第61話「いい眺めだ」
ザザーン……と打ち寄せる波。視界には闇に染まった海の色と、満天の星々。
そして隣には、そんな景色達すら色褪せる美しい一人の少女。ピタリとくっつく肩から伝わる熱は、彼女の気持ちを温かくこちらに伝えてきてくれる。
穏やかな表情で瞳を閉じ、時折甘えるようにこちらへ頬を寄せる。そんな彼女の髪を撫でれば、彼女の口からはほうっと熱い吐息が漏れた。
「……終電、なくなっちゃいましたね」
「残念ながら俺が終電だ、名残惜しいがそろそろ帰るぞ」
「兄さん空気読めてないでーす」
無人島に終電もクソもあるまいて。
ぶーぶーと文句を垂れながらも、しかし刀花は既に普段着に着替えて帰り支度も万全だ。終電云々はただ言ってみたかっただけなのだろう。
『そういう大人っぽいのは、我が妹にはまだ早い』
再び竜に変身しながら言う。終電ドラゴンである。
鎌首をもたげ、従属するように鼻先を足場として差し出した。
「うー、早く大人になって兄さんを安心させてあげたいです。いつもありがとうございます」
『それは言わないお約束だ、俺の可愛い妹よ』
刀花は口惜しげに言うが、助けられているのはお互い様だ。俺は妹なしでは生きていけん。
そんな妹は助走し、鼻先に足を乗せる。鼻先を上げて反動をつけてやれば、見事勢いに乗って飛び上がり、俺の背へと着地した。
以心伝心の素晴らしい動きだが、しかし無防備が過ぎるな。着地の際ミニスカートが舞い上がり下着が見え――
『――!』
「……? どうかしましたか兄さん」
よいしょ、とリラックスするように刀花はうつ伏せに寝転ぶ。
身体を密着させる体勢に、自然と彼女のたわわな胸も背に押し付けられる。柔らかく、ほんのりと暖かいその感触は大変に心地よい。だがその感触はいつもより薄皮を一枚ほど取っ払ったような柔らかさだった。
『……一つ聞いていいか、我が最愛の妹よ』
「なんでしょう、私の最愛のお兄様」
『……下着はどうした?』
「忘れました!」
彼女はビシッと敬礼して元気よく告げる。
そうなのだ。先ほどスカートが捲れてしまった時、見えてしまったのだ。下着に包まれているかと思われた彼女の下半身。彼女のちょっぴり大きめのお尻が艶かしく揺れる様を。
やれやれと首を振り、両翼を広げる。
『……大人のレディには、まだまだ遠いな』
「いやあ、うっかり」
元気よく返事をした刀花だが、その頬は少し赤い。さすがに多少は恥ずかしいようだった。帰りの下着を忘れるわんぱくさは可愛らしいが、大人を自称するにはやはりまだまだな妹だった。
「ドキドキしますか?」
『するぞ。可愛い妹が妙な性癖に目覚めてしまわないかとな』
バサリと地上から飛び立ち、同時に刀花に巫女服を着せておく。夏とは言え空路は風が強い。身体が冷えてはいかんし、ノーパンノーブラドラゴンライダーは要素を盛りすぎだ。
『乗り心地はどうだ?』
「そんなに揺れないのでいい感じですよ。それと星空が綺麗に見えます」
翼をはためかせ、漁船に見つからず、且つ寒すぎない高度で空を往く。背中の妹は大の字で仰向けに寝そべり、視界いっぱいに映る星の輝きを堪能しているようだった。
「ふーんふふーん♪」
しばらく妹の鼻歌を聞きながら、静かに飛ぶ。そんなご機嫌な妹の様子に、こちらも自然と胸が温かくなっていく。今日はよく身体も使い、いいストレス発散となった。やはり気を遣わせてしまっただろうか。
「今日はいいガス抜きになりましたか?」
『ちょうど同じことを考えていた』
言うと、刀花は嬉しそうに足をバタつかせる。一緒に暮らしていると思考も似通ってくる。さすがに兄妹を名乗るのは伊達ではないのだ。
『気を遣わせてしまったか?』
「いいえ。私は兄さんと一緒ならどこでも楽しめますし、どこでも嬉しいんですよ。気にしないでください」
『……まったく俺には出来すぎた妹だ』
「むふー、巷ではベスト・オブ・妹の呼び声高い私なのです、兄さんは果報者ですね」
まったくその通りだ。世の妹は刀花を見習うべきだろう。いや全人類が刀花になるべきだ。地上、そして空を埋め尽くす妹……なんと素敵な光景だろう。そうならないだろうか。いや、なれ。
『もっと欲張ってくれてもよいのだぞ?』
「欲張ってますよー。肩車に、海水浴に、日向ぼっこに、あーんに……それに、大人のキスもしましたしね! 私、もう一生お口洗いません!」
『刀花ちゃんきちゃなーい……』
「さすがに冗談です。でも味のリクエストがあったら教えてくださいね、ガム噛みますので」
努力の方向性を間違える妹に不安を覚えつつも、クスクスと笑い合う。まったく、なんと中身のない会話だろうか。だが……それがなんとも心地いいのだ。
『もっと何かして欲しいことはないのか?』
そう聞けば、刀花はうーんと顎に指を当て考える。人間なのだから、もっともっと欲張った方がいい。この妹は、欲張りすぎがちょうどいいくらいだ。
「そうですね……リゼットさんとは遊園地に行ったんですよね?」
『ああ、締めは花火を見た』
「むむ、ロマンチック……いーいなぁー、羨ましーいなぁー」
間延びした声を発しながら、背中の鱗をツンツンとする。チラッチラッと上目遣いでこちらを見るのも忘れない。
そんな彼女の可愛らしいおねだりに苦笑しながらも、頭の中ではどうしたものかと考えていた。花火……花火か。
『ガァ――!』
竜の顋を開き、炎のブレスというよりは炎弾に近いものを天に向かって放つ。
真っ直ぐに飛ぶ赤い炎弾は天高く上がり、そのエネルギーを広範囲で爆発させた。
「おぉー……!」
火の粉がはらはらと舞い落ち、夏の夜を幻想的に彩る。
『まだまだ』
俺は続けて緑、黄、紫と、炎色反応を利用した炎弾を放ち、白い星が瞬く夜空を鮮やかに彩る。そのたびに感心したような声が背中から聞こえ、妹が喜んでくれているのがわかった。だが――
『うぅむ、本物には程遠いな……』
「そうですか? 兄さんらしい花火だと思いますけど」
確かにカラフルであるし炎でもあるが……なんだかこう、華が足りない。これではよくて色の付いたただの爆発だろう。
だめだ。刀花は優しいためこれでも満足しているようだが、これではデートの締めくくりとしては力不足のように感じる。もっと迫力のある何かを出さねば俺が満足いかん。だがミサイルなどを出すとここでは各国の衛星探知に引っ掛かるか……いや待て?
『よし、もっとすごいものを見せてやる』
ならば引っ掛からないものを出せばいい。
『幻燈顕現――』
羽ばたく影の下に姿を揺らし、それは次々と現れる。
それは巨大な鉄の塊。まるでリボルバーの弾倉のような形をしたそれは海面スレスレの位置で浮いている。本来ならば衛星軌道上で地上を狙うそれは今、逆向きとなり天に向かって照準を合わせていた。
「に、兄さん? 多くないですか?」
一本で核爆弾に匹敵するそれは、現在海上に百ほど浮いている。壮観な光景に、我が妹も武者震いを隠せない。ふふふ、そう逸るな。
なにせ現代の技術では再現できぬ超兵器。だが我が幻燈はそれを可能とする。地上に逃げ場なく、刹那に敵を葬る神の怒り。これこそは――
『一斉掃射――
瞬間、電磁波を介さぬ百の金属棒が一斉に射出される。その速度、およそ音速の十倍。
夜を切り裂き、天を割り、放たれた神の杖は瞬く間に大気圏を突破し、その身を暗き宇宙へと踊らせる。だが、これで終わりではないぞ。
『はぁっ――!』
天高く昇った、地下数百メートルの目標すら殲滅可能な運動エネルギーの塊を、その場で爆発させる。金属棒を粉々に砕いたことで、千々に舞う破片は月明かりを受けダイヤのように瞬いた。
「わわ、星が増えました!」
『まだだ、重力槍――』
ガチリと牙で重力槍を咥え、ありったけの霊力を込める。俺の重力槍は彼女のように甘くはないぞ。
重力にさらなる重力を加え、空間が軋む。本来であれば縦に力を加え隕石を降らせる技だが、今は破片が横に動く程度でいい。
重力槍の影響を受け、天にポツリと輝くだけだったそれらは、狙い通りに軌跡を描く。天空の伽藍に尾を引く煌めき。名付けて――
『我流・酒上流天体操術――星流し』
「ふわあー……」
――幾条もの星々が、天を駆ける。
数百、数千の星の欠片達が煌めきながら空を裂いていく。ちゃちな流れ星など不要。我が妹の目に映るのならば、これくらい派手でなければ相応しくない。
背中に乗る妹は視界いっぱいに広がる幾千の煌めきを瞳に宿し、口を開けてその光景に見入っていた。
「物騒な輝きですけど、綺麗ですねー……」
『願い事もしたい放題だぞ』
「はっ、そうですね! 兄さんと結婚兄さんと結婚兄さんと結婚――!」
慌てた様子でお祈りをする。愛いやつめ。
「ふふ、兄さん兄さん」
『ん?』
お祈りを終えた刀花は堪らない様子でてしてしと俺の背を叩き、呼ぶ。彼女は瞳をキラキラさせながらもその笑みを深め――
「大好きです、兄さん」
兄に最も力を与える言葉を告げた。その言葉こそ、俺にとっての福音だ。その言葉だけで、俺はこの世に存在することを許されるのだ。
『俺も祈っておこう、刀花に天元を越える幸せが訪れることを』
「むふー、ありがとうございます。ですが、それは不要ですよ。それはもうとっくに貰っていますから」
『ふ、そうだったか。ではどうしたものか』
「そうですねえ……妹と一緒にお風呂に入りたい、とか」
『ふむ、少し怖いがそう祈っておこう』
「ふふ、お背中お流ししますね」
帰宅後の楽しみを貰った俺は口の端を上げ、さらに翼を大きく広げた。
『さあ、飛ばすぞ』
「はーい!」
愛する妹を背に乗せ、流星降りしきる夏の夜を羽ばたく。
楽しそうに笑う愛する人の声を、その背中に聞きながら。
『着陸します、シートベルトを締めてください』
「え、え、どこですかシートベルト!?」
「俺の腕だ」
「ひゃあっ♪」
屋敷周辺の木々を揺らしながら、翼を大きく羽ばたかせる。そうしてポンと人型に戻り、刀花を腕で抱き締めるようにしながら屋敷の庭に着地した。
「むふー、兄さんちゅきちゅきー♪」
刀花はいまだ流星群の興奮冷めやらぬ様子でこちらの首に腕を回し、歌いながら頬を寄せる。どうやらご満足いただけたようだ。
そんな彼女をお姫様抱っこで運びながらおでこに口付けすれば、さらにふにゃっとだらしない笑顔で足をバタバタさせた。
「ふむ」
妹の様子に笑みを深めながら、チラリと屋敷を見る。さて、我がマスターはいい子にお留守番できていただろうか。
少し遅くなってしまったが、晩飯は作り置きしてあるとのこと。それに我がマスターもどちらかと言えば夜型であるため心配はしていない。いや吸血鬼だから夜型なのは当然なのか?
とりとめのないことを考えつつも移動し、玄関の前に立った。
「帰ったぞ、マスター」
「あら、お帰りなさい」
少し不安に思いつつ足でドアを開けると、屋敷のきらびやかな照明と――
「「おっ?」」
「ふふん、どう?」
ある意味見慣れたセーラー服に身を包み、自信たっぷりに髪をかきあげる金髪少女が俺達兄妹を出迎えたのだった。
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