第15話 間諜容疑の男


 カナンとトールが侍女に連れられて行ってしまうと、キースはマッケイが歓待されているという地下の広間へ下りていった。


 キースは海軍、もとい海賊団の一員なので、イビスたち幹部を除けば盗賊団の面子めんつとはあまり交流がない。マッケイという男に会うのも初めてだった。


 ザワザワと騒がしい広間の中央に、瘦せぎすの若い男が男たちに取り囲まれている。

 テーブルの上には酒とつまみの山。男が酒杯に口をつける度、周囲の男たちによって追加の酒がドボドボと注がれている。


 イビスとキースが近寄ってゆくと、その男の周りにいた者たちがサッと立ち上がって席を譲ってくれた。

 イビスはマッケイの隣に、キースはその向かいに腰を下ろす。


「マッケイ、この方がキース様だ。ベアード様はちょっと体調が悪くてな。キース様に来ていただいたんだ」


「よろしくマッケイ」


 キースが差し出した手を、マッケイはおずおずと握った。

 体同様に細い顔は不健康そうに青白い。茶色の髪もパサパサで艶がなく、いかにも月紫ユンシィ軍に囚われ、飲食を制限されていたように見える。


「その、わざわざ来ていただいて……申し訳ないです」


 マッケイは困ったように俯き、ボソボソと喋る。これだけの歓待を受けているというのに、どう見ても楽しんでいる様子はない。


「いや、構わない。それで、親父に何を知らせたかったんだ? 月紫国で仕入れた情報をどうしても伝えたいって聞いたけど、親父じゃないとダメなのかな?」


 キースは柔和な顔でマッケイを見つめた。


「いえ……そんなことは。ただ、俺は、ベアード様の意見をお聞きしたくて……お加減が悪いなら、俺がベアード様の所へ出向いても良かったんです。ていうか、俺は元々、ベアード様にご足労願うつもりなんて無かったんです」


 マッケイはしどろもどろに言葉を紡ぎ、青白い顔を振る。


「そうか……やはり俺ではダメか」


 キースが小さく息をつき落胆した素振りを見せると、心得たイビスが後を引き取ってくれた。


「実を言うとな、ベアード様はこの所ずっと体調が優れなかったらしい。それで、シムルの惣領の座もキース様に明け渡すおつもりらしいんだ。ベアード様がそう決めたなら、俺らは従うまでだ。今後はキース様がシムルの舵取りをすることになるだろう」


「……ベアード様は、そんなにお悪いのですか?」


 マッケイは縋るような目で、イビスとキースを交互に見つめる。


「今すぐどうこうなるほど悪くはないよ。でも、気持ちがね。早く引退して穏やかに暮らしたいらしい」


 キースは肩をすくめ、苦笑して見せた。


「そんな訳だから、俺に話してくれるかな?」


 首を傾げて窺うような視線を向けると、マッケイの瞳に諦観の色が浮かんだ。

 心を落ち着けようとしているのか、彼は幾度か呼吸を繰り返してからやっと口を開いた。


「これは、月紫国ユンシィの牢獄で仕入れた情報です。裏は取れてないので真偽のほどはわかりませんが、状況によっては今後の情勢が変わるかも知れない。そんな情報です」


 マッケイは小さな声でそう前置きしてから、月紫国の情報を口にした。


「どうも、月紫国皇帝から属領の管理を任されている皇子が、蘭夏ランシァの元王女と婚約したようです。これまで蘭夏を事実上支配してきたガォヤン将軍は中央へ戻り、今後はその皇子が蘭夏の統治をするらしいです。兵士たちがそう噂していました」


「へぇ」


 意外な情報に、キースは眉をひそめた。

 マッケイがベアードとの面会を求めていたのは、おそらくシムルの隠れ島を探すためだろう。その為にでっち上げた偽情報ならば、もっと中央寄りの情報を出して来るのではないかと思っていたのだが、彼が口にしたのは、遠い西の属領である蘭夏の情報だった。


(この情報……まさか、本物なのか?)


 属領の管理を任されている皇子と言えば、キースはあの男しか知らない。


「その、皇子の名は?」

「トゥラン皇子です」


(……やっぱり)


 納得すると同時に、カナンの顔が浮かんだ。

 南都で過ごす間、カナンはあの男と親しげにしていた。いや、親しげなんて軽いものじゃない。彼女の様子は恋する娘のそれであり、あの男もキースを目の敵にするほど彼女を大切に想っているように見えた。なのに────。


(カナン……)


 この情報を彼女が知ったらどう思うだろうか。あの男に想いを寄せていたなら、かなりの衝撃を受けることになるだろう。

 太陽のように笑う彼女の顔が、暗く沈む未来が容易く想像できてしまう。


「真偽がわからない情報を広めるのは良くないな。この話は他言無用にするとして……きみが『状況によって今後の情勢が変わる』と考えた理由を教えてくれないか?」


 キースは努めて事務的に問いかけた。


「それは……ガォヤン将軍が去った蘭夏が、もしも、皇子を取り込んで味方につけることが出来れば、あの国も月紫国に抵抗するようになる可能性があるのではと……そのあたりの事をベアード様にもお聞きしたかったんです」


「なるほど。きみは蘭夏の情勢にも詳しいみたいだな」


「いえ、全部聞きかじりです」


 マッケイが視線をさまよわせた時、広間の扉が開く音がした。

 キースは扉に背を向けて座っていたが、それでも十分、男たちの騒めく声が聞こえて来る。

 この部屋にいた男たちは、確かキースと入れ替わりに広間から出て行ったはずだった。


(まだ、部屋の近くに残っていたのか?)


 訝しく思いながらキースが扉の方へ振り返ろうとした、その時。

 若々しい女性の声が響いた。


「キース、お話はまだ終わりませんか?」


 その声に、キースは弾かれたように後ろへ振り返った。


「……カナン」


 彼女の姿を認めたキースは、呆けたように彼女の本名をつぶやいていた。

  

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