第20話 苦難の峠
よく晴れた翌朝、カナンたちは予定通り北へ向けて出発した。
駅馬屋が用意してくれたのは背が低くてがっしりとした馬だ。脚は太いし全体的にずんぐりしていてお世辞にも格好良いとは言えないが、もっさりした
このもっさり馬は山に強いと言われるだけあって、今までの荷物に加え冬山用に買い揃えた荷物を括りつけても、重さを感じさせない軽やかな走りで山道を登ってくれた。
山の天気は変わりやすいと言うが、その日は午後になっても天気に恵まれていた。
薄青い空と、岩と
「この分なら、夜までには宿のある村にたどり着けそうだ」
先頭で馬を進めるイビスがそう言ったので、カナンはホッと胸をなで下ろした。
灰色狼の話を聞いたせいもあるが、領境を超えればそこはもう異国と言っていい
山の旅に油断は禁物だ。だからこそ、都を出立した時から
「あーよかったぁ!」
イビスの言葉に緊張が緩み、辺りを見回す余裕も出てくる。
カナンたちが居るのは、なだらかな稜線に挟まれた峠道だ。灌木と岩はいつの間にか消えていて、急に開けた視界の向こうには遠く連なる山々が見える。
低い山の頂でもある尾根道には、枯れ草の上にところどころ雪が積もっている。数日前に降った雪が消え残っているのだろう。
「寒いわけね」
カナンは毛皮の襟巻の中に鼻先をもぐり込ませた。
良く晴れている日中でも、冬山用に買い足した革の外套を着ていてさえ寒さを感じるのだ。これで日が落ちたらどれだけ冷え込むのだろう。考えるだけで恐ろしくなる。
「この尾根沿いに向こうの山まで行けば、人里があるはずだ」
そう言って、先頭のイビスが馬首を巡らせた。
今まで登って来た山道から外れ、枯れ草に覆われた左の尾根道の、細い草分け道へとイビスが馬を進めた────まさにその時だった。
ヒュンッ、と風切り音が耳をかすめた。
どこからか飛来した一本の矢が、イビスの馬の足元に突き刺さった。
ヒヒィィィィィンと
それが合図だったのだろう。
小回りの利きそうな小型の馬に跨った男たちは、毛皮や厚手の外套を身に纏い、首元のストールで顔の半分を覆っている。
男たちは、鈍い光を放つ剣を高々と掲げながら殺到して来た。
「盗賊だっ!」
トールの叫び声が聞こえた。
物々しい空気を察知して、カナンたちが乗っている馬もせわしなく足踏みをする。
「どう、どーう。落ち着いて!」
一瞬呆然となったカナンだが、すぐに馬の首を叩いてなだめた。
怯えている暇はない。
殺到してくる人馬の群れに対抗すべく、カナンは震える手で剣の柄を握った。
「ケイル、下がれっ!」
どこからかキースの緊迫した叫びが聞こえたが、落ち着いて周りを見ることなど出来なかった。巧みに馬を操りながら打ちかかってくる盗賊の剣を、慌てて引き抜いた剣で防ぐのが精一杯だった。
キースはきっと自分たちの背後に回れという意味で言ったのだろうが、敵の数が多すぎた。
カナンたちのいる場所は尾根道のほんのわずかな細長い平地だ。両側の谷へ続く枯れ草の斜面は転がり落ちるほど急ではないが、敵よりも低い位置に下がってしまうと戦う上で不利になる。
そんな、戦うには不向きな場所だからこそ、盗賊たちはここを襲撃場所にしているのだろう。
(むりっ……ムリだから!)
打ち合わさった剣を何とか弾き返し、わずかでも間合いを取ろうとほんの少しだけ下がってはみたが、恐慌状態に陥っている馬は
(下手したら振り落とされちゃう!)
手綱を握る片手にグッと力を入れて、カナンは次の攻撃を防ぐべく剣を繰り出した。
カッ カッ カキーンッ!
刃が打ち合わさる金属音が絶え間なく聞こえる。
カナンも必死に敵の刃を防ぎ、薙ぎ払い、打ち下ろした。
そうしているうちに、ふと、相手の太刀筋が全く読めないことに気がついた。
(この人、自己流なんだわ)
盗賊なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、カナンでも防げる程度の腕だ。それに、顔の半分は隠れて見えないがまだ若そうな男だ。カナンと同じくらいか、もしかしたら年下の少年かも知れない。
(食いつめた村人が、旅人を襲ってるのかも知れない……)
ならば────。
カナンは剣を大きく振りぬくと、素早く馬首を巡らせた。
尾根の踏み分け道から草の斜面へ下がり、叱咤するように馬の腹を蹴る。
先頭に居るイビスの横を駆け抜けて尾根道へ戻ると、そのまま先頭切って逃げ出す────つもりだった。
ところどころに雪が積もった草の尾根道に目を向けた時、カナンは不穏な気配を感じた。何かに見られているような、痛いほどの気配。
そして、気がついた。
前方からひたひたと近づく草の波。
枯れ草の間から灰色の尾を揺らして走る獣の群れが、半円を描くように人間たちを取り囲んでいた。
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