第19話 風草(ファンユン)への旅


 北へと伸びる街道を、四つの馬影が疾走している。

 真っ直ぐな街道の周りは一面の枯野だ。

 春から秋にかけては豊かな穀倉地帯であるこの辺りも、冬の寒さは厳しく、田畑は色彩を失っている。そのせいか、行きかう旅人の姿はほとんど見えない。


「もう少しで青湖シンファ最後の宿場町に着く。少し早いが、今まで強行軍だった分、今夜はゆっくり休もうぜ!」


 先頭を走る一騎からイビスが振り返りながらそう言う。

 彼はマッケイの尋問とその後の処遇までをモーベンに託して、この旅に参加している。


 風草ファンユンへ向かって旅立ったカナンたちが、宿場町ごとにある駅馬屋(どうやらシムルの一員が経営しているらしい)で馬を替えながら旅を進められたのも、縦に長い青湖領土の約半分を三日ほどで駆け抜けられたのも、青湖全土に目を光らせている盗賊団のかしらイビスが同行してくれたお陰と言えるだろう。


 そんな訳で、カナンたちは想像していた何倍もの速さで北の領境へと近づいていた。


 青湖領最後の宿場町は、かつての国境だけあって大きな町だった。高級な宿からそれなりの宿までがちゃんとそろっている。

 カナンたちは、イビスの勧めで家族経営の小奇麗な宿に泊まることになった。


「領境を超えたら、駅馬屋は無いと思った方が良い。ここの駅馬屋には冬山に強い馬を確保してもらってるが、風草ファンユンは高地だ。こっから先は山道が続く。ここまでのような楽な旅は出来ないだろう。最悪、真冬の山で野宿もあり得る」


 夕食を食べ終えたばかりのテーブルを片付けて、イビスが風草方面の地図を広げた。

 彼の言う通り、風草の草原地方に入るには相当な山を登らなくてはならない。

 青湖と違って宿場町があまりないのは、風草が遊牧の民の国だからだ。彼らは組立式の家を運びながら草原を移動するため宿を必要としない。宿に泊まるのは、カナンたちのような外来の旅人だけなのだろう。


「なら、防寒着や毛皮、それに食糧も必要だな」


 イビスの斜め横で、キースが食い入るように地図を見ながらつぶやく。

 そんな二人の頭を見下ろして、トールが口を挟んだ。


「なぁ、この辺りに獣は出ないのか? 最悪の場合って言うけど、野宿しても大丈夫なのか?」

「獣……」


 ピクリ、とカナンが肩を揺らす。

 イビスはそんなカナンを目の端で確認してから、トールに向かって肩をすくめた。


「熊は冬眠しているから大丈夫だけど、灰色狼には要注意かな。キース様は海賊だから陸の生き物には疎いし、おまえらは土地に不慣れな異国者。やっぱ俺がついて来て良かっただろ? でもまぁ、相手は自然の獣だ。出くわしたら戦うしかない。覚悟だけはしておいた方が良いよ。そこの坊やもな」


 イビスに指をさされたカナンは、ゴクリと唾を飲み込んだ。



 山越えの旅に備えるため、イビスとトールは買い物に出て行った。

 日が落ちると途端に冷え込んできたので、お留守番のカナンとキースは、二人の帰りを待つ間お茶を飲むことにした。

 カナンが厨房から貰って来た生姜しょうが茶をカップに注ぎ分けていると、キースが何やら神妙な顔でこちらをじっと見つめてくる。


「キース、どうかしたの?」


 お茶を注いだカップをキースの前に置きながら、カナンは首を傾げた。


「ケイル……いや、カナン。風草ファンユンに入る前に、きみに聞いておきたいことがあるんだ。良いかな?」

「え、なに?」


 キースの顔を見れば、それがとても大事な話だということはわかる。でも、トールたちが出かけている間に話さなきゃいけないことなのだろうか。

 カナンが向かいに腰を下ろすと、キースはテーブルの上で両手を組み合わせた。


「カナン。きみが青湖シンファに来たのは、トゥラン皇子を助けたいから……なのか?」

「え?」


 青湖の北にある領境の宿場町で、キースの口からトゥランの名前が出たことがとても不思議だった。


「……彼の力になりたいと思ったのは本当よ。でも、それだけじゃないの。サラーナさんたちの力にもなりたいし……」


 言いかけた言葉をふいに途切れさせて、カナンは苦々しく微笑んだ。


「あたしは、たぶん、みんなが思ってるよりもずっと自分勝手な人間なのよ。トゥラン皇子やサラーナさんたちの力になりたいと思ったのも、心のどこかで水龍国スールンのことを考えていたせいかも知れない。だって、月紫国ユンシィの中で属領が立ち上がったら、皇帝は水龍国を攻めようなんて思わないでしょ?」


「ああ……そうだね」


 キースは目をパシパシと瞬いてから、ゆっくりとうなずいた。


「トゥラン皇子は、属領が一斉に立ち上がれば勝ち目があるって言っていたの。あたし、すごく納得したのよ。それなら、あたしは属領の人たちのために何かしたい。水龍国のために属領の人たちを利用するなら、せめて、みんなが勝つための助けになりたいなって思ったの。まぁ、あたしなんかじゃ、何の力にもなれないかも知れないけどね……」


 えへへ、とカナンは笑った。


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