第36話「兄さんの家事は壁をも壊す@二回目」



『腕を上げたね、ドーベルマン……』

「はぁ……はぁ……」

「う、うぅむ……」


 結局あれから一時間ほど苦戦し、ようやく第二形態を含め敵を倒しきった時には、既に朝日が昇りきってしまっていた。


「も、もうだめ……限界……」

「そうだな……」


 相槌を打つ間に、リゼットはセーブポイントでしっかりセーブをしてゲーム機の電源を切った後、その場に倒れ伏した。


「ふ、ふふ……お母様、リゼットはやりました。今日もリゼットは強く生きています……」

「お前それでいいのか……?」


 母子の絆にケチを付けるわけではないが、御母堂が今の姿を見たら泣くのではなかろうか。

 俺は溜め息を吐きながら、「ん」とこちらに両腕を伸ばす彼女の膝と肩に手を差し込み、お姫様抱っこでベッドに運ぶ。もはや先ほど俺達を包んでいた甘い空気など完全に吹き飛んでしまっていた。


「……朝ご飯ができたら起こして」


 肩にシーツをかけるとそう言い残し、チワワからドーベルマンに昇格したマスターは一瞬で寝息を立て始めた。

 まったく、とんだ早朝になったな……まぁなかなかに得がたい経験ではあったか。誰かとともに協力して共通の敵を倒すなど、初めての経験だった。たまには悪くないものだ。


「さて……」


 目の前のご主人様はダウン。刀花の気配も探ってみるが、まだまだ眠りは深そうだ。いつもならそろそろ刀花が起きて朝食を作り始める時間だが……


「……たまには俺が作るか」


 誰に聞かせるでもなくそう呟き、暇を持て余す俺は一旦自室に戻った。


「確かここに……あった」


 自室に戻った俺は箪笥をガサゴソと探り、目的の物を掴んでバサリと広げた。

 所々の編み目がずれた、少し歪んだ形の黒いエプロン。刀花が小学生の時に、家庭科の実習とやらで作ってくれた……俺の宝物の一つだ。

 縫い目も真っ直ぐではなく、縫う糸の色も統一性がないが……それでもこのエプロンからは、俺のことを想いながら縫ってくれた、確かな刀花の愛情を感じるのだ。


「ふむ」


 満足げに鼻を鳴らし、身に付けながらチラリと視線を動かす。

 この部屋には他にも、俺の宝物がある。

 アパートの押し入れに仕舞ってあった、刀の飾り台もそれだ。

 今は窓際の台の上に鎮座しているそれも、刀花が夏休みの工作で作ってくれたものだ。柔らかい布団で寝るのもいいが、刀の姿で飾り台に乗って寝るのも好きだ。俺は怨嗟を糧とする妖刀でもあるが、この台に刻まれた刀花の情愛も決して悪くない。

 思えば俺は刀花から貰ってばかりだ。たまには、こういった形でも貢献せねば。


「よし」


 刀花の幼い頃を回想しながら、気分良く俺はキッチンへと足を運ぶのだった。




「昨日は和食だったな……洋食にするか」


 巨大な冷蔵庫から朝食の材料を見繕う。昨日スーパーに寄って、食材は豊富に取り揃えてある。和洋中なんでもござれだ……俺は簡単なものしか作れんが。


「それにしても……」


 一人で呟きながらぐるりと周囲を見渡す。この巨大な冷蔵庫といい、この屋敷は三人で暮らすには少し広すぎるきらいがある。このキッチンも、どちらかと言えば『厨房』と呼称してよいくらいには広い。設備や器具も大きく、炊飯器など何十人分炊けるのだというほど巨大だったため、酒上家から持ってきた小さな炊飯器と逆に交換するくらいだった。


「卵とハム……いやベーコンを焼くか」


 それらを取り出し、冷蔵庫を閉める。野菜は焼いている間に斬ればいいだろう。

 手順を思い描きながら、フライパンを小さめのコンロに設置する。久しぶりのソロでの料理に、俺はある種の意気込みを感じていた。

 バイト漬けの日々では、刀花が気を遣い家事全般を引き受けてくれていた。だが今はバイトもクビになり、リゼットの眷属となったのだ。殺戮兵器でも朝食作り程度こなせると証明できないようでは俺の立つ瀬がない。まさかネズミを捕った猫よろしく、敵の首をぶら下げて帰ってくるわけにもいくまい。


「我こそは無双の戦鬼……一人で朝食くらい作れるはずだ」


 気合いを新たに、フライパンに油を敷いて三人分のベーコンと卵を投入する。狙うはベーコンエッグだ。とりあえず卵とベーコンを一緒に焼けばそれはベーコンエッグだろう。


「むぅ……」


 勢い余って混じってしまった卵の殻を菜箸で取り除きつつ、塩コショウを振りかけその場を離れる。よい焼き加減となる前にサラダを作らねば。

 テキパキと冷蔵庫からトマトやキャベツ、キュウリを取り出してまな板の上に並べた。その間に、俺はもう一度刀花の気配を探る……よし、ぐっすりと寝ているな。

 俺は一振りの刀を取り出し、鞘に納められたままのそれを腰溜めに構えた。キッチンで刀を取り出すと刀花が悲しそうな瞳で見つめてくるから普段はやらないが、久しぶりの一人での料理だ。少しは大目に見て貰おう。


「我流・酒上流抜刀術――」


 鯉口を切ると、バチバチと刀を稲妻が走る。それが身体を伝い、電気信号となって脳に最速の命令を伝達する。さらに刀身と鞘の間に強力な磁界を発生させることにより、その抜刀は音速を越える……!


「『至煌殲滅・雷光刃――!!』」


 雷速の百連斬が野菜を襲う。予めインプットしておいた信号に従い、人の目には残像すら許さない速度で野菜を切り刻んだ。

 納刀の音も置き去りにして、刀を消す。俺の目の前には、狙い通りにカットされた野菜がまな板の上に転がっていた。


「ふ、自分の刀さえ使えればこんなものよ」


 刀花は普通の包丁を使わせたがるが、力加減さえ誤らなければざっとこんなものだ。

 前回はキッチンを吹き飛ばしてしまったが、今回の完璧と言っていいほどの出来に満足し、鼻歌交じりに皿に野菜を盛る。ふむふむいいぞ、調子がでてきたな。


「さて、焼き加減は……む?」


 素早く盛り付けを終え、フライパンを見てみるが……


「卵の表面があまり焼けていない……?」


 おかしい。刀花が作る目玉焼きはこのくらいの焼き時間で綺麗な半熟になるのだが……なぜまだ表面の黄身や白身がぐずぐずなのか。


「はっ……!」


 記憶と照らし合わせ、その差違に気付く。隣にエプロン姿の可愛い刀花がいないというのは勿論だが、俺は自分の過ちを悟った。


「フライパンに、蓋をしていない……」


 なるほど、そういうことか。

 蓋をし、拡散してしまう熱を逃がさないことで表面を焼いていたのだな。これは恐れ入った。


「ぬぅ……」


 失敗は次に活かせばいい。問題はこれのリカバーだ。考えている間にも、裏面はこんがりと焼けていく。次第に迫るタイムリミットを前にして俺は唸った。


「引っくり返すか? いや、しかしそれでは反動で黄身が崩れる……」


 我が愛する少女達には美味しい半熟のベーコンエッグを食して貰いたい。さてさてどう打開したものか……


「……上から焼くか」


 焼けてないのなら焼けばいい、当然の帰結だな。


「得物は――」


 炎を操るなら何でもいいが、ここは……


「こうか? いや違うな。ふむ……?」


 先ほどリゼットがプレイしていたゲームのキャラクターを思い浮かべながら、あぁでもないこうでもないと思索する。


「あぁ――こうだな」


 ガチリと頭の中で歯車が噛み合い、左腕に変化が生じる。

 数瞬の後、俺の左腕は様々な絡繰りが内蔵された義手となっていた。先ほど操っていた忍者がこのような腕をしていたのでありがたく頂戴した。こいつは炎も出せたはずだ、これで表面を炙るとしよう。


「ククク」


 よく再現された左腕を見て思わず笑う。昔はよく刀花にねだられ、漫画やアニメの武器を再現して遊ばせてあげたものだ。魔法少女のステッキで山一つ吹き飛ばして、国から泣きつかれたのもいい思い出だ。あれはいい全力全開だった。

 マスターは随分とあのゲームに熱を上げていた様子。この武器で料理を作ったのだと言えば、彼女も目を輝かせて喜ぶに違いない。


「我流・酒上流……えー、絡繰り忍術」


 適当に技名を決め、左腕を前に出す。


「『火遁……とろ火』」


 まさかゲーム内のようにぶっぱなす訳にもいかず、火力を調整して炙る程度に留める。マッチ程度の火が、苦労して作った義手からポッと灯った。


「加減が難しいな……」


 弱く弱くと念じるが、さすがにこれでは弱すぎる。額に汗を浮かべながらも慎重に、慎重に火力を上げていく。今気を抜けばたちまちキッチンが焦土に……


「にゃーん」

「!?」


 しかしそんな俺を嘲笑うかのように、窓から見える塀の上から鳴き声が届く。

 一匹の可愛い白猫ちゃんがこちらに手招きをして俺の集中を奪う……!


「ぐぬっ」


 一瞬、内なる炎が迸りそうになったが、舌を噛んでなんとか耐える。な、なめるな無双の力。たとえどれほど愛らしい存在でも、戦場で俺の集中を乱すことなどできはしな――


「にゃーん」

「にゃーん」


 もう一匹、だと……!?

 後ろから来た黒猫が、じゃれつくようにして白猫を肉球でてしてしとしている。高貴な雰囲気を纏う白猫はどこかリゼットを思わせ、艶のある黒い毛並みをもつ猫は刀花を思わせる。可゛愛゛い゛!


「む」


 可愛いという感情を最後に俺の集中は切れ、義手から最大火力が放出される。その熱はいとも容易く食材を黒焦げにし、勢い余ってキッチンの壁を吹き飛ばした。


「むむ」


 派手な音と共に瓦礫が崩れ、夏の爽やかな朝日が降り注ぐ。いい天気だなぁ、洗濯日和であるな。

 半ば現実逃避をかますが……当然、上階からパタパタとスリッパを鳴らす音が二つ近付いてくる。その音は問答無用でキッチンに足を踏み入れ……


「なっ」

「あー……」


 二者二様の反応でもって俺に視線を向ける。

 リゼットはキッチンの惨状を見て目を剥き、刀花はニコニコしながらも困ったような笑みを浮かべている。


「……」


 俺はそんな、弁明を求める視線を向ける彼女達の前で……パチンと指を鳴らして姿を変えた。


「おはようございます、お嬢様方。青空グランメゾン酒上にようこそ」


 長い黒髪を靡かせ、しゃなりと礼をする。鞘花に変身した私は、和服の上にさらに割烹着を着用して雰囲気作りに努めた。


「……おすすめは何かしら?」


 そんな私の姿に、リゼット様はこめかみをピクピクさせながらも腕を組んで聞いてきた。

 私は極力恭しく見えるようにして、礼をしながらその問いに答えたのです。


「ただいまお出しできるメニューは、切り口が美しい新鮮なサラダに、ダイヤのように炭がふんだんにデコレーションされたベーコンエッグにございます」

「トーカ、保健所に連絡を。利用者の健康を損なう料理を提供する店があると」

「はい、ごめんなさい姉さん」

「あぁ!? お待ちになってくださいましー!!」


 マスターと妹の無情な言葉に、私の悲鳴が郊外の森に木霊するのだった。

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