第13話 出発前夜


 午前中の緊急会議で青湖シンファへ渡ることが決まった、その夜遅く。

 カナンとトールはいつものように食堂の手伝いをしていた。


 食堂で一日の最後にする仕事といえば掃除だ。酔いどれ男たちが自室に戻った後、厨房の料理人たちが明日の仕込みをしている間に、カナンとトールはテーブルを整え、床を掃いてきれいにする。

 毎日やってきた仕事だが、それも今夜が最後だと思うと何だか寂しくなる。


「ご苦労さん。ほら、飲んでけ」


 無心で掃除を終えたカナンとトールに、料理人が温かい蜂蜜入りのお茶を淹れてくれた。

 明日、キースについて二人が青湖本土へ渡るという話を聞いた料理人たちは、とても残念がってくれた。


「ありがとうございます!」


 二人がお礼を言ってカップを受け取ると、料理人は「手伝ってくれてありがとな」と言ってクシャッと笑った。


 カナンとトールは、カップを手に窓際の席へ移動した。

 開け放たれた窓からは、冬らしい冷たい空気が入って来る。けれど、そこから見える夜空は澄み渡り、眩いほどたくさんの星が煌めいて息を呑むほど美しかった。


「すごい……」

「ああ。星が降って来そうだな」


 窓際の席に座り、二人で空を眺める。

 ほうきで床を掃いたり、椅子の上げ下ろしをして温まっていた身体が、外気にさらされてだんだんと冷えて来る。

 カナンは手の中にあるカップの温もりを確かめてから、お茶を一口飲んだ。


「明日は青湖本土。その後は、風草ファンユンかぁ」


 星空を見上げながら、しみじみとした口調でトールがつぶやく。

 もしや国を出たことを後悔しているのだろうかと、カナンは急に不安になった。


「トールにい、後悔してるの?」


 カナン一人で来るはずだった青湖に、無理矢理ついて来たのはトールだ。

 もちろんカナンは、トールがついて来てくれたことに感謝しているし、心強く思っているが、今さら思っていたのと違うと言われても困るのだ。


「馬鹿言うな。後悔なんかしてないよ。てゆーか、俺はワクワクしてるんだ。一度も南部を出たことがなかった俺が、国を出て他国を見て回ってるんだぞ」


 トールはそう言ってニカッと笑うと、手を伸ばしてカナンの頬をつまむ。


「心配すんな。おまえの行く所なら、どこへだってついて行ってやるよ」


 その笑顔と言葉にホッと安堵している自分に気づき、カナンはくしゃりと笑った。


(あたし、兄さまが来てくれなかったらどうしてただろう?)


 長い航海の間も、この東の島インシアに来てからも、トールが横に居てくれたから笑っていられたような気がする。一人だったらどこかでへこたれていたかも知れない。

 カナンが物思いにふけっていると、食堂に声が響いた。


「二人とも、ここに居たのか!」


 声の方へ振り向くと、食堂の入口にキースが立っていた。彼はカナンたちのいる窓際の席に大股で歩み寄って来る。


「明日は出発なんだから、食堂の仕事までしてくれなくても良かったのに」


 眉根を寄せてキースはそう言う。どうやら、心配して探しに来てくれたらしい。


「お世話になったんだから、これくらい」

「そうだよ」


 カナンとトールがそう言うと、キースは小さく息をつき、急に神妙な顔をしてカナンを見下ろした。


「ケイル……その、何だ、おかしなことになってゴメン」


 キースがぺこりと頭を下げた。


 キースの言う〝おかしなこと〟とは、カナンが担うことになった青湖での役割のことだろう。

 今朝の緊急会議でイビスが提案してきたのは、風草ファンユンへ行く前に青湖の都に立ち寄り、そこで間諜容疑の男の真偽を確かめることだった。しかも、その男に、カナンをキースの婚約者として紹介するのだと言う。それも、として。


『シムルの後継者が水龍国スールンと手を組んだと間諜が知ったら、当然何かしらの動きを見せるだろ? そこをとっ捕まえるって寸法さ!』


『あら、いい作戦だわね。あなた達、せっかくだから、風草へ行く道中も夫婦を装ったらどうかしら? その方が安全なんじゃない?』


 イビスの作戦は、何故だかアイルサの心を掴んだようだった。


『ですねですね! 俺も賛成です。今は何とも思ってなくても、共に旅する間に関係が深まって、瓢箪ひょうたんから駒ってこともありますよね!』


 誤解は解いたはずなのに、イビスの悪乗りは止まらない。

 会議でのことを思い出して、カナンは恥ずかしくなってうつむいた。


「本当にゴメン。母は以前から早く結婚しろってうるさかったんだけど、俺がいつも適当にごまかしてたから、なんだか暴走しちゃって……嫌な思いをさせてすまない。母は、俺が女の子を連れて来たと知った瞬間から、変な妄想を膨らませてしまったらしいんだ。あの後よく言って聞かせたからもう大丈夫だが、本当にすまなかった」


 キースはまた頭を下げる。

 カナンはちらりと厨房を見た。距離があるので見えないかも知れないが、首領の息子が従者に頭を下げるのはいただけない。


「そのことならもう大丈夫。それより、イビスさんは、本当に王女の衣装を用意してくれるのかな?」


 イビスは得意げに胸を叩いていたが、彼に任せて良いのか少し不安だ。


「ああ……実は、俺もちょっと不安なんだ」


 カナンとキースは顔を見合わせて、へにゃりと笑い合った。

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