第12話 来訪者


「もう出てきて良いぞ」


 朗らかな声に呼びかけられて、カナンとトールは船倉に積まれた荷物の影から顔を出した。

 よほど追手が怖かったのか、出るに出られずにいるカナンの横で、トールは荷物の上に両手をついて、声のした方へ身を乗り出した。


「やつらは居なくなった? それともまだ港の中にいる?」

「大丈夫だ。もう引き上げて行ったよ。さぁ、早く出て来い!」


 甲板へと続く階段の上から青年が顔を出す。

 彼は、明らかに異国人だとわかる風貌をしていた。この辺りでは珍しい麦わら色の髪は背中で一本の三つ編みに結われ、高い鼻梁の横には薄い空色の瞳が輝いている。


「ああ良かったぁ……まさかここでキースに会えるなんて、まさに神のお導きだよな。マジで助かったよ!」


 そう言って、トールはそそくさと甲板へ出て行く。

 カナンも積み荷の影から出て甲板へ続く階段を上り始めたが、その途中で立ち止まり、用心深く辺りに目を配る。


「大丈夫だよカナン。本当にもういない。やつら帰って行ったみたいだ」


 トールの声に勇気づけられて、カナンは最後の一段を上りきった。


 冬晴れの陽光と海面の煌めきに目が眩みそうになりながら正面を見れば、トールとキースががっちりと再会の抱擁を交わしている。


「ほんっとに久しぶりだな師匠! 何年ぶりだろ?」

「そうだな。最後に会ったのは、おまえの背が俺の胸くらいだった時かな」


 キースは目を細めて、トールのツンツン頭をクシャクシャにする。


「だよな! ここ二、三年くらい会わなかったもんな。今までどうしてたんだよ?」

「国元で色々あってな。なかなか外洋に出してもらえなかったんだ」


 キースはそう答えながらも、遅れてやって来たカナンの方へ目を向けた。


「ところで、俺の妹分は、いつから弟分になっちまったんだ?」


 彼はおどけたような表情で首を傾げながら、まるで抱擁をねだるかのように両手を大きく広げてみせる。

 それまで戸惑いを隠せないでいたカナンも、それを見て、弾かれたようにキースの胸に飛び込んだ。


「助けてくれてありがとうキース!」

「なんの。可愛い妹分を助けられて光栄だ。それで、さっきの奴らは何なんだ? おまえがトールの服を着ているのも、あいつらが関係してるんだろ?」


 キースはカナンを抱きしめながら、トールに問いかける。


「ちゃんと話すと長いんだけど、簡単に言うと、カナンに結婚話が持ち上がってるんだ。さっきのはその求婚者の手の者で、カナンは逃げ回ってるんだ」

「へぇ、おまえももうそんな年頃かぁ!」


 抱擁をといたキースが、カナンを上から下まで眺めまわした時だった────。

 突然、灰色の物体がカナンとキースの間に割り込んで来た。


 その物体は、灰色の外套を頭からすっぽりとかぶった男で、カナンは逃げる間もなくその灰色の男に肩をつかまれていた。


「誰だ、この男は?」


 地の底から聞こえるような押し殺した低い声音に、カナンはハッと息を呑んだ。


「……その声、まっ、まさか、トゥランお……様? なの?」


 身分を知られるのはマズいと咄嗟に皇子呼びは避けたものの、カナンの頭は一瞬で真っ白になった。


「なっ、なんで? ……なんでここに居るんですか?」

「何でって、おまえが招待するって言うから来てやったんじゃないか!」


 そう言いながら、トゥランは外套のフードを背中へはらった。

 光の下に現れた顔は相変わらず傲慢な笑みをたたえているのに、腹立たしいほど魅力に満ちている。


「くっ……来るなら来るって、先に連絡をくれなくちゃ困ります! 今は本当にゴタゴタしてて、とてもトゥラン様を案内する余裕なんて無いんです!」


 胸の前で握りしめたカナンの両手は、緊張のためかブルブルと震えている。

 トゥランの身分や権力を使って、この結婚話を無しにしようと思っていた事など、もはや頭からすっぽりと抜け落ちている。


「ああ、その事ならおおよそ見当はついてるから大丈夫だ。で、この男は誰だ?」

「あ……紹介します。兄のトールです」


 カナンが手を向けた方を一瞥して、トゥランはすぐに視線を戻した。


「こいつのことは聞かなくてもわかる。ナガルと同じ系統の顔をしているからな。俺が訊いてるのはこっちの男だ」


 トゥランは麦わら色の髪の男へ振り返る。


「彼は、キースです……」


 そう言ってから、カナンは口ごもった。

 よくよく考えて見ると、キースのことは何も知らない。彼は年に一度やって来る異国の船乗りで、いつの頃からかは忘れてしまったが、毎年南部に来るたびに釣りをして遊ぶようになった。言ってみれば、その程度の知り合いでしかない。


「キースは俺の師匠だ。釣りの!」

「は? 釣りだって?」


 トゥランは眉をひそめてトールに向き直る。


「そうだよ。年はナガル兄のひとつ下だから……二十一歳、だっけ?」

「そ。年が明ければ二十二だ。ところであんたさぁ、人にものを尋ねる時は、まず自分の名を名乗るのが礼儀ってもんじゃないのか?」


 トールに助け舟を出しつつ、キースはトゥランに問いかける。


「確かにそうだな。俺は月紫国ユンシィの皇子トゥラン。カナンの恋人だ。おまえは?」


 後ろでカナンが「こっ……こここ、恋人ぉ?」と素っ頓狂な叫び声を上げていたが、トゥランはお構いなしにキースに詰め寄る。


「トゥラン皇子って、あのトゥラン皇子か? 月紫国の第二十七皇子? 皇帝の代理で各地を回ってるっていう? 驚きだな……おっと失礼。俺はキース。東の島から来た船乗りだ」


 キースは胸に手をあてて軽く頭を下げた。


「船乗り? その割にはずいぶんと事情通だな。……おまえ、カナンに邪な思いは抱いてないだろうな?」


「恥ずかしいからやめて下さいトゥラン様!」


 遅れてやって来たヨナが慌てたように声をかけるが、トゥランは完全無視だ。目を眇めてなおもキースに詰め寄っている。。


「カナンは俺の妹分ですよ。それ以上でもそれ以下でもない。ご安心ください殿下」


 いささか慇懃無礼な礼儀正しさでキースが請け合う。


「ならいい。面倒な相手はアロン・スレスタだけで十分だからな」


 ボソッとつぶやくトゥランに、カナンは目を瞠った。


「なっ、何で知っているんですか?」

「俺に知らない事はない。さぁ、さっさと家に案内しろ。まずはおまえの親に挨拶しないとな!」


 カナンに振り返り、トゥランはニヤリと笑った。

  

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