第21話 灰色狼の群れ
冷たい風が、枯れ草色の山肌を撫で下ろしてゆく。
その風の流れに逆らうように、薄茶色の草が揺れる。
草からはみ出して揺れているのは、灰色の尾だ。
ひたひた、ひたひたと、音もなく近寄ってくる獣の群れ。
冬の山は獲物が極端に減る。普段なら人を襲うことは少ない獣も、餓えるくらいなら多少危険な獲物でも狩ろうとする。
気がついた時には、周囲を獣の群れに囲まれていた。
盗賊から逃げようと尾根の踏み分け道を駆け出したカナンは、その不穏な影に気づいて咄嗟に手綱を引いた。
「みんなっ! 戦いを止めてっ! 狼に囲まれてるよっ!」
叫びながら肩越しに振り返るが、キースたちは未だ盗賊たちと混戦状態だ。
「聞いてっ! 灰色狼の群れがいるのっ!」
そう叫んだ時、カナンを追って来た少年盗賊が、尾根の斜面に大きくはみ出した。
獣からは、それが群れから離れた獲物に見えたのだろう。近くの草陰に潜んでいた一頭が、少年の馬に向かって跳躍した。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
悲鳴のような叫び声を上げて少年盗賊は剣を振り回す。しかし馬は恐慌状態だ。獣の牙から逃れようと必死に足を蹴り上げる。
(助けなきゃ!)
カナンは背負っていた弓矢を手に取り、素早く矢をつがえた。
弦を引き絞り、動く標的に矢を向けた時には、周囲を囲んでいた獣たちまでが草を蹴散らして少年の方へ殺到していた。
(当たって!)
カナンは矢を放った。
ヒュンッ、と風を切って飛んだ矢は獣の前足を掠めただけだったが、それには目もくれず、第二矢を放つ。
今度は命中した。肩に矢が刺さった獣はギャウンと叫んで戦列を離れた。
しかし、獣はまだまだたくさんいる。
(こんな時に、腕が鈍ってるなんて、最悪だわっ!)
固く口を引き結んだままカナンは矢を放ち続けた。
カナンは貴族たちが遊びでする狩りは好きではなかった。シオンの振りをしていた時も、トゥランたちの狩りに加わろうとは思わなかった。
でも、弓自体が嫌いなわけではない。むしろ、剣ほどには男女の腕力差を気にせず使えるので、兄たちと競い合って鍛錬したものだった。
(それに、これは狩りじゃない。生きるか死ぬかの戦いなんだから……)
キリキリと結弦を引き絞り、カナンは狙いを定めた。
風の吹く山頂で、動く標的に当てるのは至難の業だ。的中率は五割。何頭かは倒せたが、少年の周りにはまだ多数の灰色狼がいて、飛びかかる隙を狙っている。
カナンが放った矢は、今まさに馬の足に跳びかかろうと跳躍した狼の目に突き刺さった。
声もなく落下してゆく獣を一瞥し、カナンは次の矢を取ろうと手を伸ばした。
そのカナンの指が、背負った矢筒の中で空を切る。
(うそ、ない?)
愕然とした時、ようやく少年の危機を悟った盗賊たちが、狼の群れに向かって殺到してゆくのが見えた。
(……よかった)
ホッと、気を抜いた時だった。
「カナンッ!」
叫び声と共にガクンと背を押された。
シャッ────と霧のような血しぶきが頭上から降り注ぐ。
振り返ると、カナンの馬に横並びするようにもう一頭の馬が体をぶつけていた。その背にいるのは、剣を振り上げるキース。
血しぶきを撒き散らしながら落ちてきた獣が、ドサリと草の上に転がった。
矢を射ることに夢中になるあまり、カナンは己に跳びかかって来た狼の存在に気づいていなかったのだ。
「大丈夫か?」
外套を血で濡らしたキースが振り返る。
「う……うん」
カナンは辛うじてうなずいたが、頭が痺れてうまく言葉が出なかった。
もしもキースが気づいてくれなかったら、助けに来てくれなかったら、自分はあの狼の牙か爪に倒されていただろう。
そう思うだけで、胸が冷たく凍るようだった。
「おいっ、急いで逃げるぞっ! あんたらも来いっ!」
カナンの恐怖を打ち破ったのは盗賊たちの声だった。
いつの間に少年を助けたのか、騎馬の一団はカナンの前の尾根道を疾走し始めていた。
チラリと狼の群れがいた方へ視線を向けると、倒れた馬が目に入った。
「馬が……」
「ああ。傷を負った馬を生贄に捧げたんだろう。狼が馬に食らいついている間に逃げよう。急がないと、餓えた獣どもがたくさん集まってくるぞ!」
トールとイビスがやって来るのを待たずに、キースがカナンの馬の尻を叩いた。盗賊の後に続けという意味なのだろう。
カナンを先頭に、四人は盗賊たちの後について尾根道を駆けた。
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