第10話 嫌われ者


「兄上、アロンが来た!」


 木の上の見張り台から、サウォルの押し殺した叫びが聞こえてきた。

 それを合図にナガルは馬屋から二頭の馬を引き出し、降りてきたサウォルに彼の馬の手綱を渡す。


「どう、どーう! 大人しくしろ」


 馬の首を叩いてなだめていると、騎馬の一団が近づいてきた。

 先頭の馬に乗っているのはアロンだ。彼は、襟回りに白兎の毛をあしらった上質な毛織の外套をまとっている。


「ナガルじゃないか! おまえもカナンを探しに来たのか?」

 近づいてきたアロンは、馬上のままナガルを見下ろした。

「シオン殿下が来ているとは聞いていたが……そうか、おまえも一緒だったのだな」


「はい。シオン様がカナンに会いたいと仰られたので、今日はわが家へ来ていただく予定でした。なのにカナンは留守。こうして思い当たる場所を探し回っているのですが、残念ながらここにはいませんでした」


 淡々と答えるナガルを前に、アロンは不快な表情を浮かべた。


「シオン殿下には悪いが、私もカナンを探している。私の用事が終わり次第、私がシオン殿下の元へカナンを連れて行く。だから、おまえたちは私と一緒に探索に加われ。兄がいればカナンも出て来ざるを得ないだろう」


 アロンはそう言うと、部下たちに「探せ」とばかりに首を振る。


「なっ……シオン様より自分を優先するのか?」


 憤慨するサウォルを手で制し、ナガルはアロンと視線を合わせた。


「この南部では、確かにあなたは上位の貴族だ。ですが、水龍国スールンの王子殿下とは比べ物にならない。そして俺はシオン様の部下であって、あなたの部下ではない。俺は俺の仕事を優先します。もちろん、カナンに会うのはシオン様の方が先です」


「なっ、何だと! 王位継承権を失くした王子よりも、私の方が下だと言うのか? おまえは……父親や弟たちがどうなってもいいのか?」


 ナガルに歯向かわれたアロンは、カッと顔を赤くして怒りに震えている。

 家族を盾に取られたナガルは、引き結んだ唇の端をわずかに上げた。


「あなたは、まだ、シオン様にお会いしていないようですね。あの方は、今回の結婚話に反対している。一度お会いして、話をされてみたらどうですか? せっかくあなたの祖父の館に滞在されているのですから」



 〇     〇



「────シオン様。庭に出るなら上着を」


 領主館の一階。居間の窓辺から中庭に出て行こうとしたシオンを、ジィンの声が止めた。

 振り返るなり肩に上着を掛けられて、シオンは思わず苦笑してしまう。

 今回の旅に、乳母であり女官長でもあるユイナは同行していない。そのせいか、彼女の息子であるジィンはいつも以上に過保護になっている。


「ありがとうジィン。ちょっと庭を見て来るよ。ほらあの木、冬なのに果物がなってるんだ」


 観賞用なのかも知れないが、居間に面した中庭には柑橘系を思わせる黄色い実のついた果樹が等間隔に並んでいる。


「さすが南国だな」


 気候や建物だけでなく、目に映るものすべてが王都とは違う。農作物の違いは食文化の違いでもある。王都以北とは明らかに違う香りを纏ったこの土地は、蘭夏ランシァ月紫国ユンシィと同じように、シオンにとっては異国だった。


 庭の中ほどへ進むと、木々に囲まれた円形の広場に出た。その真ん中には、白大理石で造られた東屋が建っていた。そしてその東屋の中に、メリナがポツンと座っていた。


「やぁメリナ。こんな所に一人でどうしたの?」

「あ、シオン様」


 メリナが驚いたように立ち上がった。その瞬間に、彼女の手から黄色い実が転がり落ちてシオンの足元で止まった。シオンはそれを拾って彼女に差し出した。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。シオン様は優しいのですね。アロンがシオン様くらい優しい人なら良かったのに……」


 悲しそうに微笑んだ彼女の頬には、うっすらと涙の跡があった。


「何かあったの? 僕で良かったら、話を聞かせてくれないかな?」


 シオンが首を傾げると、メリナはこくんと頷いて、「どうぞ」と向かいの席へ彼を促した。


「ありがとう」


 メリナの向かい側に腰かけて、シオンはにっこりと微笑んだ。その笑顔に気圧されたようにメリナは一瞬息を呑んだが、ややあって口を開いた。


「私は……とても悪い女なんです」

「へ?」

「カナン様が、アロンに捕まってしまえば良いのにって、どうしても思ってしまうんです。だって、そうしたら、私がアロンと結婚しなくて済むでしょ?」

「ああ、うん。そうだね」


 シオンは面食らいながらも頷いた。


「アロンはカナン様を探しに行きました。本当は昨日、お爺様がそうするはずだったんですけど、シオン様が来られたので、代わりにアロンがカナン様を捕まえて、「うん」と言わせるんだって」


 メリナは祈るように両手を組み合わせた。


「いくらアロンと結婚したくないからって、カナン様を犠牲にするような考えは、良くないってわかっているんです。本当はそんなことを考える自分は嫌いなのに、どうしてもそう思ってしまうんです。だってカナン様なら、例え結婚してもアロンの言いなりにはならないでしょ? 彼女は強い人だもの。アロンにだってきっと対抗できます。でも私はダメ。いつも怖くてビクビクしてしまうの。私がそんな態度だから、余計にアロンが意地悪するんだってわかってるのに、どうしても怖くて……」


 俯いてしまったメリナを見つめながら、シオンはふぅっとため息をついた。


「きみの言う通り、確かにカナンは強い。でも、だからと言って、カナンが望まない結婚をするのは、僕は嫌なんだ。もちろんきみも同じだよ。僕はきみにも、望まない結婚はして欲しくない。きみはお爺様に嫌だと言ってみた?」


「そんな……私は、そんなこと言えません」


 メリナは慌てたように首を振る。

 その様子を見ても、彼女が自分の意見を言ってみたことがないのが見て取れた。


「でもね、もしお爺様が、きみとアロンの関係を知らなかったら? 領地のことで忙しい大人たちは、案外子供のことがわかってないのかも知れないよ。もちろん、きみが自分の気持ちを話しても、何も変わらないかも知れない。でもまずは、言ってみる事が大事なんだ。僕も最初は怖かったけど、だんだん慣れてくるものだよ」


 不安そうなメリナを勇気づけるように、シオンはにっこりと笑った。

  

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