第15話 疑惑の芽


「────ねぇ、カナンから、月紫国ユンシィの皇太子の話、聞いてない?」


 シオンは畳みかけるようにアロンに問いかける。


「ユ、月紫国の皇太子が交代した話なら、私も聞いているぞ。怪我を負った兄に代わり、同腹の弟が皇太子となったのだろう?」


 それくらい知っているぞとばかりに、アロンが胸を張る。

 シオンはそれを見て、がっかりしたように肩を落とした。


「やっぱり聞いてないんだね……あの交代劇には裏があったんだよ。ユーラン皇子はもともと皇太子位を返上したがっていたんだ。彼は、皇帝に取り上げられた妻を取り戻すために立ち上がり、僕たちはそれを手助けしたんだ。皇后と渡り合って、ユーラン皇子の弟、イェルン皇子を皇太子にって提案をしたのは、カナンだよ」


 ニッと笑うシオンに、アロンは息を呑んだまま声も出せないでいる。


「国の外を知れば知るほど、水龍国スールンがいかに小さく、力の無い国なんだと思い知らされるよ。月紫国は本当に恐ろしい国だ。一番恐ろしいのは皇帝だけど、次に恐ろしいのはイェルン皇子じゃないよ。〝皇帝の代理人〟トゥラン皇子だ」


 シオンは小さく息をつくと、アロンに憐憫の眼差しを向けた。


「僕がこんな話をしたのは、きみがどれくらい国際情勢に通じているのか知りたかったからなんだ。月紫国のトゥラン皇子は、カナンをとても気に入っている。それがどういう事かわかるよね? 月紫国の属領をはじめ、異国との交流もある〝皇帝の代理人〟と、水龍国の南部領だけで力のある、きみ。どちらがカナンに相応しいか……なんてことは、僕は言わないよ。僕が心配しているのは、が彼の耳に入ったらどうなるか、なんだ」


「そっ……その皇子とやらが怒鳴り込んでくると言うのか? そんな話、私が信じるわけないだろう! そんなに力のある奴なら、とっくにカナンに求婚している! だが、そうではない。相手にそんな気はなかったということだ! 話がこれだけなら、私は帰らせてもらいます。失礼!」


 アロンは鼻息荒く立ち上がると、ものすごい勢いで部屋から出て行った。

 シオンは呆気あっけにとられたまま、アロンの後ろ姿を見送った。


「え? ええーっ? あれだけ言っても話が通じないなんて……僕の言い方が悪かったのかな?」

「いいえ。あの男が馬鹿なだけです」


 今回は大人しく壁際に控えていたジィンが、辛らつな答えを口にする。


「だよね? 僕、ちゃんと忠告したよね。さすがに、もうトゥラン皇子が来てるとは言えなかったけどさ……」

「あの様子では、言ったところで信じなかったでしょうね」


 シオンとジィンは同じタイミングで苦笑を浮かべた。



 〇     〇



 シオンがアロンと対決している頃、シン家の居間では三兄弟とトゥランが酒を酌み交わしていた。

 三兄弟と言っても、サウォルとトールは傍に座っているだけで、実際にトゥランと言葉を交わしているのはナガルだけだ。


 ちなみに、キースは船に荷物を取りに行くと言って出掛けてしまったので、ここにはいない。トゥランの背後に無表情のヨナが立っているだけだ。


 ナガルから、アロンの人となりについて一通り聞いたトゥランは、フンと鼻で笑った。


「いけ好かない男だな。小さな町で偉ぶって、何が面白いんだ?」


 呆れたようにアロンをこき下ろす。

 アロンに関してはみな同じ思いだった。反論するつもりなど微塵もない。

 ただ、南部を〝小さな町〟呼ばわりされたトールはちょっとご立腹だ。トゥランに喰ってかかりそうになったところを、隣にいたサウォルに押し留められている。

 なので、今のところナガルとトゥランの会話に邪魔は入っていない。


「明日にでも、アロンに会いに行かれますか?」


「いや。夕食の時に言った通り、向こうが招待してきたら会いに行けばいい。せっかく南部まで来たんだ。呼ばれるまでは、俺もその秘密基地とやらに行ってみたい。おまえたち兄弟だけでなく、あのキースという男まで、その場所を知っているみたいじゃないか。俺だけが知らないのはとても不愉快だ」


 トゥランはそう言って、ぐっと酒を飲み干す。

 カッ、と喉を焼く酒精に思わず瞼を閉じる。


「この酒は美味いな……すごく強いが、美味い」


 空になった玻璃の器を眺めながらトゥランがそう言うと、ナガルが酒壺からお代わりを注いでくれる。

 トクトクトク、と琥珀色の酒が器に満たされてゆく様を、トゥランはじっと眺めていた。


「この南部は葡萄の栽培がさかんなので葡萄酒の方が一般的ですが、強い酒を好むものはこの蒸留酒をよく飲みます」


「葡萄の蒸留酒か。月紫国ユンシィの酒は米や麦から作られてるから、味も風味もまるで違うな……まぁ、そんなことはどうでもいい。俺が知りたいのは、あのキースという男のことだ。おまえら、あいつのことをどのくらい知ってる? 東の島から来たと言っていたが、何処のことかわかるか?」


 トゥランの質問を受けて、ナガルは弟たちに目を向けたが、サウォルもトールも首を振るばかりだ。


「詳しいことは何も。彼は年に一度やって来る船乗りの子供で、来ても二、三日で港を離れてしまうような相手でした。お互い子供同士の付き合いだったので、相手のことを聞き出そうとは思いませんでした」


「そうか……」


 トゥランは酒を舐めるように飲みながら、何事か考えているようだった。


「何か、気になることでも?」

「ああ……まぁな。俺の考え過ぎかも知れないが……」


 トゥランはそう言って三兄弟を等分に見回した。


「やつの出自を、それとなく探ってくれ。おまえたちになら喋るかも知れない」

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る