第10話 ベアードの答え


『────あなた方は、もしも彼らが手を差し伸べてきたら、その手を取ってくれますか?』


 個人名はもとより、属領の名前すら出さないカナンの話が、頭の固いシムルの面々に受け入れられるはずはない。

 シンと静まり返った洞窟のような部屋で、カナンは居たたまれずに視線を落とした。

 静寂を破ったのは、今まで一言も発しなかった初老の海軍総督ハミッシュだった。


水龍国スールンの王女。あなたの言葉では我らを動かすことは出来ない。それどころか、あなたが月紫国ユンシィの間者かも知れないと勘ぐることも出来るのです。それは、あなた自身もお判りでしょう?」


 まるで、出来の悪い生徒を諭すようなハミッシュの優しげな言葉に、カナンは肩を落としたままうなずいた。

 今のカナンでは、ハミッシュの提示した疑惑を解消することは出来ない。出たとこ勝負は、結局カナンの惨敗だ。


「あなたは友人を庇うため、国の名すら明かそうとしない。それでは、裏を取ることも出来ない。どうしようもないのです────」


「いや、その話、分かるかも知れないぜ」


 ハミッシュの言葉を、イビスが横取りした。


「その友人の許嫁は、盗賊の討伐を理由に徴兵されたって言ったよな? 盗賊ってのが俺らの事だとするなら、討伐に引っ張り出されるのは隣の風草ファンユンの連中だ。もしそうなら、俺はその許嫁に心当たりがある」


 イビスの言葉に、カナンはハッと顔を上げた。

 彼はシムルの盗賊団のかしらだ。月紫国ユンシィが討伐をしようとしていた青湖シンファの盗賊というのは、彼の部下たちのことだ。幹部イビスなら当然、青湖領内に入っていた風草の討伐軍のことも把握していただろう。

 カナンの視線を受けて、イビスの青い瞳がキラリと光る。


「一年半ほど前の話だ。青湖領内に討伐軍が入ったって俺らの間でも騒ぎになったことがある。当時の俺はまだ副官で、各地から送られて来る情報をまとめて総督に上げるのが仕事だった。でもあの時は、騒ぎの大きさの割に、討伐軍は来なかったんだ。けど、青湖領内で風草の兵が右往左往していたのは本当だ。伝わって来た噂じゃあ、奴ら、風草の大貴族の行方を血眼になって探し回っていたらしい。その大貴族ってのは────」


 わざとらしく一拍置いて、イビスはニヤリと笑った。


「ナイダン族の惣領息子、ゾリグ・ナイダン────やっぱそうか!」


 反応してはいけないとわかっていたのに、カナンは思わず息を呑んでしまった。

 カナンの様子を肯定の意味と取ったイビスは、嬉しそうに「へぇー」と声を上げた。


「奴は生きてたのか!」


「誰にも言わないでくださいっ! お願いっ! 死んだと思われている今だからこそ、自由に動けるんだって言ってたんです。あたしのせいで、彼らを危険に晒す訳にはいかないんですっ!」


 カナンは椅子から立ち上がり、テーブルの上に身を乗り出して懇願した。

 彼らの命がけの計画が自分のせいで破綻してしまったら、死んで詫びても追いつかない。


「そんな顔するなって。誰にも言わねぇよ」


 イビスは例によって手をヒラヒラさせる。


「ってか、俺は奴が生きてるって知って嬉しいんだ。会ったことはないが、風草のゾリグ・ナイダンと言えば馬術剣術ともに凄腕で有名だ。いつか手合わせしてみたいと思ってたんだよ。……まぁ、そんな感じで、奴の勇名は他国人の俺たちにまで轟いてるって訳だ。月紫国の連中が危ぶむのは当然だろうな」


 最後の方はしみじみとした独り言のようなつぶやきだった。

 カナンがホッとしてストンと椅子に座ると、ベアードが口を開いた。


「キース、おまえはどう思う? そもそも、カナン王女を連れて来たのはおまえだ。彼女ばかりに喋らせないで、おまえも自分の考えを言ったらどうだ?」


 ベアードの言葉に、全員の視線がキースに向けられる。

 キースは大きなため息をついてから、口を開いた。


「水龍国で、カナンからこの話を聞かされてから、俺はずっと考えていたんだ。カナンの言葉だけじゃシムルは動かない。その話が本当かどうか確認するには、相手に直接会って話をするしかないだろう、と。だから、俺は、カナンと一緒に風草に行ってみようと思う。」


 キースの答えに、ベアードはうなずいた。


「……なるほど。カナンは、それで良いか?」


「えっ、ええ、もちろん。でもあたし、風草には行ったことないんです。それでも良いですか? 彼女の家もわからないんですけど……」


 カナンがモジモジと答えると、ベアードは笑った。


「その方が都合が良い。キースが探し当てた場所で、カナンが友人に会えれば、それだけで話の信憑性を裏付ける一助となるだろう」


「はい、はーいっ!」

 イビスが騒々しく手を上げた。


「それ、俺も同行して良いっすかね? キース様の護衛も兼ねて」

「構わぬが……おまえ、暇なのか?」


「いえ、暇じゃないっす。でも、面白そうじゃないですか。俺の代わりなら、ついこないだまで総督だったモーベンの親っさんがいるし、大丈夫ですよ!

 ってゆーか、ついでにキース様に王都に寄ってもらおうかなって思ってるんです。実は、俺がインシアに来たのはこっちの用があったからでして────」


 勿体ぶるようなイビスの言葉に、ベアードが顔をしかめる。


「用とは何だ? 早く話せ」


「実は、俺の部下で行方不明になってた奴がいるんですけど、そいつが少し前に戻って来たんですよ。何でも月紫国の兵に捕らえられたけど、逃げて来たって言うんです」


「イビス……おまえ。そいつを今どうしているんだ?」


「親っさんでめっちゃ歓待してますよ。副官をつけて、連日どんちゃん騒ぎです」


 イビスの顔が不敵に歪む。


「もともと情報を拾って来るのが上手い奴で、重宝してたんですよ……そいつがね、ベアード様に会いたいって言うんですよ。月紫国で仕入れた情報をどうしてもベアード様に直接お伝えしたいって、俺たちにも教えてくれないんすよ」


 怪しいっしょ? と、イビスは笑う。


「ちょっとでも怪しい奴を、インシアに連れて来る訳にはいきませんからね。相談の上、ベアード様に王都までご足労願おうかと思ってたんですけど、ちょうど良いからキース様に会ってもらったらどうかな、なぁんて」


 イビスは楽しそうに目を細め、キースに視線を向けた。

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