第24話 青湖(シンファ)と風草(ファンユン)


 数か月ぶりに会ったカナンは、少年のような姿をしていた。

 短くなった髪を首の後ろで無造作に束ね、長旅でヨレヨレになった外套を身に纏っていたが、扉が開いてサラーナが姿を現すなり彼女はパッと笑顔の花を咲かせた。


「サラーナさん、お久しぶりですっ!」

「カナン……」


 再会を喜ぶ、屈託のないカナンの笑顔。その笑顔だけで、彼女は何も知らないのだとサラーナは察してしまった。

 胸がキューッと締めつけられる。

 廊下に立つカナンに、サラーナは込み上げる思いのまま駆け寄ろうとした。

 その足を寸前で止めたのは、案内役の青年と並ぶようにして見知らぬ男が立っていたからだ。


 背まで垂れた麦わら色の髪と空色の瞳。カナンと同じくたびれた外套を纏っていることから見て、その男が彼女の付き添いなのだとわかった。


青湖シンファの人間か?)


 そう察するのが精一杯で、サラーナはカナンに視線を戻した。


「カナン、彼は?」


「あっ、紹介します! 彼はキース。青湖シンファの友人です。どうしてもサラーナさんたちに引き合わせたくて、連れて来てしまいました。兄と、もうひとり一緒に旅してきた仲間がいるんですけど、門番の彼に、付き添いは一人だけって言われたから、取りあえずキースだけでも会ってもらおうと思って……あの、ダメだったですか?」


 屈託のない顔が、だんだんと心配そうに沈んでゆく。

 トゥランの事を知っているのかと問いただすつもりだったが、サラーナは喉まで出かかった言葉をギリギリで飲み込んで笑顔を浮かべた。


「構わないわ。さぁ、中に入って。ちょうどゾリグも来ているのよ」


 カナンたちが入室すると、コツコツと足を引きずるようなゾリグの足音が近づいてきた。サラーナが振り返るよりも先に、彼の大きな手がサラーナの肩を包み込んだ。


「カナン、よく来たな。そちらの青湖の方も、風草ファンユンへようこそ」


 ゾリグの低い声と手の温もりに包まれて、サラーナは心から安堵した。彼が居てくれなかったら、きっと取り乱していたに違いない。客人の応対もろくに出来なかっただろう。


「さぁ、暖炉の傍に座って。すぐにお茶を用意させるから」



 テーブルを挟んだ二つの長椅子に、サラーナとゾリグ、カナンとキースがそれぞれ並んで座った。

 穏やかに燃える暖炉の火。目の前には湯気を上げるミルクティー。ここへ来るまでに何度もお世話になった香辛料のきいたお茶を見て、カナンはふっと笑みをこぼした。


「山羊の乳が嫌いでないと良いのだけど」


 サラーナの心配そうな顔を見て、カナンは慌てて首を振った。


「大丈夫です。風草のお茶って独特だけど、癖になりそうなくらい美味しいですね!」


 カナンがお茶を飲むと、サラーナは心なしかホッとしたようだった。


「急に訪ねてきたりしてごめんなさい。どうしてもキースとお二人を会わせたくて……キースは青湖の旧王家の血を引く人で、シムルの次期惣領なの」


 カナンがキースの素性を明かすと、サラーナとゾリグは無言のまま目を瞠った。


「お二人のことは、カナンから聞いています。カナンは、月紫国ユンシィ相手に孤軍奮闘する我々に、他領との共闘を勧めてくれたのですが、シムルは月紫国の間者に悩まされた過去があり、俺ですら共闘はあきらめていました。でも、カナンは頭の固い幹部を説き伏せ、せめて他領の様子を見てくれと、今回の旅に俺たちを連れ出したんです」


 キースの言葉に、ゾリグが眉間を険しくする。


「私たちの計画を喋ったのか?」


「いえ、カナンは、月紫国に反旗を翻そうとしている友人がいるという事しか話さなかった。ただ、うちの幹部が一年半前の風草軍のことを覚えていてね。そのお陰でこうして訪ねてくることが出来た」


「ごめんなさい。勝手なことをして……」


 カナンは口を硬く引き結んだ。

 キースは庇ってくれたが、サラーナたちに断りもなく事を進めたのは事実だ。彼らにしたら、情報漏洩の危険を孕んだとんでもない行動としか思えないだろう。

 申し訳なく思う気持ちと、それを置いても青湖を動かしたいという二つの気持ちが、カナンの心の内で交錯していた。


「俺たちは正直、風草のことだけで精一杯だった。だが、青湖のことは気になっていた。もしも青湖がこの計画に加担するつもりがあるなら、俺としては詳しく話を聞きたいが……青湖は本当に、総督府を押さえるだけの力と覚悟はあるのか?」


 ゾリグが鋭い目をキースに向けたので、カナンは自分の心の中の葛藤を放り出して二人の顔を見比べた。


「シムルの本体は海賊だが、月紫国の荷を襲う盗賊団の方が人数は多い。それに、実は正規の仕事で青湖軍の軍人をしている者も多いんだ。総督府を押さえる自信はある。が、それはあくまでも月紫国軍にが来なければの話だ」


「その件についてはこちらも同じだ。だからこそ、属領が一斉蜂起して援軍自体の数を散らさないといけないんだ」


「他の属領は協力的なのか?」


「もちろん。今のところ、青湖と蘭夏ランシァだけが宙に浮いている状態だ。元々この計画は、トゥラン皇子の息がかかった南の属領から出たものだ。サラーナが皇都でカナンと関わったこと、俺が南雷ナーレイで助けられた縁で風草も参加することができた。が、さすがのトゥラン皇子も鉄壁の青湖には入り込めなかったらしくてな。青湖は諦めると言っていた」


 ゾリグの言葉は、いつぞやのトゥランの言葉とほぼ同じで、カナンは頷きながら聞いていた────が、ふいにゾリグの鋭い視線に見据えられてビクッと肩が跳ねた。


「カナンは聞いているか? 蘭夏は人材不足が顕著らしい。仕方なく、トゥラン皇子が直々に率いることにしたようだ。彼は蘭夏の元王女と婚約したぞ」


「ゾリグッ! 何もいま話さなくても!」


 隣に座るサラーナがいきなり立ち上がり、ゾリグの胸倉をつかんだ。


「…………えっ?」


 聞こえてきた言葉の意味が理解出来なくて、カナンはポカンとしてしまった。


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