南部編・婚約騒動

☆断れない婚約話が舞い込んで……

序話 波乱の幕開け


「────シオン王子。実は、カナンからこのような手紙が届いたのです。しばらくお傍を離れることになりますが、故郷へ戻ってもよろしいでしょうか?」


 水龍国スールンの王子宮。八角形の建物にあるシオン王子の居室に入るなり、ナガルは一通の手紙を懐から取り出し、シオンの目の前で広げて見せた。


『助けて兄さま! 今度ばかりはピンチなの! 嫌なやつと結婚させられちゃう! よりによって、あのアロン・スレスタなのよ!』


 シオンは、その短い走り書きのような文面に目を走らせるなり、パッと顔を上げた。

「この、アロン・スレスタって、どんな人なの? 嫌なやつって、書いてあるけど」


 水龍国の王子として育ったシオンとは違い、双子の妹カナンは南部の田舎貴族として育った。王家に根強く残る「男女の双子」を忌む風潮のせいで、彼女はナガルを筆頭とする三兄弟に囲まれて幸せに育った────本当に自分と同じ血を分けた兄妹なのかと疑ってしまうほど、彼女はとても明るくて強い女の子だ。


 シオンが知る限り、カナンは弱音を吐いたことがない。その彼女が、こんな風に助けを求める手紙を書いてくるなら、相当追い込まれているに違いない。

 シオンの問いかけに、ナガルはその精悍な顔を曇らせた。


「アロン・スレスタは、領主ガネス・ラサ様の孫です。正確には、スレスタ家に嫁いだ領主様のご息女の息子ですが、領主さまの後継ぎであるご子息には、今のところ男子は生まれておりません。なので、いずれはアロンが領主の座につくと噂されています」


「────なるほど。要するに、シン家の家格では断れない相手、ということなのだな?」


 シオンが座る長椅子の後ろから、ジィンが口を出してきた。

 彼は〝非公式〟ではあるが、カナンに求婚した過去がある。しかし、ここではナガルもシオンもその事には触れなかった。


「カナンは王族になることを辞退して、今まで通り地方貴族でいることを選んだ。僕は彼女の自由を守ってあげたいから応援したけど、その選択が、カナンを窮地に立たせているんだね?」


 シオンが悲しそうなため息を漏らすと、ナガルは首を振って否定した。


「そういう訳ではありません。年が明ければカナンは十六歳になります。十六になるまでは誰とも婚約はさせないと、父は婚約話を全て突っぱねていました。それに、月紫国ユンシィから招待されたことで、婚約話は一時収まっていたのです。ですが、カナンが南部に戻って来たことで再燃したのでしょう。十六を目前にした今、アロンは他の求婚者たちの一歩前に出ようと、祖父である領主様を頼ったのかも知れません」


 ナガルの言葉を聞いていたジィンが、その秀麗な顔を曇らせた。


「それは、まずいですね。この件がトゥラン皇子に知れれば、厄介なことになりかねません」


 ナガルも渋い顔でうなずく。


「先の月紫国訪問では、我々みんながトゥラン皇子に命を救われました。カナンはそのお礼として、彼を南部に招待すると約束しました。多忙な彼がいつ南部を訪問するのかはわかりませんが、問題なのは彼のが我が国にもかなり入り込んでいることです」


 ナガルの言葉に、シオンは小さくうなずいた。


「僕も彼の動向は気になるけど、一番大事なのはカナンが嫌がっているということだよ。身分を笠に着て求婚するような奴に、カナンは渡さない。彼女はきっと、シン家に迷惑をかけたくなくて我慢しているんだと思う。でも耐え切れなくなって助けを求めてきたんだよ! カナンはナガルの妹だけど、僕の血を分けた妹でもあるんだ!」


 シオンはそう叫んでから、いったん息を整えた。


「ねぇナガル、僕も南部へ行くよ。カナンのピンチは僕のピンチだ!」



 〇     〇



 月紫国の南西部にある西璃シーリー自治区。

 このあたりの海岸線は岩が多く浜辺はない。地形のせいなのか、季節に関係なく荒波が打ち寄せる断崖の上には、石造りの堅牢な城がある。


 かつてこの城には西璃国の王族が住んでいたが、月紫国に逆らった王族はすべて抹殺され、今は中央から派遣された役人の下で、貴族たちが何とか自治を保っている。


 この城の四角には塔があり、そのうちの一つは鳥便用の鳥たちが集まる場所になっている。鳥使いの一族が常に待機しているその塔に、空の色に溶けてしまいそうな灰青色の鳥が一羽、飛び込んで行った。


「────ヨナ殿。トゥラン殿下あての鳥文です」

「ありがとう」


 小指よりも細くて短い巻紙を受け取った青年は、素早く紙を広げて文を読み下すなりスッと眉をひそめた。



 トゥランは、元皇太子で異母兄のユーランとその妻イリアを連れて、昨夜この西璃の城に到着したばかりだ。同じ月紫国南部の隣領、南雷ナーレイでイリアが体調を崩したため、予定よりひと月ほど遅れての到着だった。


 南雷滞在中に、サラーナとゾリグを祖国へと送り出した。西の水龍国経由で、彼らは北の風草ファンユンへ帰って行ったが、途中でカナンを訪ねると言っていた。今頃はきっと命の恩人にお礼を言っている頃だろうか。


 風草の参加によって、トゥランは北と南を掌握したことになる。

 窓辺から砕ける波を眺めていたトゥランは、ゆっくりと部屋の中に向き直り、長椅子に座るユーランを見下ろした。


「────取りあえず、兄上にはこの西璃でしっかりと働いてもらう。まずは俺の部下から自治の状態を聞きつつ、貴族たちを掌握してくれ」


「フッ、ずいぶんと簡単に言ってくれるねトゥラン。私はそなたが思っているより、ずっと無能なのに」


 長椅子に座ってくつろぐユーランは、お茶を飲みながら微笑する。

 皇宮での鬱屈から解放された彼は、頽廃的な雰囲気はそのままに、すっかり明るさを取り戻している。


「無能だろうが何だろうがやってもらう。まずはその無駄に垂れ流している色気を使って、臣下の貴族どもを虜にするんだな。奴らは中央への鬱屈をため込んでる。王亡き今、奴らは旗頭を求めている。せいぜい元皇太子という身の上をうまく使ってくれ。いずれは兄上が、この国の王になるんだ」


 トゥランのむちゃくちゃな要請に、ユーランがため息をつきながら眉尻を下げた時、何の前触れもなく扉が開き、ヨナが一礼して入ってきた。

 彼は窓辺に立つトゥランに素早く歩み寄ると、鳥文を乗せた手のひらをスッと彼の前に差し出した。


「水龍国の南部に潜ませた者から鳥文が届きました。どうも、カナン様が厄介なことになっているようです」


 ヨナがそう耳打ちすると、トゥランは彼の手から鳥文をひったくり、苛立たしげに文を広げた。


「────アロン・スレスタ? 誰だか知らないが、俺のものに手を出そうとするなんて、良い度胸じゃないか」


 怖い笑顔を浮かべて鳥文をグシャリと握りつぶすトゥランを、ヨナは無表情のまま見返した。


「厳密に言えば、カナン様はまだトゥラン様のものではありませんが……確かに、良い度胸をしてますね」


「おまえはいつも細かいことを言う。だが、そんなことはどうでもいい。クオンの船はまだ出航していなかったな? ヨナ、水龍国へ行くぞ! 今すぐだ!」

  

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