第11話 蘭夏(ランシァ)の未来


 トゥランとヨナは、半月ぶりに蘭夏ランシァの土を踏んでいた。

 理由はもちろん、『蘭夏の姫と婚約してこい』という皇帝の命を受けてのことだ。


 青の都の中心にある領主館に二人が足を踏み入れると、前回と同様、ガォヤン将軍がいち早く出迎えに出た。


「ようこそトゥラン様!」

「ガォヤン! おまえ、父上に俺の動向を報告したらしいな?」


 トゥランが怒りを込めた視線を向けると、ガォヤンは皺深い顔をニヤリと歪ませた。


「私の仕事は、この蘭夏の出来事を陛下に報告することです。あくまでも真実をそのまま書き記しただけですが……どうやら、あなたとシリン姫の婚姻を願う領主様の思いを後押しすることは出来たようですな」


 トゥランの気持ちなどお構いなしに、ガォヤンはハハハハッと愉快そうに笑った。


「後押しだと? ずいぶん善人ぶるじゃないか。おまえの真意は何だ。何を企んでる?」


「企んでいるとは人聞きの悪い。私はこの蘭夏で、もう十年以上過ごしています。その間、月紫国ユンシィのために骨を折って来ました。ですが、砂漠の国はもう飽き飽きなのです。そろそろ故郷に戻りたいと思いましてな」


「ほぅ。血に飢えたおまえが故郷に帰りたいと? ならば今すぐ帰るがいい。おまえの後任には俺の部下を据えておくから安心して帰れ」


 トゥランは獰猛な笑みを浮かべた。


 蘭夏の【影の支配者】ガォヤン────トゥランは以前から、彼のことを目障りに思っていた。

 この先、万が一にも水龍国攻略が始まったならば、ガォヤンが嬉々として先陣を切るのではないか。蘭夏の悲劇が水龍国スールンで再び起こるのではないか、と不安に思っていたのだが────。

 故郷に帰りたいというガォヤンの言葉が本心かどうかはわからないが、これは、彼を遠ざけるまたとない好機だ。


「おまえを将軍職から解任する。書類はすぐに書いて、あとで届けさせよう」


 挑発するような笑みを浮かべるトゥランとは対照的に、ガォヤンは朗らかに一礼した。



 〇     〇



 トゥランが旅の埃を落した頃、侍従がやって来た。


「領主様が、ぜひ晩餐をご一緒したいそうですよ」


 侍従から伝言を受け取ったヨナが、にこやかに微笑む。


「あちらは手ぐすね引いて、トゥラン様を待っていた様ですね」

「だろうな。仕方がないから行くが、衣装は黒にしてくれ」

「かしこまりました」


 いつもは自分の色である青を好むトゥランだが、ここ蘭夏の都の色も青だ。当然、元王族である領主一家も青色を好む節がある。ここでトゥランが青を着れば、色を合わせた服で彼らと食卓を囲むことになる。


(考えるだけでゾッとするな)


 衣装を用意したヨナに着替えを手伝ってもらいながら、トゥランは重いため息を吐き出した。


 ふと、頭をぎるのは水龍国南部の都で過ごした日々だ。

 カナンに求婚したアロンを撃退するために、彼女と二人で青色の服を着て婚約者を装った。あれからまだ二月ふたつきほどしか経っていないのに、今度は自分に結婚話が持ち上がっている。


「出来ましたよ。ああ、すごく魔王感が出ていて良いですね」


 正面からトゥランを見たヨナが、人の悪い笑みを浮かべて揶揄からかってくる。

 トゥランはヨナの軽口に応じる気にもならず、ただ踵を返して「行くぞ」とつぶやいた。



 この日の晩餐は広間ではなく、こじんまりとした部屋で家族だけの会食となった。

 領主一家が普段から食事をしている部屋なのだろう。暖炉まわりの壁面に青タイルが散りばめられた、とても美しい部屋だ。


 思った通り、領主一家はみな青を基調とする服を纏っていた。その中でもシリン姫のドレスは青タイルに似た瑠璃色で、彼女にとてもよく似合っていた。

 くるくる巻き毛の長い黒髪。アーモンド形の大きな目は艶やかなオニキスのような黒だ。砂漠の日差しから大切に守られて育った色白のシリン姫の頬は、トゥランの姿を見るなりパッと朱に染まった。


 領主夫妻にフィルーザ王子、そしてシリン姫とトゥラン。五人だけの晩餐会は家庭的な雰囲気で始まった。


 香草を使った羊肉の串焼き。米の入ったスープ。芋と肉の煮物。パプリカの肉詰め。様々な料理が並べられ、それを使用人が取り分けてくれる。


 黙々と食事を進めるトゥランは、簡単な会話には応じるが明らかに不機嫌そうだ。そのせいか、領主ウルマンはなかなか話を切り出さない。

 ヨナは『手ぐすね引いて待っていた』と揶揄やゆしたが、どちらかと言えばすがりつきたくて仕方がないといった雰囲気だ。

 仕方なく、トゥランは自ら話を振ることにした。


「ウルマン殿から婚姻の打診が来ていると、父上から聞いた。父は乗り気のようだが、俺はまだ結婚するつもりはない」


 トゥランがそう言うと、隣に座るシリン姫がビクッと肩を震わせた。


「それに、俺はこの先、妻を何人娶るかわからない。その辺のことはどう考えている?」


 再びシリンの肩が震えたのを感じながら、トゥランの目はウルマンを捕らえている。

 婚姻の話はウルマンから出たものだ。当事者であるシリンよりも、彼女の父であるウルマンの意見が物を言う。


「わ、わしに異論はありませぬ。今すぐでなくとも、トゥラン皇子様が我が娘の婿となってくださるなら、蘭夏にとってこれほど心強いことはありません」


 今にも縋りつきそうな勢いで、ウルマンが身を乗り出して来る。

 それにうなずいてから、トゥランは隣に座るシリンに視線を向けた。


「シリン姫、あなたは?」

「わ、わたくしも、父と同じ気持ちです」


 俯いたままのシリンが消え入りそうな声で答える。


「なるほど。俺があなたを軽んじても構わないと?」


「……わたくしには、これ以上を望むことなど出来ません。貴方様のお情けにお縋りするだけでございます」


 肩を震わせながら答えるシリンを見ながら、トゥランは小さくため息をついた。

 シリン姫はトゥランのことを好いている────ヨナはそう言っていたが、とてもそうは思えない。どちらかと言えば恐れられているのではなかろうか。


 トゥランはこれ以上シリンと会話することを諦め、その冷ややかな視線をウルマンの隣に座るフィルーザ王子に向けた。

  

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