第22話 領主館へ


 翌朝、シン家に領主館から使者が来た。

 領主の印が押されたカナンへの召喚状を見た父セヴェスは、あらかじめトゥランに言われていた通り、これを受けた。

 そしてこの日の午後、カナンとトゥランは衣服を改め、シオン王子の下へ戻るナガルを筆頭とする兄たちに囲まれるようにして領主館へ向かった。



 〇     〇



 領主館の玄関ホールでは、アロンがソワソワしながらカナンの到着を待っていた。


 アロンは三日前、南都の中心にある貴族街へ行く途中にカナンを見かけた。庶民の商業区域で、よりにもよって庶民の衣服をまとった彼女を見過ごすわけには行かなくて、わざわざ庶民の町に足を踏み入れ声をかけた。


 まだ婚約の儀は済ませていないが、断られることはないだろうと祖父のガネスが言ってくれたから、未来の婚約者として当然のことをした。

 それがいけなかったのだろう。恥ずかしがったカナンは、アロンの前からすぐに逃げ出してしまった。


(あの時、無理やりにでも捕まえておけばよかった……)


 今更ながらアロンは後悔していた。

 昨夜遅くに、祖父がおかしなことを言いだしたのだ。


『万が一にも、月紫国ユンシィの皇子がカナンに求婚する可能性があるなら、こちらは当然引かねばならない。明日にでもカナンを呼び出して確認を取るが、おまえも覚悟をしておきなさい』


 祖父の言葉を思い出し、アロンは唇を噛みしめた。

 領主である祖父に口答えは出来ない。メリナとの婚約話が出た時に、結婚するならカナンが良いと願い出た時とは違うのだ。


(大丈夫。大丈夫だ……月紫国の皇子が、カナンに求婚する訳がない)


 アロンが自らを勇気づけていた時、前庭に馬車が到着したという使用人の声が聞こえた。

 ハッと顔を上げ、アロンは両開きの玄関扉を開け放った。

 アロンが屋敷の前庭に出るよりも早く、使用人によって馬車の扉が開かれた。


 馬車から降りてきたのは、カナンではなく青い衣の男だった。水龍国スールンの男子が纏うものとは違う、襟ぐりの開いた細身の長衣トーガは、えり回りとすそに金糸の刺繍があり、腰に巻いた金の帯はキラキラと煌めいている。長衣の両脇に入ったスリットからは、黒いズボンと黒革の長靴ブーツをはいた長い足が見えている。


 男は馬車を降りるとすぐに振り返り、馬車の中へ手を差し伸べた。

 その手を借りて馬車から降りてきたのは、やはり青い衣を身に纏ったカナンだった。こちらは水龍国の立襟たてえりのチュニックに白いスカート姿だが、まるで婚約者同士がするように服の色を合わせている。


 二人の姿を見た瞬間、カッと頭の中が火にあぶられたように熱くなった。

 アロンはつかつかと二人に歩み寄ると、勢いよくトゥランを指さした。


「誰だこいつは!」


 挨拶もしないでいきなり怒鳴りつけたせいか、カナンは眉間をピクピクと震わせていたが、紹介するように男の方へ手のひらを向けた。


「月紫国のトゥラン皇子様です。トゥラン皇子、彼がアロン・スレスタです」

「ああ、きみがカナンに求婚したという男か」


 男は微笑みを浮かべ、見下したようにアロンを見つめる。


「トゥラン……皇子、だと?」


 アロンは唸るように言葉を発しながらトゥランを見上げた。

 背丈はアロンよりもやや高く、整った顔立ちをしていることは認めざるを得ない。艶のある黒髪は短めで、後ろに撫でつけた前髪が額に一房落ちている。やや青みがかった黒い瞳は、高慢な笑みを湛えてアロンを見下ろしている。


 トゥランのその瞳を見て、無性に腹が立った。

 生まれてから一度も見下された事などなかったアロンにとって、目の前の男は不愉快以外の何者でもなかった。


「どうして月紫国の皇子がここに居る? 招待した覚えはないぞ!」


 自己紹介も挨拶もせずに、アロンはトゥランを糾弾した。

 普通の皇族ならば当然腹を立てるであろうアロンの態度に、しかし、トゥランは感心したような表情を浮かべただけだった。


「へぇ。これは意外に手強そうだな」


 言葉の割に、腹立たしいほど余裕の表情だ。


「きみがカナンに求婚したと、俺の配下から報告が届いてね。ちょうどすぐ隣の西璃シーリー自治区に居たから、慌てて船を出してこの南都まで来てしまったんだ。

 どうやら俺は、少々カナンを見縊みくびっていたようだ。俺の愛するじゃじゃ馬姫が、他の男にとってどれくらい魅力的なのか考えもしなかったんだ」


 当然のようにカナンの肩を抱き寄せるトゥランと、彼の横で恥ずかしそうに頬を染めるカナンに、アロンの怒りは頂点に達した。


「おまえが月紫国の皇子だとどうやって証明する? 皇子ならば当然、月紫国の兵が護衛につくはずだろう? なのに、ここにはシン家の兄妹の他に二人しかいないじゃないか!」


 アロンの言う二人とは、ヨナとキースのことだ。ヨナは確かにトゥランの従者だが、キースに至ってはただの野次馬だ。


「仮に、おまえが月紫国の皇子だったとして、カナンに求婚したのは私の方が先だ! 他国の皇子だからと言って、権力を盾に私たちの間に割って入るのはいかがなものか!」


 自分のことはすっかり棚上げしたアロンが持論を展開すると、トゥランは目を丸くしてからアハハハハと軽快に笑った。


「確かにきみの言うとおりだ! だが、残念だったな。俺がカナンに求婚したのは昨年の春だ。既にカナンの養父からも婚約の承諾はもらっている。……アロン、大人しく引き下がった方が身の為だぞ」


 トゥランが得意げな顔で笑い、アロンが絶句した時、開かれたままの扉からガネス・ラサが姿を現した。


「これは……何という事じゃ。アロン! 早く、お客様を広間へお通ししなさい!」

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