第20話 シオンの恋
廊下の先に、薄桃色の肩布がふわりと風を孕んで落ちてくる。
それを落としたのが、ほんの一瞬前に目の前を横切った人物なのだと気づいた瞬間、シオンは走り出していた。
明るい桃色が鮮やかな膝丈のチュニックからのぞく、足首までの白いスカート。この屋敷であの色合いの服を着る女性は彼女しかいない。
「メリナ! どうしたの?」
領主館の中央階段を駆け下り、シオンは廊下を走るメリナを追いかけた。
中庭に続く陽のあたる廊下で追いついて、ようやく彼女の手をつかんだ。
シオンに手を引かれてメリナは立ち止まったが、驚いたように振り返った彼女の顔は、涙に濡れていた。
「……シオン様」
弱々しく名を呼んだ途端に、メリナの瞳にじわりと涙が盛り上がる。次の瞬間、大粒の涙がポロリとこぼれ落ちた。
「何かあったの?」
「……お爺様に呼ばれて……行ったら、ご様子がおかしくて……もしも、カナン様がダメだったら、やはり私が、アロンと結婚する事になるから、覚悟を決めておいてくれと……」
メリナの言葉を聞いて、シオンは首を傾げた。
昨日会った時のガネスは、カナンを諦めるような素振りは一切見せなかった。
「カナン様には……とても高貴な方が、求婚するかもしれないって」
「ああーっ! それ…………僕のせいだっ!」
シオンはグシャリと前髪をかきむしった。
昨夜シオンは、トゥランの名前を出してアロンを脅した。シオンの前では全く気に掛ける素振りも見せなかったアロンだったが、おそらくガネスに聞きに行ったのだろう。
カナンの為を思ってした事が、メリナに跳ね返ってしまっている。結果だけを見れば、自分がメリナを追い込んでしまった事になる。
(このままにはして置けない。僕が何とかしなければ────)
そんな気持ちが心の中に渦巻くあまり、シオンは思いついたことを考えもせぬまま言葉にしてしまった。
「────僕がメリナと結婚して、領主になるという手もあるよね?」
咄嗟に飛び出した言葉に、メリナが大きな目を更に大きく見開いている。
それを見て、シオンはハッと我に返り赤面した。
「ご、ごめんっ、変なこと言って! でっ、でもね、僕がきみに求婚したら、少なくとも、アロンとの結婚話は一旦止まるよね? その為だけに、僕を利用してくれてもいいんだ。幸い僕は王位継承権を返上してるし、病弱だったせいで許嫁もいない。かりそめの婚約だけして、後から解消してもいい。きみが出来ないなら僕から解消してもいい。悪い話じゃないと思うんだけど」
自分でも無茶なことを言っているという自覚はある。
シオンは内心苦笑していたが、言葉は止まらなかった。
シオンが部屋に戻ると、ジィンが窓際の机の前に立ったまま手紙を読んでいた。たぶん、毎日届くナガルからの報告書だろう。
「どうやらトゥラン皇子は、この領主館に来るつもりらしいですね。カナンが招かれたらついてくると言っているようですよ」
「ああ、うん。彼なら、そうするだろうね……」
シオンは心ここにあらずといった表情で相槌を打つ。
トゥランが来た今、カナンの心配をする必要は全くない。もはやシオンが何もしなくても、カナンとアロンが結婚する事にはならないはずだ。
それよりも、心配なのはメリナのことだ。
シオンのとんでもない提案を聞いたメリナは、驚きのあまり涙は止まったようだったが、しばし沈黙した後、ひどく困惑した表情を浮かべて「そのようなご迷惑はかけられません」と答えた。
このままでは十中八九、メリナとアロンの婚約は決まってしまうだろう。今のシオンには、彼女の泣き暮らす姿が見えるような気さえする。
(僕は、どうしたら良いんだろう?)
長椅子に体を沈めて、シオンは俯いた。
「シオン様、どうかなさったのですか?」
ジィンが心配そうに訊いてくる。
シオンは、何と答えれば良いのかわからないままジィンを見上げ、またすぐに俯いた。
メリナに断られたからと言って、このまま何もしない訳にはいかない。彼女を追いこんでしまった責任うんぬんとかではなく、アロンと結婚する彼女をシオン自身が見たくないのだ。
アロンがどれだけカナンに
(もしその現場に僕が居合わせたら‥……僕は沈黙を守ることが出来るだろうか?)
シオンはゆっくりと顔を上げた。
そこには、心配そうにシオンを見つめるジィンの顔があった。
「ねぇジィン? ジィンは、僕が勝手なことをしても許してくれるよね?」
決意を胸に秘め、シオンは小首を傾げた。
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