第25話 朔の月


『────どうか僕に、メリナに求婚する機会を与えてくださいませんか?』


 シオンの突然の告白で、領主館で行われていた歓迎の宴は大騒ぎとなり、その結果、宴は早々にお開きとなった。

 ガネスが目論んでいたアロンとメリナの婚約披露は、結局うやむやのまま棚上げされた。

 シオンは父の了解を得るために一度王都へ戻り、改めて南部を訪れることにしたらしい。

 シオンと一緒に王都へ戻るナガルと領主館で別れ、カナンたちは家へ戻った。



 夜の外気はとても冷えていた。

 居間から石造りのテラスへ出たカナンには、その冷気が心地良かった。

 食堂で少し遅めの夕食を食べている間、カナンはずっとシオンのことを考えていた。


 領主ガネスにメリナへの求婚を求めたシオンは、紛れもなく男の顔をしていた。

 初めて会った時の儚げな少年はどこかへ消え、逞しく成長した姿がそこにはあった。

 同じ血を分けた兄ではあるが、その存在を知らずに離れて育ったせいか、シオンのことは兄というよりも王子────守るべき者────という目で見てしまう。

 けれど、今夜のシオンは堂々としていて、もはやカナンなどに守られる、か弱い王子様ではなかった。


(────いつの間に、メリナと親しくなったんだろう?)


 そういった疑問はもちろんあったが、いつはかなくなって消えてしまうのではないかと危ぶまれていた一年前のことを思うと、嬉しいような、誇らしいような、それでいてほんの少し寂しいような、不思議な感情がカナンの心に去来していた。

 今までシオンの世界は王子宮の中だけが全てだった。そのシオンが、殻を破って外へ出て、生涯の伴侶としたい相手を見つけたのだ。


(あんな風に、自分の気持ちを堂々と打ち明けられるなんて……)


 心の底から羨ましいと思った。

 夜空は良く晴れて星がキラキラと輝いているが、月は見えない。

 今夜は朔の夜なのだ。

 月のない夜は道を見失う。微かな星の光だけで無理に旅をしても、道に迷うという意味の言葉だ。満天の星空は夜空を明るくするが、地上までは照らしてくれない。


(まるで、今のあたしみたいだわ)


 カナンは迷っていた。

 トゥランに自分の気持ちを打ち明けようか、それとも黙っていようか。

 彼が何事か成すのをここで大人しく待つのか、それとも自分の意志に従って自分なりに動くべきなのか。

 判断のつかない事柄がいくつか胸の中にある。


 ふぅーっと吐き出したカナンの息が、白く煙って闇の中へと消えてゆく。

 不思議と寒さは感じなかった。温かい部屋の中にいるよりも頭が冴えて、自分の為すべきことを真剣に考えられる気がした。



 ────ムニ。

 突然、頬をつねられた。

 驚いて顔を上げると、すぐ隣にキースが立っていた。


「いっつもナガルがこうやってカナンの頬をつねってただろ? あれ、ずっとやってみたかったんだ。俺、一人っ子だから弟も妹もいないし」


 ほろ酔い気分のキースが、エヘッと笑う。

 カナンたちのいるテラスは、食堂の隣にある居間に続いている。

 食事の後、兄たちは今日の出来事を肴に居間で酒を酌み交わしていて、カナンがテラスに出る前はキースもその中に混ざっていた。


「何を真剣に考えてたの?」

「……今日のこととか、いろいろよ」


 キースに顔を覗き込まれて、カナンは恥ずかしくなった。

 麦わら色のキースの髪は、カナンたちと違って朔夜でも闇に紛れない。居間から漏れる灯りのせいもあるが、彼の髪は闇の中でも灰青色に浮いて見える。


「キースの髪は、夜でも明るいのね」

「そうなんだ。おかげで諜報活動には頭巾が欠かせない」


 キースは目を細めて笑う。

 彼のその言葉で、カナンは言うべきことを思い出した。


「ごめん……まだ聞き出せてないの」

「わかってる。無理をさせるつもりはないんだ。気にしないでくれ」


 キースはそう言ってくれたが、国の命運を背負って活動する者にとって、月紫国ユンシィの情報は喉から手が出るほど手に入れたいものだろう。


「あのね、キース。一つだけ教えて欲しいの。あたしの知る限り……だけど、トゥラン皇子は属領の敵ではないわ。あなたたちに、もしも彼と話し合う気持ちがあるなら……ううん、彼じゃなくてもいいの。例えば風草ファンユンにいるあたしの友達でもいい。とにかく他領の人と会って、話を聞いてくれる可能性はあるかしら?」


「友達って?」


「この前話した侍女。今はもう風草へ戻っている頃よ。彼女たちも、国の為に行動しようとしているの」


「風草か……」

 キースはテラスの手摺に肘をついて、輝く星空を見上げた。

「正直わからない。うちの連中は頭が固くて用心深い。良くも悪くもね」


「そうなの?……キースは?」

 カナンが見上げると、キースは振り向いて、困ったように肩をすくめた。


「現状で、彼に正体を明かすのは無理かな。その友達とやらにも、会ってみないとわからない」

「でも……」


 言いかけた言葉を飲み込んで、カナンは俯いた。

 キースの答えは当然だ。月紫国の船だけを襲う東の海賊シムルは、月紫国にとっては滅すべき賊で、見つかれば当然、捕まるか殺される。

 その国の皇子を信用しろと言ったところで、簡単に出来るものではないだろう。

 仮そめとは言え、トゥランの婚約者となったカナンも、下手をすれば彼らの敵になりかねない。


 まずはこちらの手の内を見せて、信用してもらえるようにしなければ、話し合いなどまず無理だろう。

 例えばサラーナ達に彼らとの会合をお願いするにしても、一方的な情報の開示に賛同してくれるかどうか────。


「キースの船は、いつ出航するの?」

「たぶん、このまま何もなければ、明後日の朝には出航するよ」

「そう」


 あと一日しかない。

 たった一日で何が出来るだろう。


「もう少しだけ待ってくれない?」

「……カナン。本当に無理しなくていいんだ」


 キースは眉尻を下げて微笑みながら、カナンの髪をクシャッと撫でた。

  

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