第17話 東の海賊(シムル)


「俺の故郷は、月紫国ユンシィの東領、青湖シンファなんだ」


 そう前置きをしてから、キースは故郷の窮状を語り始めた。


「青湖は、この大陸の東端にある海に面した南北に細長い国でね。大昔に東の海からやって来た海の民が定住して出来た国なんだ。

 大河の河口付近はほぼ湿地帯で、その辺りの土地は古くから水稲栽培が盛んだけど、それ以外はパッとしない。海や川の近くに住む者たちは漁業や水運の仕事で何とか凌いでいるが、とても貧しい国なんだ。

 もともと生活するのがやっとだったのに、月紫国が取り上げる税の割合はとても高くて、払えたもんじゃない。若くて力のある男たちは農地を逃げ出して盗賊になり、月紫国に取り上げられた米や作物を取り返してる。そんな状態なんだ」


 キースの話を聞いていたカナンは、ハッと息を呑んだ。

 月紫国にいた時、サラーナが話してくれた事を思い出したのだ。

 ゾリグが兵役を課せられた表向きの理由は、たしか、東領の賊を討伐するための増員だったはずだ。


「東領に賊が多いのは、そういう訳だったのね!」


「そうだが……その情報は誰から聞いた?」


「月紫国に滞在してた時に知り合った、風草ファンユン出身の侍女から聞いたの。大切な人が、賊の討伐に駆り出されたって」


「ああ……風草か。なら、そうだな。カナンは知ってるかな? 月紫国は、属領で起きた暴動なんかを平定する時、中央の兵を使わないんだ。必ず隣領の兵を討伐にあてる。これには二つの利点があるんだ。一つは、月紫国の兵を失わないこと。もう一つは、属領同士に溝を作ること。対立構造を作っておけば、属領同士が手を組む心配がないからな」


「へぇー!」


 カナンは驚いて目を瞬いた。

(トゥラン皇子ったら、よくもそんな人たちを動かそうとしたもんね)

「なぁるほど」とカナンはもう一度、感嘆の声を上げた。


「────青湖シンファはもう月紫国の属領だが、このままじゃ青湖に未来はない。俺は、青湖の未来のために動いてるんだ。……カナン、俺はおまえを信用してるが、これから俺が打ち明けることを誰にも話さないと誓ってくれるか? ナガルたちにも話してはダメだ」


「え……」


 兄たちにも話してはいけないと言われてカナンは迷ったが、すぐに力強くうなずいた。

 これからキースが話すことは、きっとトゥランやサラーナのこれからに関わりがあることのような気がしたからだ。もちろん、誰にも話さないと約束したからには守るつもりだが、力になれることがあるかも知れない。


「俺は、青湖の裏組織〝東の海賊シムル〟の一員だ」

「シムルって、あの海賊の? 月紫国の船だけ襲うっていう?」


 カナンが問い返すと、キースは笑った。


「知っていたか。その通りだ。東の海賊シムルは、かつて青湖が陥落した時代に、東の島に逃亡した王族によって作られた反月紫国の組織だ。青湖の民はそれを知っていて応援してくれている」


「もしかして、さっき言ってた盗賊もシムルの仲間なの?」


「そうだ。奪った作物は民に配っている。カナン……おまえにこんな事を頼むのは心が痛いが、どうか俺のために、トゥラン皇子から月紫国の情報を聞き出してくれないか?」


 声こそ抑えていたものの、キースの気迫にカナンは圧倒された。それと同時に、カナンの脳裏に一つの疑問が浮かんだ。


「ねぇ、青湖シンファは他の属領の人たちと手を組んだりしないの? 風草ファンユンの侍女も、やっぱり国のことを心配してたよ。きっとみんな同じ苦しみを持ってるんだよ。他領の人たちとは全然交流してないの?」


「何度か使者が来てはいる。でも、それが本当に他領の使者だとどうしてわかる? 中央の回し者かも知れないだろ?」


「まぁ……そりゃあ、そうだけどさ。皇帝が一番怖れているのが属領同士の結びつきなら、他領との交流は青湖にとっては良い事なんじゃない? すぐに信用できる相手じゃなくても……そうよ、様子をうかがうことくらいは出来るんじゃない?」


 カナンが喰いつくような目で見つめると、キースは目を瞠ってからフッと笑み崩れ、カナンの頭に手を伸ばして髪をクシャッと撫でた。


「俺の妹分は、いつの間にこんな大人みたいな口をきくようになったんだ?」

「あたしは真面目に言ってるのよ! キースも────」


 カナンがキースを説得しようとした時だった。

 バタン、と乱暴に玄関扉が開いてトゥランが飛び出してきた。彼はすぐさまオレンジの林に分け入って、まっすぐカナンたちの方へ向かって来る。

 トゥランに少し遅れて、ヨナとナガルの姿も見えた。


「おはようございます、トゥラン皇子」


 キースが立ちあがって恭しく頭を下げる。

 トゥランはキースを一瞥すると、同じく立ち上がって挨拶していたカナンの腕を取った。そのまま、問答無用で少し離れた場所まで引っ張ってゆく。


「あいつと何を話してた?」


 目の前に顔を近づけてくるトゥランの勢いに、カナンは思わずのけ反ってしまった。


「えっと、あの、トゥラン皇子とどうやって知り合ったかって話をしてました」

「婚約者の俺がいない所であんな男とヒソヒソと!」


「別にヒソヒソなんてしてません。偶然会ったから話をしてただけです! それに、トゥラン皇子はあたしの婚約者じゃないですよね? 自分で言ったこと、覚えてないんですか? アロンを撃退する為に仮そめの婚約者として名前を出すだけだって、言ってましたよね?」


 カナンが言い放つと、トゥランの顔がみるみる険しくなった。と言っても、それは怒りと言うよりは不貞腐れた子供のような顔だった。

 プイッと顔を背け、トゥランは速足で玄関へ戻ってゆく。そんなトゥランの後ろ姿を、カナンが呆然と見送っていると────。


「龍の尾を踏みましたね。あれはしばらく尾を引きますよ」


 耳元に不穏な声が聞こえてきた。

 振り返ると、ヨナが苦虫を嚙み潰したような顔をして立っていた。


「ああなるとに扱い辛くて、困るんですよね」


 圧力をかけるように畳みかけて来るヨナに、カナンは「うっ」と怯んだ。


「追いかけて、何か話して来てください」


 ヨナに目線で促されるまま、カナンはトゥランを追いかけた。


「トゥラン皇子! 待ってください!」


 カナンは必死に走って、トゥランの衣の裾をムギュっとつかんだ。

 パッと振り返ったトゥランは、いかにも不機嫌そうに眇めた目でカナンを見下ろしてくる。


「何だ?」

「えっと、あのっ、後でお時間ありますか? あたし、トゥラン皇子に訊きたいことがあったんです。サラーナさんから聞いたことで……」


 カナンがそう言うと、トゥランはフンッと鼻を鳴らしてから仕方なさそうに頷いた。


「良いだろう。ただし、その前に、俺をおまえたちの秘密基地へ連れて行け。今日一日は遊び倒すぞ!」

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