第37話「私、悪い子になります!」
「兄さ――じゃなくて……あ、アニキぃ。コンビニまでチョココロネ買ってきてくださいよぉ、ダッシュで」
「……それなら昨日買ったものがあるはずだろう、ほら」
「わ、ありがとうございま――じゃなくて……サンキュー」
「……」
「ふっふっふ、私悪い子ですから朝食中でも菓子パンを食べちゃいますよぉ~。しかも頭からとかお尻からとかじゃなくて横から食べちゃいますよぉ~、悪い子でしょ~う?」
「……」
「……ねぇジン、早く収拾つけなさいよ」
刀花が……グレた。
自分は悪い子と言いつつ、とてもそうは見えない幸せそうな顔で菓子パンをモグモグする妹は大変可愛いが、しかしこちらとしてはどう扱っていいものかと、なかなかに困った状況である。
そもそもなぜこんなことになっているのか? それは俺がキッチンの壁を破壊した時間まで遡る……。
「「あいこでしょ! あいこでしょ!」」
壁を破壊し、しこたま怒られた後。
誰が俺を使って壁を復元するかという話になって始まったじゃんけん大会。苛烈な15回目のあいこの後、勝利したのは……
「あいこでしょ! ……ふふ、私の勝ちね」
出した手のまま「ぶい」と勝利を宣言するのは我がマスター、リゼットだった。刀花は悔しそうに唸りながら自分の負けたパーの手を見つめている。
「さぁジン、来なさい」
『……うむ』
既に姿を変えてフワフワと浮いていた俺は、彼女の手に吸い寄せられるようにして収まった。
俺を手にしたリゼットは目を瞑り、「むむむ」と眉根を寄せて難しそうな顔をしている。そうしてなにやらぶつぶつと「私の考えたカッコいい二つ名を笑った給仕許さない……」だの「教室のドアの上に血糊を仕掛けたクラスメイト許さない……」だのと呟いている。お労しや我が主……。
「あーイライラしてきた! 『血鬼一体』からの『滅相刃んんん――!!』」
『雑な……!』
俺はストレス発散のための道具じゃないのだが……?
そう思いつつも彼女の溜まりに溜まった負の感情は俺を振るうに充分であり、滞りなくリゼットは戦鬼化して滅相刃を放ち、壁が破壊された時間を斬り殺した……そんなポンポン気軽に撃つ技じゃないのだぞー、使いようによっては時間停止もできる技なのだぞー?
「はー、スッキリした」
『……まぁ美味いからいいのだが』
翼を畳み、いい笑顔でスッキリするリゼットの手からは、俺に妖刀を使う供物として負の感情が流れ込んでくる。
『ふーむ、甘露甘露』
これがなんとも美味い。刀花の透明で莫大な霊力もいいのだが、やはり妖刀としてはこういったドロドロした感情を吸ってこそだ。
「そんなにいいの?」
『おうとも、我が†深紅の死神†よ』
「私の黒歴史掘り返すのやめなさい」
詳細に流れ込んでくるのだから仕方ない。いい二つ名ではないか。ちなみにドイツ語ではプルプルンゼンゼンマン。
俺から手を離して寝巻き姿に戻るリゼットは「だからそれやめたのよね」とげんなりしながら、目でどうなの? と聞いてくる。
「マスターは正規の手順で俺を振るからな、俺としてもなかなかに心地いい」
ポンと人型に戻り指を立てて説明する。
俺を真の意味で振るうためには段取りというものがある。はじめ、最初にして最難関である「俺に認められること」そして「世界を憎むに足る我欲を持つこと」が俺を振るうための条件だ。
「前にも言ったが、刀花はその莫大な霊力でもって俺を叩き起こす感じだからな」
俺に認められるという条件まではいいが、刀花は誰かを憎めるほど、いい意味で人間ができていない。要はこの妹も誰に似たのか力業で俺を振るうのだ。
例えるなら、リゼットがガソリンだとすれば、刀花はニトロといったところ。並みの妖刀では耐えきれず刀身が砕け散るほどだ。
「本来なら聖剣を振るうような子だ。代償も無視するしな」
「もう、そんなこと言わないでくださいよう。私は兄さんがいいんです」
「ちょっと待って、え、代償……?」
腕に寄り添う刀花を撫でながら、聞き捨てならない単語にぎょっとするマスターへ俺はほくそえむ。
「無論だ。俺は妖刀だぞ? 正規の手順を踏めば代償が生じる。聖剣のようないい子ちゃんではないのでな」
クククと笑うとリゼットは「え、え!?」と自分の身体を慌てたように調べている。
「ちょ、ちょっと!? なんなのよ代償って! 怖いんだけど!」
「別に身体に異常が出るわけではない。教えて欲しいか? 俺を振るう代償はな――」
ゴクリと喉を鳴らすリゼットに、俺は少し焦らしながらもあっさりと教える。最近こんぷらいあんす? とやらが厳しくてな。
「俺を使うたびに俺のことが好きになっていき、同時に俺もお前のことを好きになっていくというものだ」
共依存というやつだ、中毒とも言える。恐ろしかろう? 俺以外の妖刀では満足できない身体にしてやるのだ。
呪いの装備ははずせない。その理屈はつまりこういうことである。
「な、なんだ……」
顔を青くしていたリゼットはしかし、俺の言葉を聞いてホッとしている。
「む、怒るところではないのか?」
予想としては「私の感情を弄んでー!」とでも言いながら叩かれるかと思ったのだが。
「まぁそりゃ、実は寿命を奪ってたとか、身体が成長しないとかだったら怒るけど……」
チラリと刀花の胸を見ることを忘れないリゼットは後ろで手を組み、ネグリジェの短い裾から覗く太股をもじもじと擦り合わせながら、上目遣いでこちらを見た。
「私にとっては好都合というか……それに使ったらっていうけど、あなたを使う前から私は……」
「……ふん、ますますお前を気に入ったぞ、どうしてくれる」
「どうしてくれるって。好きにすればいいじゃない、もう……ばか」
恥ずかしげな視線が絡まり合う。
ばかと言いつつも頬を染める彼女を愛おしいと思い、俺はたまらず彼女に手を――
「……私、悪い子になります」
伸ばそうとしたとき、その声は聞こえてきた。
こちらの腕に寄り添うようにしていた刀花は、顔を伏せてその表情を見せないようにしている。しかしその声は普段の甘い声でなく、どこか拗ねたような声色だ。
「兄さんは悪い女の子の方が好きなんですね」
「そういうわけではないが……」
そもそもリゼットも決してただ悪い子というわけではない。俺が唆して堕とした部分も多大にあるため一概にはそう言えん。そういう素質がある、という部分を引き出したに過ぎない。
「むー」
しかし刀花は聞かず、顔を上げた後に頬を膨らませてリゼットをじっと見つめている。
「……な、なに?」
観察するように眺める刀花に、リゼットは居心地が悪そうに腕を組んで身を捩る。
しばらくじっと見つめていた刀花はふむふむ、と頷いたかと思うと俺から手を離し、距離を置いた。
何をするのかと黙って見ている俺達を他所に、刀花は肩甲骨に届く長いポニーテールを揺らしながらクルリとこちらに身体を向ける。
そしてリゼットのように腕を組み、つんと顔を背けてこう言った。
「べ、別に兄さんのことなんか全然好きじゃないんですから、勘違いしないでくださいね!」
「何その気持ち悪い台詞……え、もしかしてそれ私? え? バカにしてる?」
完全にビジュアルのみの偏見に我がマスターもお冠である。リゼットはそんなこと言わない……のではないか? 多分。
リゼットはやれやれとため息を吐き、刀花に諭すように言った。
「はぁ、トーカ。あなたに悪いムーブは無理よ」
「む、無理じゃありませんよ」
「それよ。悪い子は敬語なんて使わないんじゃないかしら」
「うぐっ」
リゼットに痛いところを突かれ呻く。刀花が敬語以外で話している場面など俺でも想像できん。
「で、できますよ……」
「あら」
悔しそうに言って刀花は目を瞑って深呼吸。
そしてビッとこちらに指を指して、高らかに声を上げた。
「あ、アニキ! 私は悪い子になりますぜ!」
「「……」」
……アニキって呼称もビックリしたし、あまりに砕けた口調の下手さにもビックリした。
そしてなによりそんな言葉が刀花から出たのかと思うと……
「「ぷっ、くくく……」」
「あー!」
主従揃ってくつくつと笑う。
「アニキときたものだ……く、ククク……」
「そ、それに『ますぜ』って、悪い子じゃなくて……ふ、ふふ、小物みたいじゃない」
「むむむむむー!!」
顔を反らして笑う俺達に、刀花は涙目で真っ赤になっている。
「ま、まぁ諦めろ。人には向き不向きというものがあるのだ。我が妹ながらよく頑張った方だ」
「そ、そうね。トーカったら慣れない口調で……ふ、ふふふ」
いまだ少し笑いの残る俺達に、刀花は寝間着であるシャツの裾を握ってプルプルと震えている。
そんな彼女を尻目に、俺は切り替えるようにして手を叩いた。
「さぁ、そろそろ二人とも着替えるがいい。その間にパンでも焼く」
「……任せていいんでしょうね?」
「疑わしい目を向けるな、もう武器は出さん」
「本当かしら……ほら、トーカ行きましょう? というか今まで無視してたけどなんて格好してるのよ」
今更ながら刀花の兄シャツ姿に突っ込みを入れ、リゼットが刀花を呼ぶ。
しかし刀花はますます頬を膨らませて俺達を睨んだ。
「うう~、馬鹿にしないでください! で、できますもん! 悪い子になって兄さんに更に好きになってもらいますもん! 今に見ててくださいね!」
そう言って刀花は剥き出しの健康的な足を動かし、ダッシュで部屋に戻っていった。呆気に取られる主従を置いて。
「行っちゃったわね……」
「あ、あぁ……」
「……ね、実際のところどうなの? 悪い女の子が好みなの?」
「特には。俺が好きなのは刀花とリゼット、お前たちだけだ」
「ふ、ふぅん……まったく、そんなこと言って。いつか刺されるわよ?」
「マスターにか?」
「ふふ、そうね。さっきのトーカみたいに私の機嫌を損ねたら、そうなるかもね」
えい、とその人差し指で俺の左胸を突き「今の内にトーカの機嫌を取る方法でも考えておきなさい?」と言って小さく手を振りながら部屋に向かっていった。
そうして現在。
パンを焼き、ついでにインスタントのポタージュも加えた朝食をとる中……俺はいまだに刀花の機嫌を取れず、刀花もグレたままなのである。
果たして俺に、妙な方向へとグレた刀花の機嫌を取ることができるのか……。チョココロネを横からかぶり付く妹を見て、俺は困ったように眉を寄せて思案を続けるのだった。
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