第34話 交わされた約束
シエラが立ち去ってしばらくすると、入れ替わるようにして、エリーが慌てたように部屋に入ってきた。
今日はいつもの黒い服じゃなく、今の暑い季節にぴったりの白を基調とした涼しそうな格好をしている。
いつもと違うその姿に驚いていると、エリーは俺のそばにとことこと駆け寄ってきた。
(よかった……)
俺は改めて、エリーが生きていたことに胸をなで下ろした。自分も生き残ることができたのは
俺はエリーに
自分が生きていたことに感謝しながら再びエリーに向き直る。
エリーは何も話さずに、俺の目の前に近づいてくる。
窓からそよそよと流れる風がエリーの髪を揺らしている。俺たちは無言で少しの間見つめ合った。
静かに時間が流れていく。
不意に、エリーは俺の頭をその胸に抱きしめた。
柔らかい感触と共に、優しくあまい匂いが俺の鼻腔をくすぐる。そして、エリーの胸元から彼女の体温が伝わってくる。
いきなりの出来事に俺は動揺を隠せなかった。しかし、その温かさに触れるうちにだんだんと心は安心していく……と思っていた。
「痛い痛い痛い!頭がつぶれる!つぶれるって!」
比喩でなく、物理的に頭が破裂してしまいそうなほどに、エリーはきつく俺を抱え込んだ。
「ハロルド様はバカです。大バカです」
「痛ててて……!なんのことだよ?」
「
「ふたりとも生きてたからいいだろ?」
俺の言い訳を聞いてさらにぎゅうっと力を込めてくる。
「もはや言葉では言い表せないほどのアルティメットバカです」
「ぐおおおおおッ!割れる、なんか飛び出そう!」
エリーはそのまま俺をきつく抱きしめたまま言葉を紡いでいく。彼女のどこにこんな力があったのかとしばらく考え込んでしまいそうなほどだった。
「わかった、わかったから!俺が悪かった!」
ばたばたと腕の中でもがく俺を見ながら、エリーはちっともわかっていませんと呟いた。
「わたしがどれだけ心配したと思っているのですか、どれだけ責任を感じたと思っているのですか」
エリーの力が緩む。そのまま、今度こそ優しく俺の頭を抱えた。
「もう絶対、あんなことしないで下さい」
俺は泣きそうな声を上げるエリーに、なんと言葉を返したら良いかわからなかった。
ただ一言だけ、ごめんなと告げた。
回された腕が少しだけ震えているのがわかり、俺は虚空に伸ばされて手持ち無沙汰だった二本の腕をエリーの背中にまわした。
エリーはぴくりと身体を震わせる。しかし、そのまま俺の抱擁を受け入れてくれた。
俺たちはしばらくの間、そのまま抱き合っていた。
「こほん、ちょっとよろしいかお主たち」
思いがけずかけられた声に驚いたのか、エリーは俺をベッドに向かって突き飛ばす。
声のした方を見ると、そこにはクリュメノスがいた。
「申し訳ないが、このまま放置すると長くなりそうだったから声を掛けさせて貰ったぞ」
「ク、クリュー様……いつから見ていたのですか?」
「ん?お主らが抱き合おうとするところあたりからだな」
エリーはそれを聞いて、赤くなった頬を隠すように手のひらで顔を覆った。見られているとは思わなかったのだろう。
頬を染めたまま、俺とクリュメノスに視線を合わせないように椅子に座った。
「ハロルドよ、お主には早急に伝えないといけないことがあったのだ。邪魔をしてすまないな」
「いえ、それはその……大丈夫です」
エリーのほうに目を向けると軽く睨まれてしまった。
「まずはハロルド。約束していた親書の解読文章だ」
「ありがとうございます」
俺は親書を受け取ってその場で中身を確認した。
「……何が書かれているのですか?」
エリーも気になるようで、俺の後ろから覗き込んでくる。
『マモナク三年ノ月日ガ経過ス。霊峰ヨリ新タナ人員ヲ求ム』
親書に書かれていたのはたった一行だった。
俺たちは首を傾げた。正直、人員を求めていると言うことしかわからなかった。これが本当にシエラの言う教会のおかしなところを発見するのに役に立つのだろうか?
そして、この続きを知ろうとすることが、俺にとって本当に幸せなことではないのだろうか?
「さて、その文書はともかく、これからお主に伝えることは大事なことだ。エリーにも関係があることだから心して聞くとよい」
俺はクリュメノスのその言葉に、一旦親書について考えることをやめた。
「お主が
「よかった……」
「ところが問題はエリーのほうだ」
クリュメノスの言葉に俺は不安を覚える。エリーは俺に表情を見せようとはしなかった。
「何かあったんですか?」
「うむ、どうやらエリーは一度贄として消滅しかけたせいか、存在の次元が落ちてしまったようなのだ」
「はい?」
「簡単に言うと、お主を含めた人間全員にその存在が認知されることになった」
「それってエリーが死神ではなく、普通の人間になったと言うことですか?」
仮にそうだとしたら、俺の霊力を狩ることができなくなったエリーとは別れることになるかもしれない。
「実はそういうわけではない。エリーは死神の権能を持ったまま存在の次元だけが落ちたようなのだ。冥界の住人として魔術は使用できるし、鎌も顕現できる。つまりお主との契約は履行できると言うことだ」
クリュメノスのその言葉を聞いて、俺は少し安心した。
「つまり、他人から見えるようになっただけですか?」
「いや、他にもいくつか変化があって必要になったことがある。人間の生命維持に必要な睡眠と食事、そしてエリーの身分を証明するものだ。アナトルムに無断入国していた犯罪者として扱われかねないのでな。特にこの国の女王であるシエラとやらに昨日は何度も質問攻めにされたからエリーと共に返事を考えるのが大変だった」
どうやらエリーはシエラとも接点ができてしまったらしい。
確かに彼女のような人間からの質問は、核心をついた鋭いものがたくさん飛んできそうだ。
「申し訳ありません……」
エリーはすっかり肩身を狭くしていた。あわせる顔がないという感じだ。
クリュメノスは優しい目をエリーに向けながら、気にするでないぞと言った。
「そして、そのシエラ王女が病院にいたお主とエリーを重要参考人として王城に連れ帰って今に至るというわけだ。どう言う訳か、エリーを大層気に入ったようで、さっきまでこやつは着せ替え人形のようにされていた」
なるほど、それで今はいつもの黒い服じゃないのか。
当の本人は不服そうにしているが。
「ええと、話をまとめるとエリーは人間と同じ生活が必要になったけど、俺は今までと変わらずエリーと共に過ごしていいってことですよね?」
「そうだな、そして現世に干渉しないのは実質不可能になったからそれはもう気にしなくともよい。エリーに現世のことをたくさん教えてやってくれ。そやつは尋常じゃないほどの箱入り娘だからな」
クリュメノスはそう言ってくっふっふと笑った。
エリーもどこか照れくさそうに笑っていた。
俺はこの瞬間、みんな生きて帰ってこられて本当良かったと心から思った。
そうして和やかな雰囲気になったところで、クリュメノスがふと何かを思いついたようで、意地悪そうな表情をしながら話し始めた。
「しかしさっきの様子を見て自分は安心したぞ、これほどお主らがお互いのことを想い合っているなら、あのときのことも何も問題はなかろう」
俺はクリュメノスが何を言おうとしているのかなんとなく分かってしまった。
「ええと、それって……」
「うむ、察しの通り、お主がエリーに口づけをしたことだ」
エリーがすごい勢いでこちらに振り向く。驚きに見開かれた目はまっすぐに俺を射抜いていた。
「クリュー様、それってどういうことですか?」
エリーはクリュメノスに説明を求める。
「
「へ……?」
エリーは何を言っているのかわからないとでも言いたげな表情をしていた。
「発動の条件になっているのだ。まあ、別に唇にする必要はない。頬でも、手でも構わない。それなのにこやつ、エリーの唇を奪うものだから少し焦ったぞ」
「ちょっと待って下さい、それは俺も初耳なんですけど!?」
「な……な……」
エリーはパクパクと口を開けてあの夢はひょっとして……などと呟いている。あの夢とは何のことを言っているのか俺にはわからなかったが、その顔は耳までリンゴのように赤く染まっていた。
「確かに自分もキスをする必要があるとだけ言ったから勘違いさせたかもしれんが、お主たちのことを見ていると唇が最適解だったとすら思えるな。二人は愛の力で生き残った可能性もある」
クリュメノスは俺たちをからかうように言った。さすがに調子に乗りすぎただろうか、エリーの顔は真っ赤なままフリーズしたように動かなくなってしまい、俺たちから隠れるように俺が使っていた布団の中にくるまってしまった。
クリュメノスは満足気に鼻を鳴らし、いつものようにくっふっふと笑った。
「うむ、満足したぞ。エリーのこんな様子はなかなか見られるものではない」
「あなた鬼ですか?」
「神であるな」
なんとも無駄な問答である。
「さて、自分は先に帰っておるぞ。ハロルドよ、エリーを復活させておいてくれ。頼んだぞ」
「そんなこと言われましても……」
当事者である俺に何を言えというのだろうかこの神は。
「また困ったときは呼ぶがいい。ではな!」
ぴっと指を立てて、クリュメノスは冥界へと
とことん自由な神だった。
エリーのほうに目を向ける。彼女はまだ布団にくるまったままだ。
エリーとはかなり打ち解けられたとは思う。だが、助けるためだったとはいえ自分の知らないところで俺に唇を奪われていたことがやっぱりショックだったのかもしれない。
俺たちは恋人同士というわけではないのだ……。
「……やっぱり嫌だったのか?」
布団の中でエリーがピクリと動く。
「エリーを助ける為だったとはいえその……すまなかった。俺がもう少し機転を利かせて手の甲とかにすればよかったんだが」
「そ、そんなこと!」
エリーは勢いよく布団から飛び出してきた。
「ハロルド様が謝る必要なんかありません!わたしはあなたに、感謝しても仕切れないくらいなのですから!」
泣きそうな顔でエリーは言った。
「それにその……べっ、別に嫌とか……そんなこと……ありませんでした……からっ」
後半はほとんど聞き取ることが困難であったが、エリーの言葉は俺にはっきりと伝わってきた。
エリーに俺を責めるような気持ちは無いようで、少し安心した。もし嫌だと言われていたらかなりへこんだと思う。
「でも……ハロルド様はずるいです」
「へ……?」
「キ……キス……してしまったのですよ?それなのにどうしてハロルド様はそんな涼しい顔をしているのですか?」
どうやらエリーからはそんなふうに見えているようだ。だが、まったくそんなことはない。
あの時はエリーを助けたいという一心でキスしたが、する前は心臓の音が周りに聞こえるんじゃないかってくらいドキドキしたし、思い出すたびに恥ずかしくなる。クリュメノスがその話題を出したときも涼しい顔をしていたわけではなく、何を言えばいいのかわからなかっただけだ。
「ひょっとしてそういう経験が豊富で、もうこのくらいのことじゃなんとも思わないような人なのですか?」
「いや、俺もそういった経験は今まで無かったんだけど……」
悲しいことにこれは事実である。兵士になるための訓練に明け暮れていてそれどころではなかったのだ。
「そうなのですね……でも、わたしばかり恥ずかしい思いをするなんて不公平です」
エリーはベッドの上に正座しながら、頬を膨らませてそう言った。何故か少し嬉しそうな声色だった。
「そうは言ってもな……俺はどうしたらいいんだ?」
「責任……」
「え?」
「キスした責任……取って下さい」
エリーは俺に真剣な表情を向ける。青く澄んだ瞳は真っすぐにこちらを見ていた。
ここで「あれは緊急事態だったから仕方がなかった」なんて言い訳は野暮というものだろうか。
「ハロルド様は責任取る気があるのですか?どうなのですか?」
どこか緊張したような面持ちでエリーは言った。
エリーのこの表情を見るのは二度目だ。初めて見たのは彼女がタリアで買い物に行きたいと言ったときだった。
「……わかった、責任を取るよ。エリーが望むことをなんでも言ってくれ」
「二言はありませんね?」
エリーはベッドの上から降り、俺のところまでやってきた。
そして、あらかじめ決めていた言葉をなぞるように告げる。
「わたしが許可するまで、ハロルド様は死んじゃダメです。わたしはあなたが寿命以外で死ぬことを認めません」
エリーはそれを言い終わると小指を差し出した。
俺は促されるがままに小指を絡め、小さな儀式を行う。最後に指切りで約束したのはいつのことだったか……。
「……指切りましたから。絶対守って下さいね」
それから、とエリーは続けた。
「ハロルド様が寿命で死んだら、わたしがあなたの魂を冥界まで運びます。それまでわたしは一生、あなたのそばに居ます。頼まれても離れてあげませんから」
「なんか……プロポーズみたいだな?」
「んなっ……」
俺の放った一言にエリーはわなわなと震えていたが、はぁと一つため息をついて表情を緩めた。
「やっぱりハロルド様はバカです」
エリーはふてくされたようにそう言った。
なんだかそれがおかしくて、俺は笑った。
俺とエリーと、この先どれだけこの関係が続くかわからないが――。
エリーとの約束を守るために、俺は彼女の側にいて精一杯生きようと思った。
護衛兵やってたら死神と契約させられた件 奈佐 真宙 @nasamahiro
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