第35話 月青会談


 シムルとの会談当日。

 幸いなことに空は晴れ渡り、海も穏やかだった。


 大河を下って海に出たばかりのトゥランの船は、どこからともなく現れた中型の快速船にあっという間に囲まれて、そのまま航行することになった。

 どうやら、このままどこかの島へ案内してくれるらしい。


「大丈夫だよ。あんたの首を取ろうなんて思ってないからさ」


 トゥランを安心させるためなのか、キースが単身トゥランの船に乗り込んで来た。

 当初は、トゥランがシムルの船に乗り込んで話し合いをするつもりだったが、なるべく多くの幹部に話を聞かせたいというキースの提案を、彼は受け入れることにした。


 案内されたのは三日月型の小島だった。

 入江に船を泊め、島に上陸する。入江の奥に見えるのは寂れた漁村。いや、廃村だろうか。村人どころか、辺りには人っ子一人見当たらない。

 草ぼうぼうの道なき道を進み、かつては村の集会所だったとおぼしき細長い建物の前まで来ると、キースが立ち止まって振り返った。


「シムルの会議場へようこそ」


 目を細めて笑いながら、キースが朽ちかけた木の扉を開ける。すると、薄暗い建物の中に驚くほどたくさんの人間がひしめいているのが見えた。

 トゥランを守るためにパッと前へ出たヨナを手で押し退ける。

 人垣に囲まれた中央のテーブルの向こうに、赤毛の男が座っていた。シムルの首領だろうか。壮年の赤ひげをたくわえた男だ。


「トゥラン皇子、中央の席へどうぞ」


 彼が招くように向かいの席を手で示す。

 トゥランは、人垣に囲まれたテーブルに向かって一歩を踏み出した。

 足を進めると、壁にそって立ち並ぶ男たちから凄まじい圧が押寄せてくる。が、トゥランは彼らの圧よりも、人垣の中にカナンがいるのではないかと気もそぞろだった。

 そっと見回してみるが、彼女の姿は見当たらない。


 キースが椅子に座る赤ひげの男の横に進み出たのを機に、トゥランはテーブルの向こうに視線を戻した。

 彼らの後ろには、幹部と思しき二人の男が立っている。


「わしがシムルの惣領、ベアードだ」

「俺は月紫国ユンシィの第二十七皇子、トゥラン・ユンシィだ」


 握手を交わし、目の前のベアードの気迫に圧倒されながら腰かける。

 座った途端、ベアードがぐいっと身を乗り出してきた。


「早速本題に入るが、我らシムルは、属領の一斉蜂起には協力しても良いと思っている。月紫国が混乱すればこちらにも勝機があるからな。だが、あなたを信用することは出来ない。

 そもそも、あなたの狙いは何なのだ? 皇太子を飛び越して皇帝の座を狙っているのか? 例えそうだとして、属領を解放すると言っておきながら、皇帝になった途端に手の平を返さないとも限らない。要するに、わしらは、あなたを信じることは出来ない!」


 ベアードの言葉は、シムル全員の意思だろう。

 だが、トゥランもここで引くわけにはいかない。


「そこは信じてくれとしか言えない。俺の目的は皇帝位ではない。仇討ちだ。皇帝と皇后に殺された母の無念を晴らすために、あの二人から帝位を剥奪したいだけだ」


「その情報はこちらもつかんでいる。あなたのお母上は皇帝の寵姫だったそうだな。そして、皇后に殺された。仇討ちをしたいというあなたの意思を否定するつもりはないが、皇后はともかく、父親を殺せるのか? それとも、さすがに父親は殺せないか?」


 ベアードの赤ひげに隠れた口元が、皮肉そうに歪む。


「皇后には毒を。皇帝は、辺境の城に生涯幽閉。数多いる兄弟の処遇は後々考えるつもりだ」


 トゥランはテーブルの上で両手を組み合わせた。こういう質問をされると、自分の甘さを責められているような気がする。


「なるほど。ところでトゥラン皇子……その指輪はどこで手に入れた?」

「えっ?」


 ベアードが今までと違う鋭い目でトゥランを見ていた。

 一瞬何のことか理解出来なかったが、自分の左手の小指にカナンから返された指輪があることを思い出し、赤い石をそっと指先で撫でた。


「これは、母の形見だ」

「形見……あなたの母親の名を、教えてくれないか?」


 ベアードは食い入るように指輪を見ている。


「母の名は、ファランだが?」


「ファラン! やはりそうか。その指輪、覚えている。幼い頃、我が従妹が母の形見だと言って首から下げていたものだ!」


「従妹?」


「幼い頃、わしには従妹がいた。叔父上は地の民と結婚したから、従妹は黒髪の美しい少女だった」


 ベアードは懐かしむように目を細めた。


「彼女に最後に会ったのは月紫国が攻めてくる数日前だった。王都を急襲された日、幼かったわしは父上や兵士たちに守られて海へ逃げたが、城の外に住んでいた叔父上一家とは二度と会えなかった。みな殺されたのだと思っていたが……そうか。ファランは、月紫国の後宮にいたのだな」


「母は、青湖シンファの人間だったのか?」


 トゥランの母は後宮で育ったと聞いていた。しかし、その話を聞いたのは彼がほんの小さな少年だった頃のことで、母の出生地まで気にかけたことはなかった。


「キース!」


 ベアードは嬉しそうに、横に立つキースを見上げた。


「なんとっ! おまえとトゥラン皇子は〝はとこ〟だ!」

「はと?」

「えっ?」


 トゥランとキースは一瞬顔を見合わせてから、すぐにお互い顔を背けた。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る