第19話 トゥラン乱入
先ほどまでは正殿に置かれた彫像のようだった衛兵たちが、魂を吹き込まれたかのように四方の壁からゆっくりと動き出した。玉座の前に立つ
鎧をまとった大柄な武人たちにじりじりと包囲され、カナンは目を見開いたまま固まった。
「王女様を守れ!」
包囲が縮まる直前になって、水龍の騎士たちが動いた。正殿の入口で取り上げられたため、彼らの手に武器はない。それでもシオンや怯える侍女たちを守るために、その体で壁を作ったのだ。
抜き身の剣を手に粛々と輪を縮めてくる皇宮の衛兵が相手では、どう考えても彼らに勝ち目はない。
「ごめん……あたしのせいだ…………」
両手で口を覆いぶるぶると震えるカナンの肩を、シオンが抱き寄せた。
「大丈夫。きみが理由もなく動くわけないって、みんなわかってるよ。あとで聞くから、今は落ち着いて。まずはここを切り抜けないと」
「……うん」
頷いてはみたものの、水龍国の騎士たちはすでに彼らよりも数で勝る衛兵に囲まれている。
皇宮の衛兵たちは一応の礼節を保っているつもりなのか、乱暴な言葉を発する事なく無言で包囲している。〝抵抗はするな〟と言うように不気味な圧をはなっているだけだ。
カナンはシオンを見上げた。ここで捕まったら、彼が身分や性別を偽って皇宮にいることを知られてしまう。最悪の場合、処刑されるかも知れない。
(あたしはいつも、考えなしだ……)
なんど後悔しても直らない。サラーナを止めたことに後悔はないが、その後に巻き起こる事態を想定していなかった。
カナンは、自分とシオンを守るように立つ目の前の大きな背中を見上げた。
兄のナガルは、きっと素手でも最後まであきらめずに戦うだろう。もちろんジィンや、他の騎士たちもそうだ。
ピンと張りつめた空気が広間を支配する。
二重の人壁の隙間から玉座を見れば、再び頬杖をついた怠惰な皇帝の姿が目に入る。
(戦いになる前に……あたしが、責任を取らないと────)
肩に置かれたシオンの手から、カナンがすり抜けようとした時だった。
正殿の入口がにわかに騒がしくなった。
緊迫した空気が一気に削がれ、皆の視線が騒ぎの方へと移ってゆく。
「お待ちください! 皇帝陛下はただいま皇太子殿下とご歓談中でございます!」
「ご歓談中にしては、ずいぶんと不穏な空気じゃないか?」
入口を守る衛兵を蹴散らし、つかつかと正殿に入り込んで来た人物はトゥラン皇子だ。
普段なら癇に障る傍若無人な振舞いも、今日に限っては頼もしく思えてくる。
彼の姿を目にした途端、カナンは自分でも気づかぬうちにホッと安堵の息をついていた。
「トゥラン! そなたが何故ここにいる? 南部へ行っていたのではなかったのか? いつ帰ったのだ?」
皇帝の声が響くと、トゥランはまっすぐ玉座の前へ進んだ。
綺羅綺羅しい青衣を翻しながら歩く彼の後ろには、地味な灰色の衣に身を包んだ従者がひとり、影のように付き従っている。
彼らが進むと、カナンたちを囲んでいた衛兵たちが道を開けた。おかげで包囲に穴が開きはじめる。
「皇帝陛下、並びに皇后陛下。ご機嫌麗しくて何よりです」
玉座の前に進み出て、トゥランは優雅に一礼する。その慇懃な態度に皇帝は苛立ちを隠しきれない。
「南部の視察は順調ですよ。あまりに順調過ぎて退屈でした。暇を持て余していたら、兄上が
「……そなたは、いつもそうやって……身勝手な奴だ!」
「お褒めにあずかり光栄です」
トゥランは皇帝の苛立ちなど意に介さず、くるりと皇帝に背を向けると、カナンたちの方へ振り返った。
「やぁカナン王女。会いたかったよ!」
トゥランはつかつかとシオンの前に歩み寄ると、両手をパッと広げた。ギョッと身を竦ませるシオンを正面から抱きしめる。
シオンの後ろで硬直していたカナンには、笑いながら片目をつむってみせる。
最初から最後まで傍若無人な振舞いのトゥランだったが、そのお陰で、カナンたちは無事に正殿を後にすることができた。
〇 〇
「一応言っておくが、皇帝から逃れられたのは一時のことだ。あいつのことだから、また難癖をつけておまえらを捕らえに来るだろう」
皇太子宮の内門をくぐった所で、トゥランが一同を振り返ってそう言った。彼は珍しく真摯な顔をしている。彼にそんな顔をさせるほど、事態は切迫しているのだ。
「で、何をやらかした?」
自分の行いを反省しうつむいていたカナンの顎を、トゥランがすくい上げた。
現場にいなかったくせに、騒ぎの原因がカナンだと分かっているらしい。
「あたしが、王女様の……首飾りに、手を引っかけてしまいました。本当に、申し訳ありませんでした!」
ユーランや皇太子宮の女官たちにも、カナンは頭を下げた。水龍国の人間だけでなく、一歩間違えれば彼らにも被害が及ぶところだった。
「お待ちください」
サラーナが一歩進み出た。
「彼女が動いたのは私のせいなのです」
「サラーナさん!」
カナンは飛びかかるようにしてサラーナに詰め寄った。ここで皇帝暗殺の話を打ち明けたりしたら大変なことになる。ここは皇太子宮だ。彼らがどんなに反目していたとしても皇帝の息子には違いないのだ。
「ぐっ、具合は、もういいんですか? まだ、顔色悪いですよ!」
「ハルノ。私を庇う必要はない」
「でも!」
「何か訳ありのようだな。……いいだろう。向こうで話そう」
トゥランは離れ宮の方へ顎をしゃくった。そして、難しい顔で佇んでいるユーランに視線を向ける。
「おまえはどうする?」
「今後のことを考えねばならぬ。私も話を聞きにゆこう」
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