第38話 属領の蜂起
〝約束された春の日〟の夕刻。
トゥランは
自分の宮で旅装を解き、くつろぎながら夕餉の膳に手をつけようとしたところへ、皇帝の使いがやって来た。
トゥランはまるで引っ立てられるような強引さで、謁見の間へ連れ出された。
「なぜ戻って来た! トゥラン、そなた、今がどんな時かわかっているのか?」
珍しいことに、皇帝はトゥランに挨拶をする暇も与えずに激昂した。
玉座の上で苛立ちを隠そうともしない皇帝の姿にトゥランは内心呆れていたが、表向きには叱られた息子の情けない顔を崩さなかった。
「あー……申し訳ありません。シリンとの婚約を破棄するって言ったら、追い出されてしまって」
面倒くさそうにかき上げた髪を、トゥランはクシャクシャとかき回した。
「婚約を、破棄しただと? 何故そんな勝手なことをしたのだ!」
「父上の言う通り婚約はした。けど、やっぱり俺は、一つの所に長く居るのは苦手なんだ。それに……あの姫は少々ウザい」
トゥランが顔をしかめると、皇帝の背後に立っていたガォヤン将軍が眉をひそめた。
「トゥラン皇子。あなたのことだ。当然、各領に不穏な動きがあることくらいつかんでいたでしょう? そんな時に蘭夏を離れるとは……」
「不穏な動き? そんな報告は受けてないぞ。いったいどんな情報だ?」
そう言って、トゥランがとぼけた時だった。
「た、大変です!」
兵士が一人、息を切らしながら駆け込んで来た。
トゥランの立つ玉座前よりも、少し手前で膝をついた兵士の黒い軍服の腕には、伝令兵の印である黄色い腕章があった。
謁見の間の扉を守っている兵までもが、扉を開けたまま成り行きを見守っている。
「なっ、
跪いた兵士は青ざめた
「夜明け前の急襲で、本部の兵はまともに戦うことも出来ず、我ら伝令兵も囲みを破るのが精一杯。無事に領境を超えたのは、私ひとりだけという有様でした!」
「なんだと……南雷が?」
皇帝はようやく言葉を発した。
いつも酷薄そうな皇帝の顔が、虚を突かれた表情のまま固まっている。
(不穏な動きを察知していた割には、この事態までは想定してなかったんだな)
トゥランは心の中でほくそ笑んだ。
その間にも、複数の慌ただしい足音が謁見の間に近づいていた。
「も、申し上げますっ!
「こちらも鳥文です!
「ら、蘭夏からも同様の鳥文が届いています!」
「はぁ? 蘭夏もだと?」
最後の兵士が弱々しく口を開くと、トゥランは驚いたように目を剥いた。
「父上、俺は蘭夏へ戻る!」
そう言って踵を返す。
背後では、皇帝とガォヤン将軍が声を怒らせて指示を飛ばしていたが、トゥランは気にせず謁見の間を後にした。
彼の計画は、すでに第二段階へ入ろうとしていた。
その夜の皇宮は、どこもかしこも騒がしかった。
一方で、蘭夏へ戻ると言ったはずのトゥランは、唯一静かな自分の宮でのんびりとしていた。
「ヨナ、戻ったのか?」
寝そべっていた長椅子から顔を上げると、ヨナが酒器の乗った盆を手に部屋に入って来た。
「酒を持ってきましたが、念のためお茶にしておきましょうか?」
ヨナは真面目そうなその顔に、フッと人の悪い笑みを浮かべる。
「そうだな。で、動きはあったか?」
「ええ。第三皇子が風草。第二十一皇子が青湖。イェルン皇太子殿下が南雷へ向かわれるそうです」
「へぇ、イェルンが? よくあの皇后が許したな?」
「仕方なく……ですよ。兄弟で殺し合いが過ぎたのです。十歳以下の皇子は除外するとして、名目だけでも兵を率いて戦える皇子はそれくらいです。毒から生き延びた皇子のほとんどが寝たきりの状態ですからね」
ヨナは淡々と現状の説明をしながら、長椅子の前でお茶を注ぎはじめた。
「イェルン皇太子にはガォヤン将軍が付き添って行くらしいですよ。まぁ、あの我がまま皇子を御せるのは将軍くらいでしょうからね」
「確かにそうだ」
トゥランは笑ってヨナの淹れたお茶を飲む。
「こちらの兵はどうなってる?」
「計画通りです。皇都郊外の廃村に続々と集結しています」
中央にいる属領出身の兵たちを、トゥランは密かに集めていた。祖国のために、ある者は休暇を取り、ある者は脱走して、その場所へ向かっていた。
「では俺たちも、明日の朝には蘭夏へ向けて出発するとしよう」
トゥランは静かに微笑んで、ヨナの淹れたお茶を飲み干した。
この後────。
兵を率いて蘭夏へ向かったはずのトゥランは、廃村に潜伏。
皇子たちが属領平定のために兵を連れて皇都を離れた後、手薄になった皇宮に攻め上る。
各領の脱走兵を加えたトゥラン皇子の手勢は、瞬く間に皇宮を占拠し、後宮に逃げ込んでいた皇帝と皇后の喉元に刃を突き付けることになる────。
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