第29話 それぞれの旅立ち


 帰国の準備を始めた水龍国スールンの一行よりも、混乱を極めたのは皇太子宮に集まった人々だった。

 多くの侍女たちは、皇太子が皇帝に即位する時に後宮入りし、皇帝の息子を生むことを目的に各地から集った娘たちだ。皇太子の交代劇は当然寝耳に水で、ユーランから事の次第を告げられた彼女たちは、今後の身の振り方を相談するため、親族の元へと大急ぎで帰って行った。

 閑散とした皇太子宮に残ったのは、古参の侍女や下女たち、そしてサラーナだけだった。


「急なことですが、出立は明日の早朝だそうです。トゥラン皇子の護衛たちと共に行きますから、荷物は最小限にしましょう」


 イリア付きの年かさの侍女と一緒に、サラーナがテキパキと荷造りをはじめる。

 ユーランはともかく、イリアはこの状況について行けずにポカンとしている。


「あの……わたくしたちは、南の離宮へ行くのではないのですか?」

 思わず口からこぼれたのは素朴な疑問だ。


「ユーランさまとイリアさまは、私と一緒に南部領へ向かいます。トゥラン皇子からそのように聞いておりますが、ご存知ではなかったのですか?」


 サラーナは荷造りの手を止めると、イリアとその隣に佇むユーランを見比べた。


「いや、私は聞いているよ。南の離宮では皇都に近すぎて、皇宮の揉め事に巻き込まれる恐れがある────と、いうのは建前で、恐らくトゥランは私を自分の手駒にするつもりだろう。そなたと、そなたの婚約者殿も覚悟しておいた方が良い。彼は抜け目のない男だ。借りを作ればいつかは返さねばならないだろうよ。私はむろん、いつかは弟に恩を返すつもりだけどね」


 ユーランは、イリアの肩を抱き寄せながらクスリと苦笑する。

 それにつられてサラーナも苦笑した。あのトゥランのことだ。当然、見返りは要求されるだろう。それでも彼には感謝しかない。


「私も、無事にゾリグと再会することが出来れば、彼に恩を返すことはやぶさかではありません。もちろん、ゾリグとよく相談してからにはなりますけどね」


 サラーナの想いは、遥か南部にいるというゾリグの元へと飛んでいる。

 故郷を出た時は、復讐する事だけが目的だった。彼と生きて再会できるとは思いもしなかった。むろん、本当に再会できるまでは本当に喜べはしないのだと、自らを諫めてはいるのが、それでも抑えきれない想いはある。


「とにかく、全ては南の領地へ辿り着いてからの話です。油断せず旅をしましょう」



 〇     〇



 日が傾きかけた頃、水龍国の侍女たちは、荷物を持って離れ宮と内門との間を往復していた。明日の早朝に迫った出発を前に、衣類の入った葛籠つづらなどを馬車へ積み込むためだ。

 侍女服に着替えたカナンも、アルマと一緒に荷運びにいそしんでいる。


「王女様のご機嫌が直ってよかったですね」

 アルマが揶揄からかうような笑みを浮かべるのを見て、カナンは肩をすくめた。

「本当に助かりましたよ。あのままだったら、帰りの道中が思いやられますからね」

 唇を尖らせてそう言ってから、アルマと顔を見合わせて笑った。



「ハルノ、ちょっといいか?」


 ジィンが近づいて来て、カナンの答えも聞かずに離れていく。一応尋ねる形の声掛けになってはいるが、要するに「ちょっと来い」という事だ。彼の自分勝手はいつものことだが、少々腹立たしくもある。


「……はい」


 ムッとしながらカナンが練武場の中ほどまで歩いて行くと、ジィンが眉間に皺を寄せてボソッと言った。


「往路で私が言ったことは忘れてくれ」

「えっと、何でしたっけ?」


 忘れてくれと言われても覚えていない。月紫国ユンシィに来て神経の磨り減るようなことが色々あったせいで、忘れてしまったらしい。


「私が……おまえに求婚したことだ」

「球根? ……あっ、ああっ!」


 思い出したはいいが、続く言葉が出て来なくて、カナンは口元を抑えながらジィンを指さした。


「こらっ、人を指さすな! 失礼だぞ!」

「す、すみません! でも良かった。思い直してくれたんですね。もちろん、きっぱりさっぱり忘れますので安心してください!」


 にっこり笑ってカナンが約束すると、ジィンは複雑な表情を浮かべたまま宿舎へ戻って行った。

 ポカンとしたまま見送っていると、入れ違うようにナガルがやって来た。


「あ、兄さま!」


 駆け寄って抱きつくと、ナガルはいつものようにポンポンとカナンの頭をなでながらクスッと笑ったようだった。


「ジィンさまは何て言ってた?」

「往路で私が言ったことは忘れてくれって。例の件、兄さまが説得してくれたのね?」

「ああ。まぁ、俺も言ったことは言ったが、決定打はトゥラン皇子のひと言だろうな」

「え? 何でトゥラン皇子が出てくるの?」


 ナガルの服をむんずと掴んで詰め寄ると、ナガルはクックッと笑い出した。


「なに笑ってるの? ねぇ兄さま!」

「ジィンさまがおまえに求婚したことを、なぜトゥラン皇子が知っていたのか。考えると恐ろしくもあるが、彼は実に的確に敵を排除したよ。彼の一言で、ジィンさまも自分の未熟さに気づいたんだろう」


 ナガルは眉尻を下げ、笑いをこらえながらそう言ったが、結局トゥランが何を言ったのかまでは教えてくれなかった。

 いまいち消化不良のまま、カナンは作業に戻った。


 ジィンの求婚問題が解決したのは大歓迎だったのだが、またトゥランに借りを作ってしまったと思うと、カナンの心中は穏やかではなかった。



  

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