第32話 カナンの愛情
彼らは属領の一斉蜂起に
「その話が属領から出たものならば信じただろう。だが、
洞窟のような部屋に集まったのは、出発前と同じシムルの最高幹部五人と、カナンとトールの七人だった。
「その件については、俺たちも半信半疑だ。だからトゥラン皇子にも、青湖へ来てシムルを説得しろと言った。彼は俺の言葉に応じて二十日後の会談を提案してきた。
事後承諾で悪いが、モーベンに了承する旨の返事をするように頼んで来た。彼への疑いは実際に会って判断してくれ」
キースの発言に、ベアードが難しい顔で押し黙る。
顎鬚を指で梳きながら何やら考え込んでいたベアードが、不意にカナンに目を向けた。
「ケイル。きみはトゥラン皇子と面識があるらしいじゃないか? どんな男だ?」
「は、はい。彼には……二度ほど会ったことがあります。
月紫国には後宮があり、妃や皇子の数も多い。そのため兄弟間の争いは苛烈で、命の奪い合いすら日常茶飯事なのだと言っていました」
突然名指しされたカナンは、必死に動揺を隠し、トゥランとの出会いを客観的に話そうと
「トゥラン皇子の母親は、彼が幼い頃に亡くなったそうです。死因は、後宮ではよくある毒殺だったようです。水龍国に来た頃の彼は、母親の仇をとるため、皇后を殺して水龍国に逃げ込もうとしていました。ですが、今は属領となった国々を解放する事で仇を討とうとしているように見えます」
あの朔月の夜。トゥランは言っていた。────月紫国から属領を取り上げることで、皇帝及び、皇后の一族から力を奪うと。
────そう。トゥランは仇討ちを諦めたのではない。形を変えただけなのだ。
「もちろん、皇帝の命で属領を巡っていたトゥラン皇子は、各属領の有力者と友好を深め、彼らの状況を憂慮していたと思います。だから、属領の一斉蜂起は、トゥラン皇子にとっても属領にとっても、共に一番良い結果が得られるように考え、決めた事なのだと思います」
「……なるほどな」
ベアードは深く頷いたが、まだ納得してはいないようだった。
「トゥラン皇子がやろうとしている事はわかったが……彼は本当に信頼できる男なのか?」
初老の海軍総督ハミッシュが、静かに発言した。
「それは……ご自分の目で確かめてください。何をもって人を信じるかは人によって違いますから。ただ、月紫国へ招かれた時、私はトゥラン皇子が皇后の息子である当時の皇太子ユーラン殿下に手を貸し、皇都から脱出させる様子を見ました。
仇の息子であるユーラン殿下に複雑な思いがあったでしょうに、彼は、皇帝に取り上げられたユーラン殿下のお妃様を取り戻し、お二人を南の属領へ逃がしました。あの時、私は、トゥラン皇子の人となりを見たような気がしました」
わずか半年ほど前の事なのに、遥か昔の事のように思えてならない。
あの頃のカナンは、まだトゥランのことが苦手だった。
出来れば会いたくなかったし、再会してからも彼からどうやって逃げ回ろうかと、そんなことばかり考えていた。
でも、今思えば、あの頃からすでに自分はトゥランに惹かれていたのだ。
皇帝の怒りからカナンたち水龍国の一行を救い、仇の息子であるユーランを奮い立たせ、皇帝から彼の妻を救い出すために手を貸したトゥラン。
いつも強気で、腹が立つほど堂々としている彼に、いつの間にか惹かれていた。
水龍国に戻ってからもそう。南部領主の孫アロンとの断れない婚約話が出た時も、彼は頼みもしないのに現れてカナンを救ってくれた。
(あたしは……なんて幸せだったのだろう)
カナンが自分の恋心に気づく前から、トゥランは好意を示し続けてくれた。それが本心かどうかはわからなかったけれど、カナンには、シリン姫のように彼を必死で求める必要はなかった。
トゥランはいつも、カナンの前に居てくれた。
母の形見だという指輪をカナンに預けてくれたのは、彼の精一杯の誠意だったのだろう。
その誠意を、カナンは彼に返してしまった。彼の怒りが目に見えるようだったが、今も後悔はしていない。
(あたしに出来るのは、他に何もなかったから……)
シリンは、心からトゥランを愛している。彼女の言葉に嘘は感じられなかった。彼女ならきっとトゥランを支えてくれるだろう。
彼らの傍に、カナンの居場所はない。
(水龍国に帰ったら、月紫国を遠くから見守っていよう。だから、最後は、ケイルとして、笑顔でお別れを言おう)
シムルの幹部の前でトゥランの話をしたことで、今までカナンの心を曇らせていた霧は消え、雲間から光が差し込んできたような気がした。
「私個人の意見としては、トゥラン皇子は信頼に足る人物だと思います」
そう結んで、カナンは心からの笑顔を浮かべた。
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