ。

 そう言うと、刀花はどこか疲れたような溜め息を吐いて苦笑した。


「……そうですよね。おかしいとは思っていたんです」

「俺が他の人間に目移りしていると? 何年俺の妹をやっているのだ」

「うっ、何も言い返せません」


 言ってクスクスと笑い合う。


「でも兄さんって、全然そういう色っぽい話聞きませんから。妹として心配です」

「何を心配しているのだ」


 眉を寄せて聞くと、妹は不満げに唇を尖らせた。


「一体いつになったら私に手を出してくれるんですかー?」

「いつも言っているだろう、所有者を傷付ける道具など――む」


 なるほど……こういうところか、俺の駄目なところは。

 目の前の妹は俺の言葉を聞き、これ見よがしに溜め息を吐いている。


「はあ……兄さんもまだまだですね」

「むぅ……」


 なんとも言えない唸り声を上げる。

 確かに最近危ない橋を渡っている自覚はあるが、その一線ばかりは越えていない。なぜならば俺は無双の戦鬼。対象を殺戮し、対象を守護するよう定められ形作られた者。

 それこそ俺の存在の根幹と言っていい部分だ。いくら望まれようと、守護対象を傷付ける恐れのある行為は、まだ俺には忌避感が募る。


「まあいいです。兄さんが成長しているということは先程見せて貰いましたから」


 俺が彼女に水をかけたことを言っているのだろう。


「平和に過ごして、バイトもして、その中で兄さんの感性が育まれたことは確かでしょう」


 まるで言い聞かせるように妹は言い、浅瀬にぺたんと座っていた彼女はじりじりとこちらに近づいてきた。


「これからも、このままゆっくりと過ごして、人間の感性を理解して……そうして、いつか――」


 こちらの首に腕を回す。


「いつか、私を傷付けてくださいね?」

「――ああ」


 そう言って唇を重ね合う。今の俺にできる、最大限の親愛の行為を。

 俺は守ることこそ至上の愛情表現だと思っていた。だが、そうではないのだ。

 傷を付けられて感じる……そんな愛情もあるのだと、俺はこの妹に教えられたのだった。

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