第19話 トゥランとツリーハウス
釣り上げた大きな魚をナガルが手際よくさばき、塩をかけて鉄板に乗せたものを薪ストーブの上段に投入する。程なくして、香ばしい焼き魚の匂いが辺りに漂い始めた。
この焼いただけの魚は、トゥランに大好評だった。
カナンたち南部育ちの四兄妹にとってはお馴染みの素朴な味だが、いつも凝った料理を食べているであろう
秘密基地での簡単な昼食が終わると、トゥランはツリーハウスに登った。
一緒に登ったヨナはすぐに降りてきてしまったのに、トゥランはよほど気に入ったのか、暖房設備のない樹上の小屋に入ったきり降りてくる様子はない。
(……これは、チャンスかも知れないわ!)
兄たちと一緒にくつろいでいるキースに目配せをして、カナンはお茶を淹れたポットを保温性のある毛織の手提げ袋に入れてツリーハウスへ登った。
「トゥラン皇子、寒くないですか? お茶を淹れてきたんですけど」
肩から羽織った上質な青い上着のせいか、手作り感満載の狭苦しい小屋の中で、床板の上に直に座るトゥランはとても異質なものに見えた。
(さすが皇子様ね……まるで小屋に
自分が王女であることなどすっかり忘れ、カナンがそんなことを考えた時、トゥランがゆっくりと振り返った。
「遅かったじゃないか」
「へ?」
「俺に話があると言っていただろう? 忘れたのか?」
「いっ、いいえっ! 忘れてませんともっ!」
カナンは慌てて小屋の中へ入ると、扉の近くにペタンと座り込んだ。
分厚い手提げ袋からポットとカップを取り出し、小さな丸テーブルの上でゆっくりとお茶を注ぎ分けながら、カナンの頭はフル回転していた。
こうしてトゥランと一対一で話が出来る時間は、きっと限られている。ならば、知りたいことは後回しにせず、直球で訊くべきだ。
「トゥラン皇子は、サラーナさんたちと、いったい何をするつもりなんですか?」
湯気の立つカップをトゥランの方へずいっと差し出しながら、カナンはトゥランの目をじっと見つめた。
カナンの視線を受け止めたトゥランは、フッと目を細めて笑みを浮かべる。
「何だと思う?」
「なっ、だから、それは、こっちが聞いてるんじゃないですか!」
はぐらかされてはたまらないと、カナンは瞳に力を込めてトゥランを睨む。
「サラーナから、多少は話を聞いてるんだろ? それを聞いてどう思った?」
トゥランはあくまでもカナンに何か言わせたいらしい。それに乗らねば、何も喋らないつもりかも知れない。
カナンはぐっと唇を噛みしめた。
「
「サラーナめ、ずいぶん簡単にバラしてくれたな」
カナンに知られているのは想定内だったのだろう。トゥランは笑みを浮かべたまま否定もしない。
「本当に? 全部の属領を? あなた、まさか本当に……皇帝の座を狙っているんですか?」
「そうだ、と言ったら?」
楽しげに笑うトゥランの顔を見た瞬間、眩暈がした。
視界がぐらりと揺れて、彼の顔が
「あっ……あんな、恐ろしい皇帝に、歯向かうなんて……」
不安な気持ちを口にした瞬間、込み上げてきた熱いものが瞳からこぼれ落ちた。
「……カナン?」
驚いたように目を瞠り、腰を浮かせたトゥランを見て、カナンは自分が涙を流していたことに気づいた。
慌てて服の袖でゴシゴシと目元をこすっていると、ぐいっと引き寄せられ、トゥランの胸に抱きしめられていた。
「おまえ、そんなに俺が好きだったのか?」
すぐ上から声が降ってくる。
その声を聞いて、カッと頬が熱くなる。
「ちがっ……」
カナンは藻掻くように首を振った。
「その涙は、俺の身を案じて流したんじゃないのか?」
「それはっ……でも、そうじゃなくて!」
必死に喋ろうとしているのに、うまく言葉が出てこない。
トゥランに強く抱きしめられているせいで、何が何だかわからなくなってくる。
「皇帝に逆らった俺が、殺されるんじゃないかと心配になったんだろ?」
聞いたことがないほど優しい声音が降ってくる。
そうだ。トゥランが死ぬのは見たくない。そう思って、カナンはコクコクと頷く。
「それは、俺のことが好きだからだろ?」
思わず頷いてしまいそうになって、カナンは盛大に
このままではまずい。
カナンはトゥランの腕の中から逃れようと藻掻いたが、トゥランの腕は少しも緩まない。
「……だから、あたしは、トゥラン皇子にも、サラーナさんたちにも、死んでほしくないんです!」
「カナン。ここには俺しかいないんだ。誰も聞いてない。誤魔化さなくてもいいだろ?」
トゥランは腕を緩め、抗議するような目でカナンを見下ろしたが、その目はすぐに甘やかな笑みを
何かを思い出したようにフッと目を細めたトゥランは、指先でカナンの顎を持ち上げた。
「……こうして男の服を着ていても、今のおまえは少しもシオンには見えないな。今ならわかる。あの頃のおまえは、確かにシオンを演じていた。少しばかり元気が良すぎて、おしゃべりなシオンだったがな。でも……今ここにいるのはシオンじゃない。間違いなく、俺の愛するじゃじゃ馬姫だ」
「ひっ……」
再び抱き寄せられ耳元で囁かれて、カナンは悲鳴を上げそうになった。
トゥランの胸に密着した頬はさらに熱さを増し、暖房設備のない小屋でのぼせてしまいそうだった。
トゥランに訊きたいことは山ほどある。まだその半分も聞けてないのに、カナンの思考回路はグダグダになっていた。
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