第27話 皇帝の言い分


 珍しく語気を強めるトゥランを見て、皇帝はフッと笑みをこぼした。円卓の上に置かれたランプの光に、皮肉そうに歪む口元が照らされている。

 玻璃の酒杯をゆっくりとあおり唇を湿らせると、彼は気だるげに頬杖をついた。


「そなたには、わしがただの女狂いに見えるのか?」

「その通りだろうが」


 トゥランは嫌悪の入り混じった目で皇帝を見つめた。


「わしがこうしているのは皇后への意趣返しだ。あの女はそなたの母親を殺した。その事はそなたも知っているのだろう? そして、殺したいほど憎んでいる」

「まぁな。否定はしないさ」


 当然だとばかりにトゥランは肩をすくめる。

 そもそも、トゥランを動かしているのは皇后に対する恨みだ。母を失った少年の頃から、それだけを目標に生きてきた。最近になって別の目標に置き変えたとはいえ、皇后に対する恨みが消えた訳ではない。


「そなたの母ファランは、美しく優しい女だった。あの女は、わしの寵を一身に受けるファランに嫉妬し、彼女を殺した。わしは今でも後悔しているのだ。何故もっと厳重に彼女を守らなかったのだろうか……と」


「確かにそうだな。俺も一時はあんたを恨んだ。毒を盛った侍女を死罪にしただけであんたは黒幕を暴こうとはしなかった。母上を殺したのが皇后だとわかっていて、あんたはあの女を処罰しなかった。あんたの女狂いが皇后への意趣返しだとして、あの女にどれだけ効いてる? 俺は不満だね。だが、ユーランの妻に手を出したのはやり過ぎだ」


 トゥランがそう言うと、皇帝の顔がくしゃりと歪んだ。


「……あれは、ユーランがいけないのだ。あやつの顔を見て、そなたは何とも思わないのか? あの女と瓜二つのユーランを見る度、わしはあやつを痛めつけたい衝動に駆られるのだ。あやつの妻を奪ったのも、あの女と瓜二つの顔が苦しみに歪むのを見たかったからだ」


 病的とさえ思える皇帝の呟きを耳にして、トゥランは眉をひそめた。


「……まさか、カナンに手を出そうとしたのもその為か?」


「そうだ。あのユーランが、水龍国スールンの姫を自ら招いたと聞いて、妻に望んでいるのだと勘違いした。まさかそなたの想い人とはな」


「わかったなら、もうカナンには関わるな。それから、皇后への怨みをユーランで発散するのもやめろ」


「ほぉ、随分と優しいじゃないか。カナン王女からは手を引いてやるが、これ以上わしのやることに口出しはするな。いくらそなたでも、不愉快だ」


 皇帝は不快そうな表情を浮かべてトゥランを睨んだ。

 皇宮の者たちならば怯えて床にひれ伏すところだが、トゥランは怯まなかった。

皇宮から離れても生きていけるだけの備えは既に整っている。皇帝の不興を買って捕らえられ、すぐに処刑されるような事態にならない限り、痛くもかゆくもない。


「俺もユーランも同じあんたの息子だろ? 別に父親の愛情なんか求めてないが、ユーランのことをそんな風に思っているなら、どうしてあいつを皇太子に据えた?」


「ふん。ユーランはあの女の息子だ。あの一族をのさばらせたのはわしの失敗だが、あの後ろ盾がある限り、わしの一存だけで事は運ばぬ。外交ばかりで皇宮ここに殆どいないそなたにはわからぬだろうが────」


「ああ、わからないさ。皇后を罰せない腹いせにユーランを痛めつける。あんたがそんなだからこの皇宮が歪むんだ」


「よくもズケズケと……何も知らぬくせに」


 吐き捨てるように呟く皇帝を無視して、トゥランは言葉を続けた。


「そんなに皇后の一族が怖いのか? 俺がもし寵姫を殺されたら、相手が誰だろうと殺す。父上もそうすべきだった。皇后の一族を黙らせたいなら、あの女を殺した上で、一族の姫をひとり迎えれば良かったんじゃないか? あんたは皇帝の意志を示すべきだった!」


「ずいぶん簡単に言うな。そなたが皇帝になったら、さぞかし上手く統治するのであろうな」


 皮肉交じりの言葉を聞いて、トゥランは怒りよりもなぜか笑いが込み上げてきた。


「はっ、まさか。この広大な国を俺が統治? さすがの俺でも手に余るよ。父上の命であちこちの領地を巡ってきたが、各地の不満を抑えながらいかに中央への税収を上げるか。とんでもない無理難題に、いつも頭が痛くなるほど苦労させられてるよ。統治なんか頼まれてもご免だね」


 初めはカナンの為に乗り込んだ筈が、ユーランの弁護や、くだらない皮肉の応酬にまで発展している。

 遠方の領地を巡るたび、その報告がてら意見を交わしたことは幾度もあるが、そのいずれも皇帝と皇子としての会話で、父と子の会話ではなかった。こんな風に歯に衣着せぬ言い合いなどしたことはなかった。


「父上の後を継ぐのは俺じゃない。父上のお望みは、自分の切り開いた道を素直に歩む世継ぎなんだろ?」


 トゥランが笑うと、皇帝もニヤリと笑みを浮かべた。

 その時、庭に面した窓を覆うカーテンが揺れた。

 素早い身のこなしで部屋に入って来たのは、二人の侍女だ。彼女たちは部屋にトゥランがいることに驚いて身を翻そうとしたが、皇帝はそれを止めた。


「構わぬ。報告があるなら話せ」


 二人の侍女は素早く窓辺に片膝をつくと、一人が顔を上げた。


「報告致します。皇太子殿下が正后殿に参られ、イリアさまと接触しました。すぐにイリア様を保護しようとしたところ、殿下に加勢する女官たちに阻まれ、二と三が囚われました」

「何だと?」


 いきり立つ皇帝の後ろで、トゥランは片眉を上げた。

 どうやら皇后の茶会へ向かったカナンたちは、トゥランが予想した以上の動きをしているらしい。ユーランはイリアを取り戻し、カナンは自らの力で皇后の魔の手を振り払ったのだろう。


(なんか、不愉快だな)


 自分の思惑をすり抜けて、意気揚々と笑うカナンの顔が思い浮かぶ。

 本当なら返せぬほどの恩を売りつけて、カナンの意志をくじくつもりだったのに。


(どこまで俺の思惑を超えていくつもりだ……)


 トゥランが不快感を面に表したとき、扉の外から声がした。


「皇后陛下、並びにイェルン皇子さまのお成りでございます!」

「……何だと?」


 皇帝が振り返った瞬間、二人の侍女は素早く窓の外へ姿を消した。


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