第2話 秘密基地へ


「カナン! こっちだ!」


 町から馬を走らせてきたカナンは、家の少し手前で声をかけられた。

 慌てて馬を止めて辺りを見回したが、道や道の左側の農地にも人の姿は見えない。カナンは右側の林に目を向けた。


 南都なんとは田舎だ。領主の城を中心に、行政府と多くの商店が立ち並ぶ南部一の大きな町だが、町を少し離れると、すぐに畑や森のある長閑な風景にかわる。

 カナンの家は比較的町に近い場所にあるが、屋敷の周りを囲むのは畑や森林だ。広大な農地の所々に民家が集まった小さな町が点在しているくらいだ。


 林の中から声をかけてきたのは、カナンの一つ上の兄トールだった。馬の手綱をしっかりと握ったまま林の中に身を潜め、カナンに向かってオイデオイデと手を振っている。


「トール兄さま? どうしたの? アロンなら巻いてやったから追って来てないわよ」


 カナンは馬から下りると、道から外れて林の中に分け入った。


「おまえ、町でアロンに会ったのか? よく逃げられたなぁ」


 トールは驚いたように額に手を当てると、そのまま艶のある黒髪をガシガシとかき回す。短髪のせいもあるが、彼の髪はいつも寝ぐせであちこちツンツン立っている。


「あたしの俊足を忘れたの? アロンごときに追いつかれるわけないじゃない」

「そりゃまぁ、そうなんだろうけどさ。いま家に帰るのはヤバイ。領主様のお屋敷からお使いの人が来てるんだ」

「え、うそ。何の用で?」

「それはわからない。けど、おまえを出せって言ってるみたいだった。だから俺、おまえの荷物をまとめて来たんだ」


 トールの馬の背には大きな旅行用の鞄が括りつけられていた。


「まさか……トール、あたしに逃げろって言ってるの?」

「そうさ。このままじゃ、さすがの親父もおまえを庇いきれない。海辺の秘密基地まで行くぞ! 馬に乗れ!」


 トールは自分も馬に乗ると、馬首を返して林の中を進んでゆく。

 カナンは慌ててトールの後を追った。



 カナンの血の繋がらない兄、シン三兄弟は、似ているようで似ていない。三者三様という言葉がとてもしっくりくる青年たちだ。

 もちろん、南部人特有の浅黒い肌に艶やかで真っ黒な髪はみんな一緒だ。近頃南部でも、王都人のように伸ばした髪を束ねている者もいるが、三兄弟は共に短髪だ。


 背が高く、一番大柄でがっしりしているのがもうすぐ二十三歳になる長兄ナガルで、彼は父親に瓜二つと言っていいくらい似ている。

 彼の三歳年下の次兄サウォルはどちらかと言えば母親似で、ナガルに比べると線が細いし性格も穏やかだ。


 父親似とも母親似とも断言できないのが末弟のトールで、もうすぐ十七歳という年齢もあるが一番やんちゃな性格をしている。

 幼い頃から犬の子のようにカナンとじゃれ合って育ったこともあり、カナンにとっては兄と言うよりも一番の親友と言う方がしっくりくる。


 この逃走劇も、いかにもトールらしい無謀な策に見えるが、彼の言うように父がカナンを庇いきれないこともある。その場合、カナンがその場にいない方が父のためになるかも知れない。


(居場所を知らなければ、父さまも言えないものね)


 馬を走らせながら、カナンはほくそ笑んだ。



 南部地方は温暖だが、さすがに短い冬を目前にしたこの時期は、収穫を終えて枯れ草色になった畑や、葉を落とした果樹園が広がっている。農地に出ている人は少ないが、トールは用心に用心を重ね点在する林を通って海へ向かった。


 港から少し離れた海岸。浜辺から一段高くなった岬に、シン家の秘密基地がある。

 初めは釣り道具を置く小屋や、冬に暖を取る場所が欲しかったナガルとサウォルが、使用人の力を借りて作り始めたものらしいが、最終的にはトールとカナンも参加して立派な秘密基地が出来上がった。


 秘密基地と言っても、見た目は平屋の小さな家だ。岬に立つ木々の間にちんまりと建っている。海に面した部分は風を受けぬように狭くし、陸側へ細長く伸びた建物の三分の一は馬小屋になっている。一番秘密基地らしいのは、平屋の窓からはしごを伝って登れるツリーハウスだろう。


「馬は俺が入れとく。おまえは今すぐこの中に入ってる服に着替えろ」

 秘密基地に着くなり、トールが旅行鞄をカナンに放り投げた。

「うん、わかった!」


 カナンは馬小屋の奥にある扉を開けて、部屋の中に分け入った。

 壁にそって作られた簡素な台所。その横にある四人掛けのテーブル。薪ストーブの向こうにはゴロゴロできるように長椅子が置かれている。


 久しぶりにこの部屋に入ったカナンは、懐かしさに襲われた。ここへ来たのは半年ぶりだ。月紫国に招待される前にトールたちと釣りに来たのが最後だが、それよりもずっと長く来ていなかったような気がする。


「いけない、いけない。ゆっくりしてる場合じゃなかったわ」


 カナンはテーブルの上に鞄を乗せると、ガバッと鞄の口を開いた。


「なにこれ? あたしの荷物じゃなくて、自分の荷物をまとめて来たの間違いじゃない?」


 カバンの中に入っていたのは、パンや干し肉などの食料がほとんどで、食料に埋もれるようにしてズボンや毛織の上着が詰め込まれていた。


「全部トールの服じゃない!」

「仕方ないだろ! やつらが探してるのは女のカナンだ。男の格好をすれば少しは誤魔化せる。おまえの着て来た服は、その鞄に入れて地下へ隠すぞ!」

「なるほど。地下ね!」


 カナンとトールは互いに視線を合わせると、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る