第34話「暗殺成功率は100%です♪」
「む?」
ガチャリと無遠慮に刀花の部屋を開け、疑問の声を上げる。
風呂から上がり、刀花と一緒に寝るという約束を果たすべくこうして部屋に赴いたのだが、刀花の部屋は既に暗闇に包まれていた。
リゼットの部屋と変わらぬ、カーペットの敷かれた洋風の部屋だ。六畳しかなかった和室と比べると格段の進歩だが、長年貧乏生活をしてきたせいか、いまだ俺達兄妹は少し慣れない。
そんな月明かりが差し込む部屋の窓辺付近、ベッドの上にはこんもりとしたシーツが銀光に照らされていた。
てっきりひとしきり甘えられた後に、共にベッドで眠る流れかと思っていたのだが……もう寝てしまったのか。
多少拍子抜けしたように息を吐きながらも、ベッドへと近付いていく……が、途中で違和感に気づく。例え暗闇にいようと、この戦鬼の目は誤魔化せん。
――このベッドの膨らみ、刀花ではないな。
寝息もなければ微動だにしないベッド上の膨らみを一瞥し、ふむと頷く。
……なるほど、そういう趣向か。
内心微笑ましく思いながらも、俺は歩みを止めることなく無防備にベッド脇へ立った。さて、どう出る?
「っ」
視界の端でキラリと輝く何かが見えたかと思うと、左方向のクローゼットが勢いよく開き、中から飛び出してくるものがある。
派手な音と動きに視線を向け、すわ刀花かと両腕で受け止めようとするが……、
「お覚悟です、兄さん!」
しかしその声はベッドの死角から。
クローゼットから飛び出してきたのはただのモップで、本命はベッド脇からの奇襲。シーツと、糸を用いた仕掛けの二重ダミーか。
「えーい!」
大きなベッドの影から現れた刀花は、戦鬼の目からすると隙だらけな動きで突っ込んでくる。この妹は暗殺者には向かないな……奇襲前に声を上げるアサシンがいるか。
そんな可愛らしい暗殺者に対し、無双の戦鬼たる俺は――
「ぐわー」
彼女の良質なタックルをそのまま喰らい、一緒にベッドへと倒れ込んだ。
ベッドのスプリングが軋む音と共に、その暖かく柔らかい感触を守るようにして受け止める。自然と俺の上に重なるようにして乗った刀花は、腰に抱き付きながら楽しそうに笑っていた。
「むふー、兄さん討ち取ったりー!」
「あぁ、俺としたことが」
まんまと討ち取られてしまった。
こんなに可愛い暗殺者を相手に討ち取られない者がいようか、いやいない。討ち取られない者がいたら俺が殺す。
「いつの間に俺の妹は暗殺者になったんだ?」
「兄さんだけの暗殺者です、ラブアサシンです。兄さんの心を射止めます」
「なるほど、どうりで抵抗できないわけだ」
彼女の術中に嵌まり、自由を明け渡す。
そんな可憐なアサシンはハスハスと俺の胸に顔を埋めて匂いを嗅いでいる。ポニーテールがブンブン揺れて犬のようだ。
「これで兄さんは私の捕虜です、鹵獲です」
「どうすれば解放される?」
「むふー、私が寝るまでギュってしててください」
「捕虜に褒美を与えてどうする」
そう言いつつも胸の上にいる柔らかい身体を抱き締める。その際に、ヘアゴムを外して彼女のポニーテールを解いた。
纏まっていた黒髪がさらりと流れ落ち、活発な印象だったポニーテールが姿を変えてゆく。癖のない美しい髪が垂れ、妹をぐっと女らしく見せる。先ほどから無防備に着用している兄シャツの効果もあるのかもしれない。たっぷりとした胸が押し付けられ、ここからだと深い谷間がよく見える。
いつもは年相応で天真爛漫な笑みを浮かべる妹だが、こうして髪を下ろして穏やかに微笑む刀花はどこか大人っぽい。
妹の成長を喜ばしく思い、刀花を抱き締めながら髪を梳くように撫でる。そうすると首筋に頬擦りをする刀花が嬉しそうに足をバタバタさせた。
「兄さんもだいぶ妹心がわかってきましたね」
「教え込まれたからな」
彼女のして欲しいことはだいたいわかる。家族はこうするべし、妹にはこう接するべしと十年もの間、俺に教え込んだのはこの刀花なのだからな。
しかし胸の上の刀花はどこか不満げに、指で俺の胸をつつく。
「ですけど、最近兄さんが浮気ぎみですからねー。もはや離婚の危機です」
「いつの間に結婚してたんだ」
「えー、4年生の時に結婚式を挙げたじゃないですか。私のファーストキスですよ?」
「あれか……」
無論覚えている。
当時の担任が結婚するとかで触発された刀花が、結婚式をやりたいと駄々をこねたのだ。
「親族のみで内々に済ませましたが、いい式でしたよね」
「二人だけだっただろう……」
お色直しまでさせられた記憶がある。
小さなアパート部屋のごっこ遊びのつもりが、結構手間がかかったものに変わっていくのに、この無双の戦鬼も戦慄を覚えたものだ。
そんな凝り性の我が嫁(?)は唇を尖らせて現状の不満を口にする。
「兄さんの浮気者~。まぁリゼットさんと関わるように言ったのは私ですけど……」
刀花はため息を吐く。
「まさかここまで関係が深くなるとは、この妹一生の不覚です」
そのまま「う~」と唸りながらいやいやと首を振って顔を胸に埋める。
「兄さんは私だけの兄さんだったのにぃー!」
「許せ、刀花。しかしあの時リゼットを助けなかったら、お前は俺をどう思った?」
「サイテーだと思います」
「なるべくしてこうなってしまったのだ。言い訳にしかならないが。俺にはもはや刀花に許しを乞うことしかできん……ダメか?」
「ダメです。恋する乙女は理屈じゃないんです」
手厳しい。
さすがは我が原初の担い手。致死性の毒リンゴを全て喰らい尽くした白雪姫よ。今では睡眠導入剤として毒リンゴをパクつく始末だ。
俺の言葉に流されることなく、刀花はしっかりと我を通す。「将来の夢はお兄ちゃんと結婚することです」と作文で書き、職員室に呼び出されたがそのまま教師を説き伏せたという妹は伊達ではない。
まったく、我がマスターのおかげで刀花がとてつもなく可愛くなってしまった、どうしてくれる。
話題になっているマスター……二つ隣にあるリゼットの部屋に耳をそばだててみると、なにやら楽しげな声が聞こえてきた。
「Amazing! Japanese Ninja! にん……え、弱くない?」
「突き! 突き! ……なんで下段なのよ!」
「マイネェェーーーム イズ リゼット=ブルームフィールド ヴァンピーーール!!」
……あの子は何と戦っているんだ。楽しげなのにどこか悲愴感がある。なんなら、なかなか味わい深い怨嗟が流れ込んでくるぐらいだ。ゲームをしているのではないのか……?
今は多分関わらない方がいい……気を取り直し、胸の上で愚図る妹に問いかける。
「どうすれば許してくれるだろうか?」
「……じゃあクイズです。正解したら許してあげます。言っておきますけど、難しいですよ?」
「なにを。愛しい妹からの問いだ、必ず答えて見せよう」
「むふー、言いましたね?」
刀花は悪戯っぽく笑い「デデン!」と言って出題した。
「問題です。『兄さんはどれくらい私のことが好きでしょう?』」
① めちゃくちゃ好き
② ハチャメチャに好き
③ 世界を敵に回しても構わないくらい好き
④ 今すぐ抱きたいくらい好き
「……」
「制限時間は十秒です」
む?
「ごーお、よーん――」
五秒ではないか。
いやそんなことより解答を……。
「さーん、にーい――」
違いが分からない……信条的には③だが。いや、ここは刀花が喜ぶものを選ぶべきか?
「いーち――」
「よ、④の今すぐ抱きたいくらい好き、だ」
少々迷いながらも選択。どれも俺にとっては正解だが、ここは刀花に寄り添う答えを選ぶべきと判断した。
「……」
ニコニコと俺の上で頬杖をつく刀花は、無言で俺を見詰めてくる。どこからかドラムロールが聞こえてきそうな沈黙は数秒続き……、
「ぶっぶー、はずれです」
無情にも不正解を告げてきた。
妹クイズに正解できなかった俺は、少々納得いかない気分を抱えつつも項垂れるしかない。
「……さすがに無茶ではなかったか?」
「言ったじゃないですか、難しいって」
「答え合わせはないのか?」
不甲斐ない俺がそう言うと刀花は「仕方ありませんねぇ」とため息を吐く。が、その顔はなんだか嬉しそうだ。
「正解はですね――」
刀花が頬にかかった黒髪を押さえ、近付いてくる。その琥珀色の瞳は細められ、蠱惑的に映った。
そうして俺の首に絡まるようにその華奢な腕を伸ばし、
「んっ――」
その可憐な唇を、俺の唇に合わせた。
「――」
数年ぶりに触れる妹の唇は、あの時よりもこちらを溶かさんとするほどに熱く、積年の想いの強さを感じさせる。
バニラのような甘い香りが小さな鼻から漏れ、頬をくすぐる。彼女の目蓋は閉じ、長い睫毛がふるふると震えていた。
「――ん、はぁ……」
しばらくお互いに唇を堪能した後、刀花は頬を染めながらも熱い吐息を漏らし、唇を離す。
とろんとした瞳のまま、刀花は俺の耳に唇を寄せた。
「正解は、『黙って妹の唇にキスをする』です」
蕩けるような甘い声でそう囁き、しっとりと笑いながらまた俺の胸に戻っていく。妹としての顔と、女としての顔のギャップに、この無双の戦鬼も一瞬目を見張ってしまった。
俺は自分の顔に手を当て、呻くように言った。
「……やってくれたな」
「私の目の前であんなにリゼットさんとキスするからです。ふふ、兄さんもまだまだですね」
「……そのようだ」
久しぶりに味わった妹の唇の衝撃も冷めやらず、そう口にする。
なるほど、答えの無い問いに言葉で返そうとした俺が無粋だったか。
「これくらいも分からないなんて、まだまだ兄さんを妹離れさせるわけにはいきませんね。罰として、これからもずっと私と一緒にいてください」
照れ隠しなのか、少し早口で言う刀花の頬は赤い。
「……欲張りだな」
「……ふふ、そうですよ。私は家族も、兄さんも、好きな人も、ぜーんぶ欲しいんです。そうじゃないと気が済まないんです」
なぜなら、と小さな少女はにっこりと笑う。
「私は人間で、戦鬼さんの妹ですからね」
そう言ってすっかり悪食となってしまった我が白雪姫は、毒リンゴだけに飽き足らず、禁断の果実に再び手を伸ばす。「リゼットさんには内緒ですよ、変に対抗されたら困っちゃいますからね……」と言いながら。
月明かりが照らす中、秘密のキスを交わし続け……俺は思い知った。
いや、いつも分かっていたことだが、改めて認識させられた。
たとえ無双の戦鬼といえども、恋する妹には決して勝てはしないのだと。
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