第18話 再びの、釣り日和


「────今日一日は遊び倒すぞ!」


 その言葉通り、トゥランは朝一でシン家の秘密基地を訪れるなり、岬の岩場に下りて釣りを始めた。


 昨日と同じ穏やかな海はまさに釣り日和で、トゥランは嬉々として釣り糸を垂れている。

 海釣りは初めてだと言っていた割にはすぐにコツをつかんだようで、小ぶりの魚を何匹も吊り上げている。


 一方、彼の隣で釣り糸を垂れるカナンには引きがなかった。

 隣りで子供のようにはしゃぐトゥランについつい目がいってしまい、なかなか釣りに集中できないのだ。


(はぁ……)


 カナンは心の中でため息をつく。

 昨日はこの場所で、兄たちと水入らずで過ごしたばかりだ。途中でアロンに邪魔されてしまったが、まさかその翌日にトゥランと釣りをする事になるなんて思ってもみなかった。


 たった一日で、目まぐるしく状況が変ってゆく。

 その変化に追いつけない自分がいる。


「あーっ、カナン! 引いてるぞ!」


 トールの声に我に返った瞬間、ものすごい勢いで引っ張られた。


「え? うわっー!」


 前のめりに体勢を崩したカナンは、そのまま海際まで引きずられてしまう。

 昨日と同じように男物の服と靴を履いているのに、このざまだ。

 あと一歩で海へ落ちる────と思った刹那、後ろから伸びた手がカナンの竿をつかんで、ぐいっと力強く引っ張ってくれた。


「何をボーっとしてた?」


 耳のすぐ上あたりからトゥランの声がする。

 後ろからカナンの体を抱くように竿を引っ張ってくれたのは、トゥランだったのだ。そのことに気づいた途端、カナンの頬がカッと熱くなった。


「かっ、考え事をしてただけです! もう大丈夫ですから!」


 トゥランの助力を拒もうとした時、再びものすごい力で海の方へ引っ張られた。


「どうやらすごい大物がかかってるらしいな! ヨナ、網を用意しておけ!」


 トゥランはそう叫ぶと、カナンの手ごと竿をつかんでくる。

 自分より大きな温かい手に包まれた瞬間、カナンは「ヒッ」と悲鳴をもらした。

 まるで、後ろから力強く抱きしめられているような感覚なのだ。密着した背中から感じるトゥランの体温と、両手を包む大きな手の温もり。たったそれだけのことで、カナンの心臓はバクバクと飛び出さんばかりに拍動してしまう。


「ムリムリムリムリ~!」

「無理じゃない! ほら、引っ張れ!」


 カナンの意思とは関係なく、竿が高く持ち上げられた。


「よーし、網ですくえ!」


 巨大な魚を釣り上げたカナン────もといトゥランはご機嫌だ。


「ちょうどいい。そろそろ昼時だ。焼いて食おうぜ!」


 トゥランはそう言うなり、もう秘密基地へ向かって歩き出している。

 体力的にも精神的にも疲れ果てたカナンは、未だにバクバク鳴っている胸を押さえてその場に膝をついた。


(あ……あたし、こんなんで、トゥラン皇子から話を聞き出せるのかしら?)


 もともとカナンは、サラーナたちとどんなはかりごとをしているのか、トゥランから訊き出すつもりだった。今はそれに加え、キースからの頼まれ事もある。


『────トゥラン皇子から、月紫国ユンシィの動きを聞き出してくれ』


 キースには言わなかったが、トゥランと月紫国皇帝の思惑はひとつではない。

 表向き、トゥランは皇帝の命を受けて各自治領を回っているが、それだけではないのだ。

 トゥランはこの先、皇帝とは別の動きをするだろう────それどころか、対立関係へと発展するかも知れない。


 カナンの知る限り、トゥランがやろうとしている事はキースにとっても悪い話ではないはずだ。いっそ二人に話をさせた方が早いのでは、とさえ思ってしまう。

 でも、それはあくまでも、サラーナが話してくれた独立運動の話や、「風草ファンユンを独立国として承認して欲しい」という言葉からカナンが推察しただけで、トゥランに確認したわけじゃない。


 トゥランが属領の独立を考えているのか。考えていたとして戦うつもりなのかを確かめるまでは、軽々しくキースの素性を話すわけにはいかない。


「はぁ~ぁ」


 カナンは重いため息をついて、岬への坂道を上り始めた。



 〇     〇



「────お爺様。お爺様は、月紫国ユンシィのトゥラン皇子をご存知でしょうか? 去年の春、カナンが王都に行った時に、水龍国スールンの王宮を訪問していた皇子らしいのですが」


 祖父であるガネス・ラサの執務室を訪れたアロンは、いきなり質問を浴びせた。


「ああ……名前だけは聞いているよ。ずいぶん若い頃から外交の場に出ていた皇子らしいね。月紫国皇帝の信頼も厚いようだが、かなり末席の皇子だった気がする。確か……二十七番目だったかな?」


 執務机の上で頬杖をついたガネスは、記憶をたどるように首を傾げる。


「はっ? 二十七? なぁんだ、末席も末席の皇子ではないですか! いくら大帝国の皇子でも、それでは臣下と変わりがない。皇子としての権力はないも同然ですね!」


 アロンは目を輝かせた。と同時に、シオンに対する怒りが湧いてきた。

 いくらアロンとカナンの結婚に反対だからと言って、末席の皇子を、まるで皇帝の次に権力のある重要人物かのように話し、アロンを騙そうとしたのだ。


「何がトゥラン皇子だ。権力だけなら私の方が上じゃないか!」

「シオン殿下は、おまえにそんな話をしたのかい?」


 ガネスは不思議そうな顔でアロンを見返した。


「ええ。その末席の皇子がカナンを気に入っているからと、私を脅すようなことを言ってきたのです。まったく酷い話でしょう? それだけではありません。シオン王子は、我が水龍国が月紫国の属国になるかも知れないなんて言うんですよ。そんな馬鹿な話は嘘ですよね、お爺様?」


 アロンの話を聞いて、ガネスは更に首をひねった。

 この平和な南部領にはあまり聞こえて来ないが、ガネスは領主として王宮へ訪れる度に、中央がそういった危機感を持っているという話は聞いている。王もその危機感を持っているからこそ、カナンを王子の替玉にするなどという暴挙に及んだのだ。

 今まで病弱で王子としての外交すらして来なかったシオンが、そんな話をアロンにしたことが、ガネスはどうにも気になって仕方がなかった。

  

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