幕間 「血潮の珠」(全2話)

第1話 事のはじめ


(────まるで、血の色だな)


 初めて紅珊瑚の珠を見せられた時、ゾリグは血の雫を連想した。紅珊瑚の赤は、それほど血の色に近かった。


 月紫国ユンシィの南領。旧南雷ナーレイ国の最南端に突き出た小さな半島。

 周りを海に囲まれた小さな町は、漁業と珊瑚玉の加工で驚くほど栄えている。


 ゾリグが流れ着いたのは、そんな町の河口だった。

 彼が川に落ちたのは、遥か上流にある月紫国の東部だった。共に落ちた愛馬は途中で岩にでもひっかかったのか、遺体の一部すら流れては来なかった。


 いくつもの幸運が重なって、ゾリグは今ここに居る。

 気を失った彼を見つけたのが、この町で一番の剣豪だったことも、ゾリグの命を繋いだ幸運と言えるだろう。

 有り得ぬ方向へ折れ曲がっていたゾリグの足を、彼が一刀のもとに切断してくれたのだ。


 お陰で片足は失ったが、命は取り止めた。


 その剣豪────クオンは、ゾリグよりも少し若い青年だ。海の民特有の日に焼けた肌に、短く刈られた黒髪と宝石のような灰青色の瞳を持っている。


 この町には筋骨隆々の海の男が多いが、クオンは驚くほどほっそりしている。たぶん、彼は海にいるよりも、町の交易を取り仕切る文官のような仕事をしている時間が多いからなのだろう。

 こんな細身の男のどこに、自分の足を切断できるほどの力があったのだろう。

 寝台から動けない間にだいぶ肉が落ちたとは云え、元々がっちりとした体躯のゾリグは、クオンを見る度にそう思う。

 おそらく、しなやかで無駄のない筋肉が全身を覆っているのだろう。


「なぁ。おまえ、手先は器用か? これが出来れば、足が無くても生きていけるぜ」


 クオンはそう言って、まだ動けないゾリグの元に紅珊瑚の珠を大量に持ち込んで来た。

 紅珊瑚の中には夕日色に近い朱赤の物もあるが、人気があるのは血潮のような少し暗めの深紅の珠だという。


(命の……色だからか)


 妙に納得して、ゾリグは紅珊瑚のかけらを丸く研磨する仕事を始めた。

 クオンに拾われてから、すでに半年の月日が流れていた。



 起き上がれるようになると、ゾリグは残った足が弱らないように鍛錬を始めた。

 少し経つと、わきの下で支える杖を使って歩けるようになった。

 気が遠くなるほど珊瑚を研磨して、艶のある珠が作れるようになると、気の良い職人たちが革と木を組み合わせて義足を作ってくれた。


 義足をはめて立ちあがる。

 クオンに拾われて一年が過ぎた。

 あの男が来たのは、その頃だった────。



「────大粒の紅珊瑚で首飾りを作って欲しい。最高級のやつだ。彫刻が入った珠も、俺が気に入れば入れてもいい」


 目の前に現れた若造は、身分の高さや裕福な者特有の、横柄な口調でそう言った。

 一目で上質だとわかる青い衣。艶やかな長い髪は無造作に束ねているが、不敵な笑みを浮かべるその顔は、この町一番の優男クオンすら平凡に見せるほど秀麗だ。

 何よりも、その目に惹きつけられた。

 何事か企んでいる、強い意志を持つ者の目だった。


「なぜ俺に? 最高級の首飾りなら、もっと腕の良い珠造りの職人がいるだろう?」


 ゾリグは若造と、その隣に立つクオンの顔を見比べた。


「俺はおまえに頼みたいと言っている。やるのか、やらないのか?」


 若造は引く気はないらしい。

 隣のクオンは、困ったように眉尻を下げて肩をすくめている。


「贈り物か?」

「そうだ。月紫国皇太子の元に、近々、異国の姫が訪問する。その姫への贈り物だ」

「異国の……姫?」


 ざわりと心が震えた。

 忘れかけていた想いが、乾いた砂に浸み込む水のように広がってゆく。


(まさか……おまえなのか? サラーナ)


 厳密にいえば、サラーナは異国の姫ではない。風草ファンユンはもうとっくに月紫国の一部、属領となっている。この南雷ナーレイと同じ、自治領のひとつでしかない。


(だが……)


 ゾリグは、自分の死の報を受けたサラーナの気持ちを、今頃になって考えはじめた。


 この町で目覚めてから、サラーナのことはずっと考えないようにしていたのだ。

 こんな姿になった自分は、彼女の許嫁に相応しくはない。例え国に戻れたとしても、胸を張って彼女の前に立つことなど出来ない。

 ならば、死んだと思われていた方が良い────。


 自分のことは忘れて、どうか幸せになって欲しい。そう考えて、ゾリグは自分の名を封印した。クオンにも町の誰にも、自分の名は明かしていない。

 けれど、一度溢れてしまった想いはもう消せなかった。

 ゾリグは自分を殺すことにばかり囚われ過ぎて、サラーナという女の本質を忘れていた。今頃になって、そのことに気づいたのだ。


(サラーナは、許嫁の不審死を、黙って見過ごすような女ではない)


 女にしては血の気が多い。男並みに剣も扱える。馬術は天下一品だ。馬を操る鞭術は、もはや神技の域だろう。

 ゾリグの脳裏に最悪の台本シナリオが思い浮かんだ。


(まさか……俺の仇を討とうなどと────)


 今すぐサラーナを止めに行かねば、とんでもない事になる予感がした。

 逸る心とは裏腹に、ゾリグは自嘲の笑みを浮かべた。


(この体では馬に乗れない。そもそも今の俺には、馬一頭を手に入れるだけの金もない。どうしたらあいつを止められる?)


 考えを巡らせるゾリグの耳に、今さっき若造が言った言葉が蘇ってきた。


「珊瑚珠に、彫刻を入れても良いのか?」

「ああ。俺が気に入ればな」

「では、引き受けよう」


 ゾリグが答えると、若造は目を細めて笑った。


「出来るだけ急いでくれ」



 その日から、ゾリグは昼夜をかずに珠を磨いた。丹精込めて磨いた大珠に、サラーナだけに伝わる文様を彫り、首飾りに仕上げた。

 若造はその首飾りを持って皇都へ向かった。


(俺に出来るのは、あの珠がサラーナの手に無事届くことを祈るだけだ……)


 最悪の事態が起こる前に────。



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