第35話「この姿勢……血鬼一体フォームとでも名付けましょうか」



 黎明の光が東の空を照らし始める頃、俺は刀花の小さな頭をゆったりと撫で続ける手を止めた。


「ふ、ふふ……兄さん、見てください……元気な男の子ですよ……」

「すごい夢を見ているな」


 ふにゃふにゃとした顔で寝言を呟く我が妹に思わず苦笑いが漏れる。

 それと俺はどちらかと言うと女の子が欲しい。

 男の子だと俺に似て人相が悪くなり将来その子が困ったことになるかもしれない。しかし女の子であれば刀花に似て可憐で、清らかな子に育つだろうからな。


「……ふ、何を考えているのだか」


 自分で皮肉げに台詞を吐く。

 昨夜の刀花の雰囲気に当てられてしまったか、柄にもないことを考えた。

 ……昨夜の妹はいつになく過激だった。

 結局あの後もキスを交わし続けていたのだが、いよいよ10回目を数えようかというところで刀花がギブアップ。

 真っ赤になってあっぷあっぷとキスに溺れるかのようにして意識を失っていった。さすがの刀花でも、緊張が限界に達したらしい。

 それからというもの、刀花の寝息が整うのを待ちつつ、落ち着けるようにして髪を撫で続けていた。まぁ落ち着いてからも撫で続けてはいたのだが。


「……」


 穏やかな様子でスヤスヤと眠る愛しい妹。

 まさか頬や額ではなく、唇にキスをしてくるとは思っていなかった。いくら常識がほんの少し欠けている俺でも、唇へのキスが特別な意味を持つことは知っている。無論、刀花のことは特別愛しているため唇にキスなど今更なのだが、さすがに無闇やたらにすべき箇所ではないことくらい承知している。

 それをしてきたということは、刀花も刀花なりにリゼットを意識しているということだろう。それをさせてしまうほどの嫉妬心を抱いた刀花をいじらしく思いつつも、同時に申し訳なさも湧いてくる。

 妹とマスターへの献身。どちらかに天秤が傾きすぎないように、俺がより一層しっかり彼女たちを愛し、彼女たちを不安にさせないようにしなくては……。

 そう決意を新たにしつつ、妹の頬を撫でる。くすぐったそうにむずがり、顔を背けられてしまった。昨日の少し大人っぽい刀花とは違い、年相応の無邪気な寝顔だ。


「やれやれ……」


 俺は鬼だ。刀花は「全然私に手を出してくれないんです!」などと言うが、昨日はなかなかに危ぶまれた。

 数年ぶりに味わう妹の唇。シャツのみの薄着がぴったりと貼り付いたやわっこい肢体。こちらに絡み付く華奢な腕や素足。蕩けた瞳に切なそうな熱い吐息。それら全てが容赦なく鬼の本能を刺激し、妹を一人の女と認識させた。

 俺は近親婚などザラにある時代に作刀されたため偏見はないが、多少の背徳感もよりよいスパイスとなり俺の脳髄を痺れさせた……魂が繋がっているのが近親になるのかは分からないが。

 だがそんな刺激に襲われながらも、俺は口付けまでに留め彼女に手を出すことはなかった。彼女を守護する戦鬼として、守護対象を襲うなど本末転倒もいいところであり、俺にだってプライドがある。所有者を傷つける道具など三流以下のゴミにも劣る所業だ。

 刀花が途中でへたったことも助け、昨夜はなんとか事なきを得たが……それらとは別に俺を助けた要因もある。というか、主にこっちがメインである。


「……」


 雀が窓の外でチュンチュンと鳴く声を聞きながらも、俺はさらに耳をすませる。

 するとどうだ、爽やかな夏の朝焼けにも関わらず、聞こえてくるのだ……


 ――苛烈な剣戟音が。昨夜から今もなおずっと。


「……」


 当たり前だが、近くで剣客が鎬を削っているわけでもなく、戦場が近場にあるわけでもない。

 その音の出所はもちろん二つ隣の部屋……我が主、リゼット=ブルームフィールド様の居室から鳴り響いてくる。

 これがもう、うるさいのなんの。人間の刀花には聞こえていなかっただろうが、戦鬼の耳を持つ俺にとってはたまったものではない。

 ひとたび刃を弾く音が響けば闘争心を掻き立てられ、肉を切る音が響けば愉悦を覚える。

 たまに本気で忘れられているのではないかと不安に思う時があるが、俺は元来人殺しの道具なのである。

 そんな闘争の音を耳に叩き付けられ続ける中で、妹との情事に集中など出来るわけがない。まぁ昨夜に関してはギリギリだったのでよくやったと言えなくもないが。


 ゴトッ……ボフッ、ボフッ……


 そんなふうに俺がよく分からないことに感謝していると……もはや何度目か。なにかを取り落とす音とクッションを悔しげに叩く音が聞こえてくる。

 ……一体何をしているのか。娯楽、ゲームとはストレス発散のために嗜むものなのではないのか? 何をそんなに荒ぶっているのか。


「……気になるな」


 刀花は昨夜に気力を使いきったのか深く眠り、しばらく起きる気配はない。

 ふむ、と一つ頷いて、刀花にきっちりと肩までシーツを被せる。最後にチラリと前髪から覗くおでこに口付けをして、自分の影にトプンと沈んでマスターの部屋に移動した。





「おいマスター、何をして――」

「う、うぅ……」


 リゼットの影から這い出るようにして現れる俺を出迎えたのは、黒いネグリジェを乱したままクッションに顔を埋めて脱力し、しくしくと泣く英国産直送吸血鬼だった。

 彼女は深紅の絨毯にうつ伏せになりながらも、「私は止まらないわよ」とでも言いたげに右手を落ちたコントローラーに伸ばしている。しかしその不退転の姿勢とは裏腹に、壁際に設置されたテレビモニタ―には大きく『死』という文字がでかでかと映し出され、おそらく彼女が操っていたのであろうキャラクターが無惨に死に絶えていた。


「私チワワ……チワワだった……」

「何をしているのだお前は……」


 ドッカと傍らに座り、虚ろげに呟く彼女の剥き出しの白い肩を揺すると、今気付いたようにビクリと肩を跳ね上げた。しかしいい反応はそこまでで、彼女はノロノロと視線をこちらに向けるのみだった。


「……ノックした?」

「影にノックなど無い」

「影て。自由ねあなた……」


 覇気無く、突っ込みにもキレがない。


「ゲームを楽しんでいるのではないのか?」

「……楽しんでるわよ、えぇすごく」

「そうは見えないが」

「違うのよ!」

「うお……」


 ガバッと起き上がり、妖しい光を湛えた瞳でこちらに迫ってくる。


「確かに今はぐったりしているかもだけど、何度も何度も挑戦して、パターンを見切って敵を倒せたときのカタルシスは何物にも代えがたい快感なのよ! すっごく楽しいわ!!」

「お、おう……」


 マスターが修羅の道に入ってしまっている……。

 半ギレしながら伽藍堂の目で捲し立てる姿はまるで薬中のソレだが、本当に大丈夫なのか?

 無双の戦鬼すら鼻白む迫力を見せたリゼットは、よろよろとコントローラーを構え「まぁ見てなさい」と威勢のいい声を上げる。しかしその姿はまるで「次は当たるから」とギャンブルに有り金を突っ込む人間を想起させた。彼女が金の代わりに突っ込むものは体力か、はたまた人間性なのか……。


「次こそは……!」


 ……何も言うまい。

 言葉を飲み込みモニターへ目を向ける。そこには、リゼットが操るキャラクターが燃え盛る舞台の中で、蝶のように舞う年老いた女と刃を交えている。

 武器は刀……侍か? いや、身のこなしからして忍の類いか。なぜ忍が正面から切り結んでいるのか……。

 その二人が激しい動きで交差し、剣戟音を掻き鳴らしている。音の正体はやはりこれか……それにしても最近のピコピコは綺麗なものだな。人物や背景はもちろん、動きが滑らかだ。前動作から筋肉の流動が読み取れ、次の動作がなにか分かるようになっている。まるで本物の人間のようではないか。


「うっ、このっ、このっ……!」

「む……」


 しかしリゼットは敵の動きが読めないのか、見当違いの方向に攻撃したり、タイミングを逃して反撃を喰らったりしてしまっている。そしてどうもこの忍者は打たれ弱いらしく――


『そなたなど、まだまだチワワよ』

「もー! 強すぎなのよー!」


 大きく示される『死』と、敵の捨て台詞に荒神のように唸る。

 俺はふむ、と頷き横から疑問を口に出した。


「なぜ敵の斬撃中に無防備に刀を振ろうとするのだ、反撃を喰らうに決まっているだろう」

「うるさいわね……」

「それに防御のタイミングもいまいちだ。ようは攻撃される一瞬の内に防御をすればいいのだろう? なぜしない」

「タイミングが難しいのよ! それが出来れば苦労しないわ!」


 涙目で頬をフグのように膨らませてプンプン怒る。間違ったことは言っていないはずだが、なぜ怒る。


「……そこまで言うならあなたがやってみなさいよ」

「む?」


 目をスッと細めた彼女は、少し意地悪そうな顔でコントローラーを渡してくる。


「……この俺にチャンバラの真似事をしろと?」

「出来るんでしょ、無双の戦鬼さんともあろう方が、まさか逃げるのかしら?」

「ほう、言ったなマスター」


 なめられたものだ。闘争においてこの戦鬼に敗北と撤退の文字は無い。

 ふん、この俺に刀を握って敵を倒せとは……度し難いほど容易な任務だ。要は擬似的な殺し合いだろう? それにゲームとはすなわちコンピュータ。つまるところ決まったパターンというものが必ずある。お決まりの型にはまった戦闘など、俺にとっては児戯も同然。

 彼女がボタンを操るのは横で見ていた。動きは大体ではあるが把握した、おそらく支障は無いだろう。

 やれやれと嘆息しながら、リゼットの手からコントローラーを受け取った。


「なに、この無双の戦鬼がお嬢様にお手本を見せてやろう。一方的な殺し合いが、どういうものであるのかをな。ククク、ハーハハハハハハ!!!」


『そなたなど、まだまだチワワよ』

「………………」

「ぷっ、くくくく……」


 数十秒後。

 俺の眼前には信じられない光景が広がっていた。


「……おかしい」

「くくくくくく……」


 敵の動きは見えていたはずだ。だというのに……なんだこれは?

 モニターには映像を巻き戻したかのように『死』の一文字が表示され、忍者がバタリと倒れてしまっていた。

 俺は隣でクッションを抱き締めるようにして顔に押し当て、プルプル震えているリゼットを一瞥する。


「忍者の動きが俺より遅いからだ」

「『お嬢様にお手本を見せてやろう。一方的な殺し合いが、どういうものであるのかをな(キリッ)』」

「貴様……」

「いはいいはい! やーめーへー!」


 リゼットの口に指を入れ横に広げる。憎まれ口を叩くのはこの口か、あぁん?

 しばらくリゼットの口を弄んだ後、ペシペシと頭を叩かれたので指を離した。「もー、やめてよね」と頬を押さえてぶつくさ言うリゼットを横目に見て、俺は再びコントローラーを握った。


「……見ていろ、次は必ず殺す。必ずだ」

「落ちたわね」


 いいや俺は落ちない。落ちるのはこの敵だ。この戦鬼が地獄に叩き落としてくれる。

 しかし……


「む……むむむ……」

「なんでそこでジャンプしてるのよ、丸ボタンよ丸ボタン」

「むむむむむむ……!」

「あ、ほらチャンスチャンス! ……なんで今ホーム画面開いたの? ねぇなんで?」


 う、うるさい……。


「ねぇ、どれがどのボタンなのかちゃんと把握してる?」

「えぇいボタンという文化がそもそも慣れんのだ。それが出来れば苦労はしない」

「それ見たことですか。私と同じ事言ってる」

「ぐぬっ……」


 なるほど、先ほど彼女がキレていた理由が分かった。口だけなら何とでも言えるというやつか……。


「くっ」


 何度挑戦しても上手く運ばぬ展開に歯噛みし、コントローラーを取りこぼす。

 そんな俺の姿を見て、リゼットはなぜかしたり顔だ。


「ね、難しいでしょ?」

「ちっ、動きは見えているのだ。この忍者が俺の指示通り動けば……」

「また言ってる。私はちゃんと動かせるけれど、敵の動きが見えないのよねぇ……」

「……」

「……」


 …………ふーむ、なるほど?

 俺達主従は数秒の沈黙の後、何かを通わせるように目線を交わして頷き合った。





「よし、いくわよ!」

「……いくのはいいが、この体勢は本当に必要なのか?」


 お互いに足りないものを補足し合うと決めた結果、協力プレイの体勢を取ったのだが……。


「……なによ、文句あるの?」

「いや文句はないが」


 じろりと俺を睨むリゼットは、胡座をかく俺の上にチョコンとお人形のように座ってコントローラーを握っている。俺はそんな彼女の腰を後ろから抱くようにして座りを直した。


「ただ、別に隣に座って指示するだけでもよかったのではと思っただけだ」

「むー……」


 必要性を問うただけなのだが、なぜか我がマスターは不満を訴えるように頬を膨らませた。


「だって……ずるい」

「ずるい?」


 オウム返しに聞くと、リゼットはプイと画面の方に視線を向けた。特徴的に尖ったその耳は赤い。


「昨夜は刀花と一緒に寝てたんでしょう……?」

「そうだな」


 なかなか危うい事態になったことは黙っておく。刀花にも「リゼットさんには内緒ですよ」と釘を刺されていることだしな。


「だったら――」


 言いにくそうに口をモゴモゴさせた後、チラリとこちらを見る彼女の紅い瞳は熱に潤んでいる。


「もう少し、今は私にくっついていてもいいんじゃない……?」

「……」


 俺は言葉の代わりに、少しだけ強く彼女の柔らかい身体を抱き締めた。昨夜に刀花から言葉が無粋である場合もあると学んだばかりだ。


「ん……」


 どうやら正解だったらしく。彼女は吐息を漏らしつつも何も言ってこない。手から伝わる彼女のお腹の感触はマシュマロのように柔らかく、目の前に広がる黄金の髪からはラベンダーの香りが胸いっぱいに広がった。チラリと見える真っ赤になったうなじが、彼女の気持ちを雄弁に語っていた。


「ぁっ、ちょっと……悪戯、だめ……」


 たまらなくなり、少しだけ、と彼女の首筋に唇を当てると、電気が走ったかのように彼女は震える。そしておかしそうに「これじゃあなたが吸血鬼みたいじゃない」とくすぐったそうに笑う。


「ばか……もう、やるわよ」

「……承知した」


 ペシリと優しくはたかれ、自制する。いかんいかん。彼女達を襲うとはいかないまでも、昨夜から妙なスイッチが入ってしまっているかもしれん。まぁより一層彼女達を念入りに愛すると誓った身だ。これでいいのではあろうが、さすがに時と場所を選ばねば。

 俺はぶんぶんと頭を振り雑念を追い出す。まったく無双の戦鬼としたことが、敵を目前にこのような油断を……。

 そうして心を改め、彼女にすぐにアドバイスを飛ばせるよう構える俺に、しかし彼女は背中を俺にもたれかけ、あろうことか上目遣いでトドメを刺してきた。


「続きはこの敵を倒してから……ね?」

「――」


       鬼

       殺

 OGURE EXECUTION


 ……昨夜から俺は負け続きだ。





「ステップで下がれ。二回攻撃した後、二回弾く。後方ジャンプしながら手裏剣、追い打ち」

「待って待ってー!」


 画面上の敵を見据え矢継ぎ早に指示を出す。

 リゼットはわたわたと焦り、途中でミスしながらもなんとか持ち直し、指示に従う。よくもここから立て直すものだ。俺ではすでに操作を投げているところだ。

 即席にしてはなかなかの連携を見せる俺達主従の攻勢に、徐々に徐々にではあるが勝勢がこちらに傾きつつある。


「――今だ、多少喰らっても構わん。削り切れ」

「わかったわ!」


 そうして上手く噛み合った主従体勢は敵の体力をみるみる削り……


「ここ……!」


 ついに、忍者の刀が敵の胸を抉ったのだった。


「や、やった……やったわ!」

「ふむ! ……おっと」


 敵が倒れ、姿が消えた瞬間に胡座の上のリゼットが喜びのあまり飛びついて俺を押し倒した。


「あっ……」

「……」


 衝動的な咄嗟の行動だったのだろう、自分のしたことに目を丸くし、今の体勢を鑑みて頬を染めている。


「……ね、続き」

「……あぁ」


 それだけ言って、胸の上のリゼットは熱を上げた様子で瞳を閉じ、こちらに顔を近づけてくる。

 そうして吸血鬼にしては血色のいい桃色の花弁が、ついにその距離を零に――


『やるじゃないか……では、続きといこうか』

「「え」」


 ――する直前。

 主従揃って、テレビから鳴る第二ラウンドのゴングに素っ頓狂な声を上げた。


 ……主従の夜明けは、まだまだ遠い。

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