第21話 信頼の証


 冬の日暮れは早い。

 暗くなる前に秘密基地からシン家の屋敷に戻ったカナンたちは、昨夜と同じように夕食の食卓を囲んでいた。


 昨夜と違うのは、楽しかった秘密基地でのあれこれや、キースの面白おかしい航海話で盛り上がったことだ。特に、嵐の夜に幽霊船と出会った話は鬼気迫るもので、カナンは震えるほど怖かった。


 葡萄酒で舌を湿らせながら話し続けるキースは、どうやらほろ酔い気分で口が滑らかになっているらしい。

 カナンと目が合うなりクシャッと笑み崩れて、飛んでもないことを言いだした。


「────あの小っちゃかったカナンに結婚話かぁ。もうそんな年頃だなんて、月日が経つのは早いなぁ。ほんとに驚いたよ。昔は、「大きくなったらキースのお嫁さんになる!」って言ってたのになぁ」


 はぁ~っと悲しそうなため息をつきながらキースがつぶやくと、サウォルがハハッと笑った。


「それ、カナンは誰にでも言うんだよ。俺もナガル兄も何度も言われてる」

「ああ。確かに言われたな」


 ナガルが笑顔で頷くと、トールが「俺は言われたことないぞ!」と抗議の声を上げる。

 カナンは子供の頃の話を蒸し返されて真っ赤になった。


「だって、トールはあたしと同じで子供だったじゃない。小さい頃の「お嫁さんになりたい」って言うのは……たぶん、あれよ。信頼の証みたいなものなんだから!」


 そう言い訳してから、カナンは隣に座るトゥランをちらりと盗み見た。今夜のトゥランは口数が少なく、キースのお喋りを大人しく聞いている。


(どうしたんだろう?)


 昼間、秘密基地で遊び過ぎて疲れたのだろうか。そう思ったが、それくらいのことでトゥランが疲れるとは思えない。あのツリーハウスでカナンに愛を囁き、質問をうやむやにした後も、トゥランはご機嫌で過ごしていた。


(あの質問の続きもしたいけど……)


 兄たちとキースはまだわいわいと喋っていたが、物思いに沈んだカナンの耳には、彼らの声はだんだんと届かなくなっていた。


 〝お嫁さんになりたいは信頼の証〟


 自分で言った言葉が、とてもしっくりくる。


(子供の頃は単純で良かったわね……)


 少しだけ大人に近づいた今、カナンは恋と信頼にあまり関係がないことを知っている。良く知らない相手や、とても危険で信用ならない人にも、恋をしてしまうことがある。


(あたしは、たぶん……トゥラン皇子に恋してるんだ)


 南都の港で再会してから、常に気持ちがソワソワと落ち着かず、目はいつの間にかトゥランの姿を追っている。彼のそばに居るだけで、自分の感情がコントロール出来なくなってしまうのだ。


 カナンはようやく自分の恋心を自覚したが、それでもトゥランを信用している訳ではない。


(彼は……本当に信頼できる人なのかな? あたしは彼のことを、どれくらい知って

いるだろう?)


 一週間ほど前にカナンを訪ねてきたサラーナは、ゾリグと並んでいるだけでとても幸せそうだった。それはゾリグも同じで、二人が深い愛情と確かな信頼という強い絆で結ばれているのがわかった。


 一方で、月紫国皇太子の座を捨てたユーランとその妻イリアの姿も、カナンの心に深い印象を残していた。彼らの悲しいほどの想いは、サラーナとゾリグとは全く形は違えど、深い愛情という意味では同じものだった。


(あんな風になれるまで、どれほど時間が必要なんだろう?)


 トゥランに恋しているからと言って、盲目的に信頼する訳にはいかない。

 彼が何をたくらみ、何をしでかすつもりなのか、カナンは何も知らない。唯一わかっているのは、この先、もしもトゥランが命を落とすことになったら、自分は悲しみに暮れるだろうということだけだった。


 トゥランの言葉を信じるなら、彼は全てが終わってからカナンに求婚するつもりなのだろう。もちろん、それまでに心変わりをする可能性だってある。

 どちらにしても、このままではカナンは最後まで蚊帳かやの外だ。

 トゥランのはかりごとにほんの少しも関われない事が、カナンの心をモヤモヤさせている。


 月紫国の皇帝は恐ろしい男だ。彼に反旗を翻すことは無謀としか思えない。けれど、属領の人たちの立場に立てば、希望のないまま搾取され続けるなんて無理だとも思う。

 キースが話してくれた青湖シンファの状況は、この水龍国スールンの遠くない未来かもしれないのだ。


(……あたしは、サラーナさんみたいになりたいのかな?)


 風草ファンユンに帰り次第、密かに独立運動の協力者を集めると言っていたサラーナ。彼女はきっと、ゾリグと共に風草を背負って立つのだろう。草原の民をまとめ上げ、やがては国を率いる二人の姿が見える気がした。


 もちろんカナンは、月紫国の人間でも属領の人間でもない。彼らに協力すると言っても、カナン個人に出来ることは殆ど無い。

 それでも、ただ大人しくトゥランの無事を祈っていることなど、たぶん自分には出来ないだろう。それだけはわかっていた。 

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