第6話 婚姻の打診


 カナンたちが東の島インシアにたどり着いた頃、トゥランとヨナは月紫国ユンシィの皇都に戻って来ていた。


「───トゥラン、おまえに縁談が来ているぞ。蘭夏ランシァの領主ウルマンから、シリン姫の婿になって欲しいと申し込みがあった」


 帰還の挨拶のため謁見の間に入ったトゥランに、書簡を手にした皇帝がニヤリと笑った。


「は?」


 トゥランは眉をひそめた。蘭夏に滞在している間も、去る時も、ウルマンからそんな話は聞かなかった。


「何だその顔は? おまえは近頃、蘭夏に足繫く通っているらしいではないか。ガォヤンからもそう報告を受けているぞ」


「それはっ!」


 否定の言葉を口にしかけて、トゥランは黙り込んだ。蘭夏を訪れている真の理由は話せない。が、他に適当な言い訳も思いつかなかった。


「おまえは水龍国スールンの王女に惚れているとばかり思っていたが、もう心変わりか? シリン姫はずいぶんと大人しい娘らしいが、女などは素直で従順な方が良い。悪くない縁組だ」


 皇帝はどうやらこの縁談がお気に召したらしい。


「おい、勘違いしないでくれ。俺が蘭夏に通っているのは属領の管理と単なる暇つぶしだ。別にあの姫が目当てじゃない。結婚するつもりもない!」


「いや、おまえにはシリン姫と結婚してもらう。ウルマンには蘭夏攻略の折に苦労をかけた。兄王一家を犠牲に差し出した奴が、おまえを婿にと願い出ているのだ。叶えてやりたいではないか。それに……おまえが蘭夏の次期領主となれば、わしにとっても都合が良い。そのうち水龍国へ攻めこむ事にでもなれば、蘭夏は戦の拠点にちょうど良い。その時は────トゥラン。おまえが水龍国攻めの指揮を執るのだ」


「水龍国……攻め?」


 トゥランは息を呑んだ。

 太陽のように笑う娘の面影と共に、背筋を冷たい何かが伝っていった。が、彼はすぐに表情を引き締めた。


「父上はいつ、水龍国を攻めるつもりです?」


「まだはっきりとは決めておらぬ。早ければ春か、夏ごろになるかな」


「ずいぶん早いな。そんなに早くては、おれはまだ蘭夏をまとめきれていないだろう。そもそも、攻める口実はどうするんです?」


「口実? そんなものは何とでもするさ。人質にしている王太子がいたろう? あやつがわしに無礼を働いたとでも言っておけ」


「そんなことで……」


 トゥランはぐっと奥歯を噛みしめた。そうしなければ、怒りのまま、とんでもないことを叫んでしまいそうだった。


「まぁ、水龍国は小国だ。戦自体はそう長くはかからないだろう。水龍を属領にした暁には、おまえの領地とするが良い。蘭夏と違って緑豊かな土地だ。何なら王女を二人目の妃にしても良いだろう。帰ったばかりで疲れているだろうが、明日にでも出立しゅったつし、蘭夏で婚約してこい。婚儀についてはウルマンとよく話し合って決めろ。以上だ」



 〇     〇



「良かったではないですか」


 人払いしたトゥランの宮で、ヨナが開口一番そう言った。


「おまえ、俺に喧嘩を売ってるのか?」


「違いますよ。シリン姫と婚約すれば、蘭夏に通いつめても怪しまれる事はなくなるでしょう?」


「しかし────」


「何ですか? あの方に遠慮でもしているのですか? トゥラン様らしくありませんね。この先、あなたの思い通りに事が進めば、誰と結婚するのも、しないのも、あなたの思いのままではありませんか」


「それは……そうだが。俺がシリン姫と婚約などしたら、蘭夏の王家はますます俺に依存するぞ。おまえも知っているだろう? フィルーザ王子のあの覇気のなさを!」


「ええ、まぁ」


 ヨナは苦笑を浮かべた。

 蘭夏領主ウルマンの長子フィルーザは、優しげな顔をした線の細い青年だ。十七歳のシリン姫の四歳年上の兄であり、生き残った王族の中で唯一の男子だと言うのに、二十一歳にもなって剣を持ったことも無いという。


「まぁ、彼らの生い立ちを考えれば、無理もないとは思いますけどね」


 蘭夏の元王族を庇うような言葉を口にするヨナだが、その冷たい顔を見れば彼がどう思っているかは一目瞭然だ。


「蘭夏が月紫国の属領になったのは十一年前。その頃フィルーザは、十歳か……」


 ある日突然、月紫国の軍が押し寄せて、蘭夏の国土は将軍ガォヤンの手であっけなく蹂躙された。国王一家は、現領主であるウルマンたち王族の目の前で処刑された。少年だったフィルーザも当然見ていたはずだ。


 蘭夏ランシァ陥落後も、ガォヤンは駐留軍の将として青の都に居すわり続けた。目的はもちろん、彼らを見張り支配するためだ。

 ガォヤンを恐れた元王族たちは、恐怖の中でこの十年余りを過ごして来たのだ。


「虐げられた者がみな、トゥラン様のように強く有れるわけではありません。敵を目の前にして、心が委縮し弱ってしまう者もいます。彼らに強くなれと言っても無理でしょう。皇帝陛下の言うように、いっそあなたが蘭夏を率いた方が良いのかも知れませんよ。そうでなければ、蘭夏は役に立たないでしょう」


「くっ……」


 認めたくはないが、蘭夏が使い物にならないということに関しては、トゥランもヨナと同意見だ。

 今まで幾度も青の都を訪れながら、なかなか反月紫国の意思を確認出来なかったのも、全てはガォヤンが植え付けた月紫国に対する恐怖感が消えないせいだ。


「おまえは俺に、シリン姫と結婚しろと言うのか?」


「まぁ、今のところ最善の策ではありますね。何しろ彼女はあなたにお熱だ。ガォヤン将軍を気安くあしらえる強い皇子は、蘭夏の人たちにとって希望の星。シリン姫にとっては白馬の王子様なのでしょう」


「は? 何だそれ?」


綺羅綺羅キラキラしい王子のことですよ。身近なところで言えばシオン王子ですね。

 ほら、覚えてますか? 南部の領主館に招かれた日、シオン王子がアロンの婚約者に求婚したじゃないですか。あの娘にとって、意地悪なアロンから自分を救ってくれるシオン様こそが白馬の王子様だったのです。シリン姫はあなたにアレを望んでいるのですよ」


「はぁ!?」


「ガォヤン将軍に監視される、か弱い領主家。それを、あなたに守って欲しいと思っているんです。まぁ、あなたは白馬の王子と言うよりも、どちらかと言えば黒馬に乗った魔王だと思いますけどね」


 知らないとは恐ろしいですねぇ、とヨナは真面目な顔でつぶやいている。


「誰が魔王だ! 俺は救国の英雄のつもりだが?」


「そうですね。ならば、救国の英雄としてシリン姫を娶って下さい。それが一番の近道です。彼女には、他にも妻を娶るつもりだと言っておけば良いでしょう」


 いかにも事務的なヨナの言葉に、トゥランは顔をしかめるだけで何も言い返せなかった。

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