第33話 開封


『────了承した。そちらの提案通りに準備を進める。くだんの姫は帰国されたが、水龍国スールン出身の兄弟は残っている。彼らと話をされるなら引き合わせよう』


 トゥランは、青湖シンファからの鳥文を広げて眺めては、くるくると丸めて箱の中に入れるという動作を何度も繰り返していた。


 今日の蘭夏ランシァは晴天だ。数日続いていた砂嵐が収まって青空が見えている。トゥランが滞在している部屋にも燦々と暖かな陽ざしが差し込んでいる。


(……姫は帰国したが、兄弟は残っている。か)


 鳥文の文面から分かったことは、カナンがトールの弟として青湖に滞在していることだった。

 風草ファンユンで会った時、キースは「これ以上カナンの心を乱すな」とトゥランに釘を刺したが、鳥文を見る限り、カナンに会わせてくれるつもりはあるらしい。


 ただ、トゥランが会えるのはあくまでも水龍国出身のだ。

 トールの弟に扮しているカナンに会ったとして、何を話せばいいのだろうか。

 会いたいという気持ちだけで面会を願い出てしまったが、今もまだ、ヨナの言葉が心に残っている。


『────すべてが整うまで、あの方に会うべきじゃない』


 ヨナの言うことが正しいと、頭では理解している。いま自分がすべきなのは、すべてを整えることで、トールのに会うことではない。


(わかってるさ)


 それでも、望んでしまう。

 せめて自分の心だけでも知らせる術はないものか────と。



 コンコン

 形だけのノックの後、ヨナが部屋に入ってきた。手には数枚の書類を持っている。


「フィルーザ王子は意外に使えますね。彼自身が剣を持つのは無理だとしても、兵法は一通り学んでいたみたいですよ。もちろん、うちの幹部が副官として助言している事もありますが、旗頭はたがしら以上の働きはしてくれそうです」


「へぇ……」


「今は兵たちの中に入って話を聞き、彼なりに軍の再編成に取り組んでいるようです。ただの弱気な王子様だと思っていましたが、なかなかどうして、立派な将軍になるかも知れませんよ」


 トゥランの執務机の上に、ヨナはバサッと書類を広げた。


「こちらが現在の軍編成。で、こちらが新たな編成の草案です。フィルーザ王子から目を通して欲しいと渡されました。王子いわく、兵たちの得意不得意を加味した上で、それぞれが働きやすい軍編成にしたいとのことです」


「お優しい将軍閣下だな」


 トゥランは皮肉を込めてそう言ったが、ヨナの言葉を否定はしなかった。


「我々が風草ファンユンに行っている間に、兵たちに希望部署や配置換えの希望などを募っていたそうですよ。ああ、そうそう。最近になってシリン様の護衛騎士が配置換えの希望を出したみたいで、フィルーザ王子が心配していました」


 そう言って、ヨナが意味深な視線を向けてくる。

 風草への旅で、トゥランは初めてシリンの護衛騎士だという青年の姿を目にした。いつも厳めしい顔をしているのに、シリンと言葉を交わす時だけ表情を和らげていたのが印象に残っている。

 シリンは確か、彼のことをアルティンと呼んでいた。


「あいつが、配置替え願いを?」


「ええ。彼はあなたを忌み嫌っているようですからね。シリン様があなたと結婚すれば、嫌でも顔を合わせる機会が増えますから、それで配置換え願いを出したのでしょう」


「…………!」


 一拍遅れて、トゥランは目を瞠った。

 ヨナが言わんとしていることを、ようやく理解出来た気がする。


「なるほど、そういうことか?」


 行き詰ったこの現状を、どう「整え」れば良いのか。

 そのことをずっと考えあぐねていたトゥランにとって、ヨナが仄めかしてくれたことは、この先、トゥランの悩みを解決する足掛かりとなってくれそうだった。


「ヨナ。今すぐアルティンを呼んでくれ!」


 トゥランは勢い込んでそう言った。

 ヨナが退室するのを待って、懐からカナンの手紙を取り出す。

 今まで、頑なに開封する事を拒んできた手紙を、深呼吸をしてから、一気に封を切る。すると、油紙に包まれた指輪がコロンと滑り落ちて来た。


 トゥランは指輪には目もくれずに封筒に指を差し入れると、折りたたまれていた紙を取り出した。一瞬躊躇ったあと、くしゃくしゃになった紙を広げた。

 目に飛び込んで来たのは、走り書きのようなひと言。


『あなたのご武運を、遠くからお祈りしています』


 互いの名前もない代わりに、トゥランを責める言葉も、別れの言葉も、そこには一切書かれてはいなかった。

 トゥランは安堵のあまり、詰めていた息を一気に吐き出した。


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