第28話 交代劇の余波
「おや、トゥラン皇子もいらしていたのですね」
トゥランが扉を開けると、正面に立っていた皇后が笑顔を浮かべた。赤い紅をさした艶やかな唇は見事な弧を描いているのに、目だけは笑っていなかった。
「いま下がろうとしていたところですよ、皇后陛下」
自ら脇によけて皇后を通し、そのまま出て行こうとするトゥランを皇后は止めた。
「下がらずとも良い。せっかくだから、そなたも聞いておくれ」
「聞く、とは?」
トゥランは眉をひそめて足を止めた。
皇后のすぐ後から入ってきたイェルンが、トゥランとすれ違いざまに顎を上げてニヤリと笑った。
(なるほど。皇后はユーランを見切って、イェルンを後釜に据えることにしたのか……それにしても仕事が早いな)
皇后とイェルンは皇帝の前へ進み、膝を折って華麗に礼をする。
トゥランが予想した通り、皇后はイェルンを自分の隣に立たせた。
「皇帝陛下に申し上げます。本日わが宮に賊が押し入り、ユーランが怪我を負いました。幸い軽い怪我で済みましたが、元より気弱な性格。襲われたことに相当心を乱しております。仕方なく、しばらくの間あの子を南の離宮で療養させることに致しました。
我が長子ながら、
皇后の言葉に、皇帝は黙ったまま眉根を寄せている。
(とんだ茶番だな)
どうせ皇帝は皇后に逆らえないのだ。これ以上、茶番に付き合う必要はないだろう。
トゥランは静かに一礼をして皇帝の寝所を後にした。
来る時とは違い、静かな廊下をゆっくりと歩く。
心に渦巻いているのは怒りとも呼べぬような小さな鬱屈だが、晴れぬ空のようにモヤモヤと心の中にわだかまっている。
事態はトゥランが考えていた方向へ進んでいるというのに、それが自分の手によるものでない事が腹立たしい。
皇帝の宮を出ると、庭園の木の陰に女が佇んでいた。それがヨナの姉ラァナだと気づくと、トゥランの頭に良い考えが閃いた。
トゥランは大股でラァナの元へ歩み寄ると、ひと言ささやいた。
「イェルンが皇太子になるらしいと、お前の宮の主に教えてやれ」
「承りました」
ヨナ似の美女は、トゥランの意を察して微笑みを浮かべた。
ユーランが皇太子を廃され、イェルンが新たな皇太子となるという噂は、ラァナの主、後宮の妃の元からたちまち知れ渡った。
イェルンと年の変わらぬ皇子たちや、その母である妃たちは当然面白くない。普段は牽制し合う彼女たちも、今回ばかりは手を組むことにしたらしい。公平な皇太子選定の儀を求めて仲良く皇帝の宮へ押しかけた。
混乱のるつぼと化した後宮の様子を遠くから眺め、トゥランが密かに留飲を下げたことを知る者は少ない。
〇 〇
後宮が混乱に陥る前に、カナンたちは無事に皇太子宮へ戻ることが出来た。
中庭での戦いのあと、捕らえた侍女二人を皇后に引き渡すと、彼女は約束通りユーランを解放してくれた。そして、イリアも連れて行けと後宮を出る許可を与えてくれた。
「────お帰り。首尾よくいったみたいだね」
カナンたちが離れ宮の居間へ入ると、シオンがお茶を飲みながら冷たい視線で迎えてくれた。
「あはっ……ええとぉ……ごめんなさいっ!」
一瞬ヒクッとなったカナンだが、すぐに勢いよく頭を下げた。
「グルグル巻きにしたのはやり過ぎでした。本当に申し訳ありませんでした!」
良かれと思って言ったひと言は、どうやらシオンの気持ちを
「どうせ僕は女のカナンにも負けるような弱い男だよ……」
と、小さな小さな声でつぶやき始めた。
あわあわと慌てだしたカナンと、その後ろで固まるアルマ。
二人にサッと視線を向けたユイナは、突然パンパンと手を叩いた。
「さぁさ、明日はここを立つのですから、急いで帰国の準備を始めますよ。ハルノはまず着替えて来なさい!」
「はい!」
ぴょこんと飛び跳ねて、カナンとアルマが逃げるように居間を出て行くと、ユイナは改めてシオンに向き直った。
「最大の難所は超えたのかも知れませんが、無事に帰国するまで油断は禁物です。どうか、あなた様を思うハルノの気持ちも分かってあげて下さい。カナン王女様」
静かにそう言うと、シオンが眉尻を下げたまま顔を上げた。
「わかっているよユイナ。ちょっと拗ねただけ。本当は、帰国出来ることなってホッとしてるんだ」
「ええ、私もです。ですが、これから横やりが入らないとも限りません。急いで帰国の準備を致しましょう」
「うん」
シオンはコクリと頷いて、恥ずかしそうに微笑みを浮かべた。
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