第30話 蒼穹の別れ


 小高い丘の上からは、緩やかに流れる大河が見渡せる。

 月紫国ユンシィを東西に横切る大河には、いま一隻の大型船がゆっくりと西へ向かって遡上している。

 豆粒のように小さな船の上には、水龍国スールンの一行が乗っているはずだ。


「────会いたいなら会いに行けばいいではありませんか。何でこんな所から見送っているのですか?」


 馬上から食い入るように大河を見下ろしているトゥランに、ヨナが冷ややかな言葉を突き付ける。


「いいんだ。時には引くことも大事だ。カナンのような子供には、あまりグイグイ行き過ぎると返って引かれるからな」

「は? ……柄にもない。瘦せ我慢かよ」

「何だって?」


 口の中でもごもごと呟いたヨナの言葉を、トゥランが耳ざとく聞き返してくる。


「いいえ、何も言ってませんよ。カナンさまのことですから、今頃はあなたのことなど忘れて船旅を楽しんでいる事でしょう」


 ヨナが澄ましたまま答えると、トゥランは不敵な笑みを浮かべた。


「大丈夫だ。鳥を渡しておいたからな。あれが手元にいる間は、嫌でも俺のことを思い出すだろう」

「鳥? ああ……カナンさまは素直に受け取ってくれたのですか? あの方のことだから文句のひとつも言ってきたのではないですか?」

「まぁな。俺はそれほど寛容な性質たちじゃないが、あいつにはどんな暴言を吐かれても不思議と腹が立たない」


 得意げに話すトゥランを、ヨナは冷めた目で見つめた。

 普段は憎らしいほどオレ様なトゥランなのに、カナンのことを語る瞳は驚くほど穏やかだ。それが惚れた弱みの典型的症状だと気づいていないのだろうか。


「まぁ、あなたは自分の懐に入れた人間に対しては、とことん甘いですからね。私もその一人ではありますが……その甘さがいつかあなたの命取りになるのではないかと、心配でなりませんよ」

「くだらないことを言ってないで、行くぞヨナ!」

「はいはい」


 若い主従は馬首を巡らし、丘を駆け下りた。

 雲一つない蒼穹。照り付ける強い日差しの下、西へ向かって川を遡上する船と、南へ向かう二つの馬影がゆっくりと離れてゆく。

 それを高みから見下ろしていたのか、空を行く大きな鳥がピョーッと鳴いた。



 バサバサバサバサ

 籠の中の鳥が、空を行く鳥の声に触発されて羽ばたき始めた。


「あーんもう。大人しくしなさいったら!」


 甲板からの景色を眺めていたカナンは、荷の上に乗せた鳥籠にあわてて駆け寄った。


「トゥラン皇子の鳥さん、ご機嫌斜めですね」


 通りかかったアルマが、微笑ましげに目を細める。


「ううっ……」


 カナンは呻いた。

 今回の月紫国滞在では、トゥランにずいぶん助けられた。そのせいか、水龍国の人間の間でトゥランの人気はうなぎ登りだ。


 ため息をつきながら、カナンは昨日のことを思い出した。

 慌ただしく帰国の準備を進める中、カナンはサラーナに別れの挨拶をしに行った。その帰りに、トゥランにばったりと出くわしてしまったのだ。


 彼は手にしていた竹細工の鳥籠をカナンに押しつけると、こう言った。


「おまえにこれをやる。無事に南部の家に帰りついたら、この鳥の足についてる容器に手紙を入れて放してくれ。それが届いたら、約束通りおまえの故郷を訪問させてもらう。まぁ、訪問時期は俺の都合で決めさせてもらうがな」


 そうだった。皇帝から助けてもらったお礼に、トゥランをカナンの故郷に招待すると約束していたのだ。

 押しつけられた鳥籠を両手で抱えながら中を覗くと、中型の鳥がキョトンとした黒目をカナンに向けてくる。灰蒼色の羽をもつなかなかきれいな鳥だ。


「お忙しいなら無理なさらないで下さいね! 南部の町は、取り立てて見る所もない辺鄙な田舎ですから」


 とりあえず遠回しに来るなと言ってみたが、トゥランはカナンの言葉をスルーして珍しくあっさりと帰って行った。

 また何かされるのではないかと身構えていたカナンは、ホッとしたような、何か物足りないようなモゾモゾした気分になった。


(……別に、寂しいとか思ってる訳じゃないから)


 今朝旅立つときも、トゥランは姿を見せなかった。彼もユーランたちと一緒に南へ向かうと聞いていたから、もう一度会えるだろうと思い込んでいたカナンは、軽い衝撃を受けた。


 決して寂しいのではない。きちんと別れの挨拶が出来なかったことが、少し尾を引いているだけなのだ。

 カナンはそう結論づけたが、それでも心の中のモゾモゾした気持ちは消えてくれなかった。


 ピィッ ピィー


 空に向かって鳴くトゥランの鳥と一緒に、カナンは目の覚めるような蒼穹を見上げた。

 この同じ空の下に、トゥランやサラーナ、ユールンとイリアもいる。それぞれの目的のために南へ向かっているはずだ。

 いつかまた、彼らに会えるだろうか。

 少し感傷的な思いを胸に抱いたまま、カナンは青い空に向かって微笑んだ。



 ────この年。後に解放帝と呼ばれることになる皇子は、北の属領と南の属領とに強い絆を結んだ。

 ちょうど水龍国スールンの王女が月紫国ユンシィを訪問した年でもあり、ふたつの属領との絆は王女の橋渡しがあったのではないか、とも言われているが、定かではない。


                  おわり


 ──────────────────────────────────────

 ※『カナンが男装したんだから、次はシオンが女装する?』という、下らない案から始まった月紫国編も、これにて完結です。(シオンはあんまり活躍出来ませんでしたが💦)

 拙い物語を読んで下さってありがとうございました(≧▽≦)

 また何か思いついたら続きを書くと思いますが、それまでは完結済にしておこうと思います。再会の折はまたよろしくお願いいたします(^.^)/

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