第33話「その夜、私は運命に出会う」



「兄さん、このシャツまだ着ます?」

「だいぶくたびれているな、捨てるか」

「あ、捨てるんでしたら私にください。寝間着に使うので」

「そうか、構わんぞ」

「やった♪」


 俺の使い古したシャツを嬉しそうに胸へと抱きながら、刀花は自室へ続く階段を上がっていく。


 我がマスターがステージを一足飛びに駆け抜けた後、俺達は刀花の作ってくれた手ごねハンバーグを夕食として平らげた。

 そして現在、俺達兄妹は玄関ホールに放置したままの、アパートから持ってきたタンスや風呂敷を広げ荷解きをしている最中だった。

 ありがたいことに、この屋敷には既に家具や調度品も揃っている。我が酒上家からも生活用品は持ってきたものの、屋敷の物と比べると見劣りする。ならば既に屋敷にある物や古い物は捨ててしまおうと、引っ越し作業はもはや断捨離の様相を呈していた。


「じーんー」

「……」


 俺はガサゴソとタンスをひっくり返したり、風呂敷に包んだ古い食器や小物を分別したりしていく。


「じーんー、じーんー」

「……」


 古い食器は古新聞に包み、目立つように「キケン」と書いた紙を貼り付けた黒いゴミ袋へと入れていく。なんともチマチマとした性に合わない作業ではあるが、必要なことだと頭の中で割り切る。


「じーんー、じーんー、じーんー」

「むっ……」


 だが問題が発生した。街の分別について記した紙を改めて見てみると、意外な事実がそこにはあったのだ。

 ゴミ袋は透明な物を使ってください、だと……?

 視線を上げて見ると、俺が今まで時間をかけて地道に積み上げたゴミ袋は全て黒く、中身が見えないゴミ袋だった。


「ふー……」


 数秒の沈黙の後、ゆっくりと立ち上がって身体から余計な物を追い出すようにして息をつく。まったく、やれやれだ……。


「――ッ!」


 ――俺はキレた。そして斬った。


「我流・酒上流簡単お片付け術『プチ・滅相刃――!!』」


 塵・即・斬。

 手刀をゴミ袋群に叩きつけ、跡形もなく雑に消滅させた。

 ふん、この無双の戦鬼に理を押しつけようなど百年早い。最初からこうしておけばよかったのだ。一部必要な小物も巻き込まれ消してしまったが、奴らは犠牲になったのだ……。


「じーんじんじんじんじんじんじん」

「……」


 さっきから新種のセミがいるな。ジンジンゼミとでも名付けよう。

 俺は鳴き声の主がいる方へと視線をやる。

 玄関ホールの端、来客を待たせるための横長のソファに、その新種のセミはいた。

 豪奢なドレスはとっくに着替え、普段着のゆったりした洋服に着替えたセミだ。ソファにうつ伏せになって鳴きながら、暇そうに足をじたじたさせている。


「じーんー」


 俺の視線に気づいたのか顔を上げ、うつ伏せになりながらも、てしてしとソファを叩いている。


「ふむ……」


 まぁ華麗な力業で一段落つけ、刀花もいないことだ。少し休憩に入ってもいいだろう。

 作業に見切りをつけ、セミと化したマスターに近づいていくと、彼女は無言で頭を上げる。その下に俺の膝を滑り込ませるように座ると、満足したような笑みを浮かべながら膝の上に頭を乗せてきた。


「随分人懐っこいセミだ」

「誰がセミよ誰が」


 膝枕をする際に仰向けとなったリゼットは、不満げに頬を膨らませて俺の顔を見る。

 その頬を指で突いて空気を抜くと、彼女は俺の指にガブリと噛み付いてきた。犬歯を立て、少し血を吸ったところで「う゛っ」と呻き、微妙そうな顔で指を離す。

 そうしてさらに頬を膨らませてペシペシと胸を叩いてきた。


「叩くな叩くな。まったく、我が二人目の担い手よ。堕落しすぎだぞ」

「ふんだ、私悪い子だもーん」


 だもん、ときたものだ。どうも一皮剥けたと同時に違う扉も開いてしまったようだな。

 リゼットはプイと顔を逸らすが、しばらくするとチラリとこちら見た後、甘えるようにして腹に頭をぐりぐりと擦りつけ始めた。擦り付けられる髪からラベンダーの香りがフワリと鼻をくすぐる。


「とんだ甘えん坊になったものだ」

「……だめ?」


 顔を埋めたまま不安そうな声を上げる少女。俺はそれを鼻で笑い、彼女の美しい金髪に指を通した。


「頼られて嬉しくない道具などいない」

「……ふふっ」


 ますます強く頭を擦り付けてくる少女の頭を撫でる。このマスター、甘え方が刀花に似てきたな……。

 ひどく妹化が進んできたマスターは、クスクスとおかしそうに笑っている。


「ねぇ、まだ日本に来て数日よ?」

「そうらしいな」

「綺麗なお屋敷に、無双の眷属に、最強の妖刀に、初めてのお友達に……ねぇどうするの?」

「何がだ」

「……夢だったら私、起きた後死んじゃうわ」


 ギュッと腰にしがみつく身体は、少し震えている。

 ……難儀な性格だ。自分の幸福を信じられぬとは。

 俺は彼女の頭を強くわしゃわしゃとかき混ぜ、そのくだらない妄想を一笑に付した。


「ふん、夢なものか。それにもうお前は妖刀に見初められたのだぞ。呪われた装備は外せんと相場は決まっている。例えお前が死んで地獄に落ちたとしても、俺はお前を探し出し連れ去ってくれるわ」


 まぁ、天国に行った場合はその限りではないがな。鬼は天国には立ち入り禁止なのだ。

 冗談めかして言うと、リゼットはキョトンとした後、口元に手をやってコロコロと笑った。


「頼もしいわね」

「俺を誰だと思っている? 俺は――」

「五百の魂を生け贄に、鬼を斬った妖刀を媒介にした無双の戦鬼さん、でしょ?」

「……わかっているではないか。ならば不安に思うようなことなど何もなかろう」

「ふふ、そうね。さすがは私の……だ、だ……」


 リゼットはそこで言葉を句切り、言いにくそうにしながら頬を染めた。


「……Darling」

「著名な地質学者で、種の自然選択説を――」

「なんでダーウィンが来たのよ」


 唇を尖らせながら突っ込みを入れるが、俺の表情を見てリゼットはニマニマという表現が適切な意地悪そうな顔を浮かべた。


「なぁに、照れてるの?」

「照れていない。聞き慣れぬ言葉に驚いただけだ」

「照れてるでしょ、じゃあこっち見なさいよ」

「照れていない」

「照れてる」

「照れていない」

「照れてる」

「えぇい、照れていないと言っているだろう? 都合のいい耳はこの耳か?」

「あっ、ちょっとやーめーてー! ふふ、耳に悪戯しちゃダメもう、やー♪」

「私は何を見せられているのでしょう……」


 ボソリと呟くその声に、主従合わせて顔を上げた。


「兄シャツで誘惑しようとしたら、兄さんが既に寝取られていた件について」

「確かに膝枕で寝てはいるな。俺ではないが」

「兄シャツて」


 いつの間にか自室から戻ってきていた刀花は、プルプルと震えながらこちらを見て絶望している。

 その姿は普段着と異なり、先ほど持っていった俺のシャツのみを着用した姿となっていた。シャンデリア風の照明を受けた剥き出しの健康的な足が目に眩しい。


「私が兄さんのシャツの香りを堪能している間になんてことを……」

「気持ちは嬉しいが、その報告はいらんかったなー」

「おまわりさーん」


 つい調子に乗った主従の息の合った突っ込みに、刀花は頬を風船のように膨らませて、視線を外してボソッと呟いた。


「兄さんなんか……嫌いです」

「ガハッ!?」


 涙目で言ったその言葉が、どのような凶器でも為し得ぬ傷を俺に付ける。

 俺は即死した。498回死んだ。残機1である。名うての襲撃者でさえ、ここまで俺を追い詰められはしなかった。


「許゛し゛て゛く゛れ゛刀゛花゛」

「あいたー!?」

「つーんだ、許しません」


 主人の頭を放り出し、つんと顔をそむける妹の足に泣き縋る。やめてくれ刀花、その言葉は俺に効く、やめてくれ。


「ほ、ほうら刀花。五秒で地球を両断できる魔剣だぞ。これで機嫌を――」

「いりません」

「で、では三秒……」

「いりませーん」

「一秒でどうだ!?」

「いりません~。お兄ちゃんのばーか。ばーかばーか」


 すっかり拗ねてしまった妹に、無双の戦鬼たる俺は泣いて許しを請うしかない。

 こちらを見もせず、すげなく片付けを続行する刀花に、ズルズルと引きずられていく。


 ――結局、この後一緒のベッドで寝ることを条件に、俺はなんとか許しを得るのだった。




「まったくもう、あのシスコン戦鬼……ご主人様の頭をなんだと思ってるのよ」


 私はぶつけた頭をさすりながら文句を言う。まぁソファだから別に痛くはないのだけれど。

 私を放り出したジンは、トーカの足に縋り付きズルズルと引きずられて階段を上っていく。その様は情けないことこの上なかった。無双の戦鬼も妹には形無しなのね。私もトーカみたいに言ったら泣いちゃうのかしら……。ふ、ふふふ……。


「いけないいけない」


 よからぬ考えを、頭を振って追い出す。そういうのはいざという時に取っておかないと。

 兄妹がいなくなり手持ち無沙汰となった私は、ソファから立ち上がる。これ以上片付けの邪魔をするのもアレだし、先にお風呂でも入ろうかしら。私お風呂の沸かし方知らないけれど。


「……うん?」


 沸いているといいなぁと思いつつ、浴場へと足を踏み出そうとした私の視界に、ふらりと興味を惹く物が映った。

 使い古された物が目立つ風呂敷の上に、手つかずの少し大きい箱があったのだ。

 正方形の固い紙に覆われ、表面には黒くて薄い機械の写真がパッケージングされている。ちなみに箱には札がついており「懸賞品」と書かれていた。


「えと、ぷ……プレステージ4?」


 あぁ、ゲーム機ね。

 しげしげと箱を検める。あの兄妹はゲームをしないのだろう、使われた痕跡はなく、箱は真新しい。一応持ってきたという感じなのだろう。


「ふーん……ジン~、このゲーム機使っていいかしらー?」

「ゲーム機……? あぁ懸賞で当たったやつか。どうせ売ろうと思っていたものだ、好きにして構わんぞー」


 生まれてこの方、娯楽というものをあまり体験してこなかった私は興味を惹かれ、上階のジンに声をかける。姿は見えないが、許可する声が届いてきた。


「片付けしてる間は暇だし、少しやってみようかしら」


 二人が作業しているとお茶も淹れられないしお風呂も沸かせない。

 私はほんの暇つぶしのつもりで、箱を持ち上げて自室へと足取り軽く向かうのだった。

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