第39話 トールとの別れ


 長い航海の果てに、カナンとトールは水龍国スールン南部の港まであと少しという所まで来ていた。

 寄港する度に、その土地の人たちから情報を収集しながら航海を続けたけれど、月紫国ユンシィやその属領に異変が起きたという情報はつかめないまま、カナンたちは祖国の大地を見ることになった。


「もうすぐ港だ。下船の用意をしとけ!」

 ラクランが野太い声で怒鳴る。


「わかりました!」


 船室へ続く階段を下りようとしたカナンを、トールが引き留めた。


「カナン、悪い。俺は船を降りない。港から家まで、一人で帰れるよな?」

「え…………」


 振り返ったカナンは、目を瞠ったまま固まった。


「俺は、このまま東の島インシアに戻る。キースの手伝いをしたいんだ」


 トールは真剣な顔をしている。

 その顔を見て、彼の言葉がいつもの冗談ではないのだとわかった。


 一緒に家へ帰り、さらには王都への旅にもついて来てくれると信じていたトールが、船を降りないという決断をした。

 確かにトールは、シムルの男たちと親しかった。月紫国と戦うキースたちの力になりたいという気持ちは、カナンにもよくわかる。

 でも、トールはいつ、その決心をしたのだろう。

 カナンがトゥランの事で思い悩んでいる間、彼も悩み、自分の道を見つけたのだろうか。


「お別れだ、カナン」


 いつものやんちゃさは影をひそめ、トールは落ち着いた笑みを浮かべてカナンを見つめている。


「そんな……父様や母様には、何て言ったらいいの?」


 応援したい気持ちはあるのに、あまりにも急に降って湧いた別れに心がついて来ない。


「やりたいことを見つけたと、そう伝えてくれ。青湖が落ち着いたら、ちゃんと顔を見せに帰るからって。きっとわかってくれるよ」

「でも……」


 じわりと、目頭が熱くなる。

 目を潤ませたカナンの頭を、トールは安心させるようにクシャッと撫でた。


「おまえについて行ったお陰で、俺は世界がどんなことになっているのか知ることが出来た。自分がいかに狭い世界で守られていたかって事もわかったんだ。俺はシン家の三男だ。家のことは兄貴たちに任せる。俺は俺で、自分なりにこの世界と関わりたいんだ」


「トール兄……」


「カナン。おまえは、王子の身代わりで王都へ行ってから変わったよな。俺の知ってる、じゃじゃ馬なだけの妹じゃなくなった。世界を知り、それに関わった責任を、今まで必死に果たそうとして来たんだろ? トゥラン皇子のことだってそうだ。俺もこの旅で、俺なりに世界と関わった。その責任を果たしたいんだ」


 急に視界がぼやけて、熱いものが頬を伝ってこぼれ落ちた。

 カナンは以前、アロンから隠れるために、トールと一緒に秘密基地に逃げ込んだことがあった。あの時トールは、思い悩んでいる心の内を、カナンに話してくれた。


 ────みんな変わっていくのに、自分だけが元のまま。ちっとも変わらないと。


(兄さまも、見つけたのね)


 もう止められない。

 そう思った。


「王都まで、一緒に行けなくてごめん。事情を話せばサウォル兄が一緒に行ってくれるよ。王都につけばナガル兄もいるし、おまえの本当の兄貴もいる。大丈夫だ」


 トールの言葉にカナンは何度もうなずいた。


「ぜったい……絶対に、顔を見せに帰って来てよ! 怪我したりしたら、許さないんだからっ!」


 衝動のまま、カナンはトールを抱きしめた。

 トールはしっかりとカナンの身体を受け止め、あやすように背中を撫でてくれた。



 数か月ぶりに見る南都の港は、相変わらず賑やかだった。

 それなのに、ひとり船を降りたカナンの心はシンと静まり返っていた。

 これから、王都を目指さなければならない。ここで立ち止まっている時間はない。


(ひとまず、家へ急がなきゃ!)


 カナンは自分を奮い立たせ、貸馬屋で借りた馬で数か月ぶりの祖国を駆けた。

 すっかり春めいた南部の大地は、馬が地を蹴るたびに濃い草の匂いがした。

 久しぶりに見る我が家も新緑に包まれていて、家出した時とは様変わりしていた。


 驚く門衛に馬を預け、時間を惜しむように玄関前の石段を駆け上がる。

 玄関扉を乱暴に開くと、知らせを聞いて駆けつけてきたのか、サウォルが玄関ホールに走り込んで来た。


「カナン! ああ、無事で良かった!」

「サウォル兄さま!」


 カナンは兄の胸に飛び込んで抱擁を交わした後、すぐにサウォルを見上げて言った。


「説明は後でする! 急いで王都まで行きたいの! お願い兄さま、一緒に来て!」


 サウォルは眉をひそめて険しい顔をしたが、すぐに頷いてくれた。


「わかったよ。さっき王都から知らせが来たんだ。月紫国の属領が、一斉に蜂起したそうだ」

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