第3話 地下洞窟


 シン家の秘密基地には地下室がある。

 一般的な地下室の役目と言えば貯蔵庫だが、この秘密基地の場合はちょっと違う。井戸があるのだ。


 地下室の床には吸湿性のある赤茶色の素焼きタイルが敷き詰められ、中央には井戸の四角い木枠と蓋。天井には滑車が設置され、滑車にかけられた縄の先には木桶がついている。

 外に出ることなく水汲みが出来るのは便利だが、この地下室の凄さはそれだけではない。


「よし、行くぞ」


 トールが井戸の横の大きな敷石を、よっこらしょと持ち上げた。人ひとり通れるほどの四角い敷石の下には、石の階段が暗闇の中へと続いている。

 上下ともトールの服に着替え、帽子を被ったカナンは、ランプを手に地下へと続く石段を下り始めた。後ろから続いて下りてくるトールは、カナンの服を入れた旅行鞄を担いでいる。


 夏は涼しく、冬は外気よりもやや温かい地下空間。聞こえるのはサラサラと流れる水の音だけだ。

 この岬の地下には小さな鍾乳洞があって、そこを流れる地下水が、岬の突端に口を開けた穴から海に流れ出ている。


 ナガルたちが秘密基地を作ろうと決めた時、岬の上に元々あった穴────岩の割れ目のような地下洞窟への入口────の上に建物を作り、地下水を井戸水代わりに汲み上げる仕組みを作ったのだ。その事は、手伝ってくれた使用人たちにも知られているが、地下室から洞窟へ下りられる階段を作ったのは四兄妹だけの秘密だ。


 地下を流れる川の手前まで下りたカナンが、岩のテーブルの上にランプを置くと、その横にトールが鞄を置いた。


「おまえ、ここに来るのは久々だろ?」

「うん。今年の夏は月紫国ユンシィに行ってたからね」

「おまえがいなくて寂しかったよ。サウォル兄はもう俺たちと一緒に泳いだり、釣りをしたりしなくなったからさ……」


 トールはそう言いながら、テーブルの横に座り込んだ。


「そうね。サウォル兄さまはもう大人だもの。王都へ行ったナガル兄さまの代わりに、父さまと一緒に領地経営の仕事で忙しいし、きっとそんな暇ないのよね」


 カナンも岩のテーブルを挟んでトールの向かいに座り込み、膝を抱えた。

 ここにいると幼かった頃の記憶が次々と浮かんでくる。ナガルを筆頭に四兄妹で遊びまわった日々が、悲しいほどに懐かしく胸を衝くのだ。


 子供で居られる時間はもうあと僅かだ。

 トールもそれがわかっているから、こんな風に淋しそうにしているのだ。


「おまえさぁ、アロンとの結婚を断って、どうするつもりだ? 誰か好きなヤツでもいるのか?」

「え?」


 好きなヤツ────そう問われて思い浮かんだのは、不敵な笑みを浮かべるトゥランの顔だった。


「いや、ないって!」


 反射的にそう答えると、トールがテーブルに乗せたランプの光にずいっと顔を寄せてきた。


「アロンはいけ好かない奴だが、南部では一番身分の高い男だ。おまえが他の奴と結婚するにしても、アロンの横やりは覚悟しておいた方が良いぞ」

「……トール兄さまの顔、お化けみたい!」


 両手を口に当ててカナンがのけ反ると、トールはムッとしながらランプから遠ざかった。


「茶化すなよ。俺は真面目な話をしてるんだぞ!」


 トールが唇を尖らせて怒り出したので、カナンは思わず笑ってしまった。


「ごめんごめん。わかってるの。いつかは誰かと結婚しなきゃいけないんだって。でも、あたしはどこにも行きたくない。このままずっと子供で居られたらいいのにね」


 カナンは眉尻を下げて、素直な気持ちを口にした。


「どこにも行きたくないなら、行かなきゃいいんだ。いっそ、ナガル兄かサウォル兄と結婚しちまえばいいんじゃね?」


「あっはっはぁ。それいい考えだけど、あたしが王族を捨ててシン家の娘でいることを選んだ時点で、あたしと兄さまたちの結婚は無しになったのよ。血は繋がってなくても兄妹だからね」


「何だよそれ? そんなの王様が勝手に決めたルールだろ? 従う必要あるのか?」


「うん。あたしが無理を言って頼んだことだから、ルールには従わないと。それに、兄さまたちにだって選ぶ権利があるわ。いつまでもじゃじゃ馬な妹の面倒ばかり見なくちゃいけないんじゃ、兄さまたちが可哀想よ」


「そっ、そんなこと……ねぇだろ」


 一応は否定してくれたが、トールの言葉は歯切れが悪い。


「大丈夫。兄さまたちに迷惑はかけないわ。って言っても、この時点でもう迷惑かけちゃってるけどさ」


 エヘッと笑うカナンからトールが帽子を奪い取った。

 せっかく一つにまとめて帽子の中に詰め込んでおいたカナンの髪はくしゃくしゃだ。その髪をトールがまた乱暴にガシガシと撫でてくる。


「俺が絶対、アロンから守ってやる。おまえは王家の面倒ごとに十分手を貸してやったんだ。自由に生きる権利がある!」

「トール兄さま……珍しく、良いこと言うわね?」

「こらっ! おまえ俺を馬鹿にしただろ!」


 トールが拳を振り上げたので、カナンは慌てて両手で頭を押さえた。


「うそうそ! ホントはすごく感謝してるって!」


 子供の頃に戻ったようなじゃれ合いに、カナンは笑った。

 どこへ逃げたとしても、本気で探されたらすぐに居場所はバレてしまう。この逃走劇にもいつか終わりの時が来る。けじめをつけなきゃいけない時が────。

 それでも、今少しだけこのままで居たいと願いながら、カナンは笑った。

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