第16話 イビスの策と都見学


「……カナン」


 淡い朱色の衣装を纏った女性が広間の入口に立っていた。

 彼女のすぐ後ろに立つトールは、隙あらば近寄って来ようとするシムルの男たちから彼女を守るために、扉の前で必死に両手を広げている。


 シムルの男たちが集まるモーベンの屋敷には、使用人以外の女性はほぼ存在しない。ましてや若い女性が訪れる事などごくごく稀なこと。男たちに興味を持つなと言っても無理なことだろう。

 キース自身、着飾ったカナンの姿から目が離せないでいる。


 立襟たてえりの朱色のチュニック。足首まである白のスカート。短い髪を誤魔化すためなのか、前髪だけはそのままに、髪飾り付きの薄絹で髪全体を包んで背中へ流している。

 貴族の衣装をまとったカナンの姿は南都でも見ていたが、こちらに近づいて来る彼女はハッとするほど美しかった。

 大きな黒い瞳と、赤い唇に目が惹きつけられる。


(────ああ)


 化粧をしているのだと、少し遅れて気がついた。

 カナンを案内していた侍女が施したものだろう。目元を整え、紅を刺しただけの薄化粧なのに、彼女の顔からはいつもの溌溂とした表情は消え、その代わりに大人っぽい甘さが強調されている。


「まだお話し中だった?」


 水龍国スールンの王女らしく見せようとしているのか、それとも緊張のためか、カナンの口調は固い。やや眉を寄せて真剣な顔をしている。


「いや、もう終わったよ」


 席を立ちながら、キースの口元には自然と笑みが浮かんでいた。まるで数年先のカナンを見ているようで楽しかった。


(大人になったカナンの隣には、誰がいるのだろうな……)


 トゥランの婚約話を耳にしたせいか、そんなことを考えてしまう。

 カナンの顔から光が失われなければいいのにと、キースは願わずにはいられなかった。



 キースがカナンを連れて広間を出て行った後、イビスはマッケイにこうささやいた。


「ここだけの話なんだが、さっきの女性はキース様の婚約者だ。月紫国ユンシィの脅威に怯える水龍国の王女が、シムルに助けを求めて来たんだよ。それが縁で、つい最近二人は婚約したんだ」


 まるで自慢するかのようなイビスの言葉に、マッケイは「それはおめでたいですね」とつぶやいただけだった。



 〇     〇



「ねぇ、この変装、いつまでやるの?」

「変装じゃないだろ。むしろ、今までの方が変装じゃないか」


 カナンの問いかけに、キースは思わず笑ってしまった。


 青湖シンファの都へ来て二日目。

 カナンとトールに都を案内してあげようと、キースは二人を外へ連れ出した。

 というのは表向きで、本当は、長い宴会から解放されたマッケイが今日あたり動きだすのではないかと予想して、捕り物騒ぎが起こる前に連れ出したのだった。そういった荒事をカナンに見せたくはなかった。


「青湖の服も良く似合ってるよ」


 今日のカナンは、青湖の女性が着る上下がつながった足首までのドレス姿だ。防寒の為にその上から外套を纏っているが、着慣れない服装が落ち着かないらしくソワソワしている。


(ドレス姿が変装だなんて、カナンは本当に可愛いな)


 微笑んでいる自分に気づいて、キースは思わず口元を手で覆った。こんなに緩んだ顔をトールに気づかれたら、何を言われるかわからない。


(危ない危ない)


 トゥランの婚約話を聞いてから、ついついカナンを気遣ってしまっている自覚はある。だが、やり過ぎて理由を問われでもしたら困ってしまう。

 トゥランの事は、何としてもカナンの耳に入れたくはなかった。


 キースはまず賑やかな商業区へ二人を案内した。

 海運の力で、青湖の都には様々な土地から商品が運ばれて来る。そういった交易品が商業区の小売店にも溢れているのだ。

 布地や小物雑貨、宝飾品を集めた店などを見て回ったあと、三人は商業区の中にある小ぎれいな食堂で、魚介と米を一緒に煮込んだ米料理を食べている。


「青湖の文化は独特よね。水龍国スールンでもお米は食べるけど、こんな風に魚介と一緒に煮込んだりしないわ。とっても美味しいわね」

「うん、美味い!」


 カナンとトールは米料理に舌鼓を打っている。


「青湖の湖水地方は米の栽培が盛んだから、米料理は多いよ。特にこの料理は、海の民だった旧王家の文化とこの土地の文化が融合して出来た代表的な料理なんだ。

 この都の周りも春には一面の水田になる。初夏から夏の間は水稲の緑が美しいが、残念ながら今は冬だ。旅の間も特に見るものはないだろうな」


 キースはにこやかに二人を見る。


「この後、どこか見たい場所はあるかな?」

「それなら、総督府が見てみたいわ」


 カナンの口から飛び出した言葉に、キースだけでなくトールも目を剥いた。


「どうして?」

「だって、総督府が今の青湖を統治しているのでしょ? 大丈夫、見るだけよ」


 カナンの赤い唇がにっこりと弧を描く。


「まぁ、外観を見るだけなら大丈夫だけど、さすがに中には入れないからね」


 キースはわざと眉間に皺を寄せてカナンを牽制した。

 カナンの行動は突飛で困る。彼女の中で、総督府はいつか倒さねばならない相手と認知されているのだろうか。


(総督府を見たら、次は軍本部を見たいなどと言い出さないだろうな?)


 キースは困惑顔で麦わら色の髪を搔き上げた。


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