第20話 刻まれた文様
居間の中央に置かれた円卓にユーランとトゥラン、そして
三人に正面から見つめられながら、サラーナは皇宮へ来た目的をすべて話した。
「────そのような訳で、私は今日、ゾリグの仇を討つためにカナン王女さまの謁見に紛れました。しかし、暗器を取り出すところをハルノに見られ、止められてしまったのです。私は死ぬ覚悟でした。皆さまを私の事情に巻き込むことになるとわかっていながら、自分を止めることが出来ませんでした。身勝手な振舞いでした。ハルノに止めてもらって、今は感謝しています。私に、この珊瑚珠を持たせてくれたことも……」
サラーナは衣の袖から紅珊瑚の珠を取り出して、隣に座るカナンの前に差し出した。
「この珊瑚珠に彫られた文様がわかりますか?」
手のひらの上に置かれた珊瑚珠を、カナンは覗き込んだ。穴のない側面にぐるりと何かの模様がある。
「これは、ナイダン族に伝わる始祖の文言です。飾り文字で『鷹が舞い降りた』と書いてあります」
「それって……どういう?」
「ゾリグは生きています」
きっぱりと言い切ったサラーナの瞳は琥珀色に輝いていた。
「トゥラン皇子さま。この紅珊瑚の首飾りはあなたからカナン王女への贈り物だと聞きました。騒ぎの元凶である私がこのようなことを願ってはいけないとは思いますが、どうか、この珊瑚珠をどこで手に入れたか教えてください!」
トゥランに向き直り、サラーナは頭を下げた。しかし、その姿を見返すトゥランの瞳は冷ややかだ。
「俺がその珊瑚珠の出所を話したら、おまえはそこへ行くつもりか?」
「もちろんです」
「この騒ぎのせいで、皇帝に目をつけられた奴らを放ってか?」
「それは……」
サラーナは躊躇した。彷徨う視線がカナンの目と合わさる。
「あ、あたしたちは、明後日には国へ帰ります。大丈夫ですから教えてあげて下さい!」
カナンが叫ぶように言うと、トゥランは呆れたように天井を仰いだ。
「おまえは……このまま明後日まで無事にいられると思ってるのか? 万が一逃げ帰れたとしても、皇帝はいつでもおまえの国に手を伸ばせる。その口実も手に入れたんだぞ」
「でも……」
サラーナの横で、カナンもうな垂れた。
うつむく二人を見て、トゥランはため息をついた。
「いいか? よぉく聞けよ。俺たちが今回の暗殺未遂に口を噤めば、おまえが追われる心配はないだろう。その珠の出所まで行くことができる。だがカナン王女たちは足止めを食うだろう。逆に、今回の騒ぎが暗殺未遂によるものだと話せば、おまえの立場は危うくなるが、それを未然に防いだ水龍国の連中は、捕らわれるどころか褒賞を受ける立場になる。もちろん無事に国へ帰れるだろう。この馬鹿は、それを投げうって、おまえを助けようとしているんだぞ!」
トゥランは一言一句区切りながら、カナンを指さした。
「私に、どうしろと?」
膝の上に置かれたサラーナの拳が小刻みに震えている。
カナンは助けを乞うように円卓に座るシオンに目を向けたが、彼はカナンの視線には気づかず、真剣な表情でトゥランを凝視している。
「いま一番中途半端な立ち位置にいるのが、兄上たち皇太子宮の人間だ。水龍国の連中と一緒に捕らえられたところで、兄上は皇太子だ。殺されることはないだろう。侍女たちもそうだ。だが、これが暗殺未遂となれば話は別だ。その女の行動を見抜けなかったことで、非は皇太子宮の方へ移るだろう。事と次第によっては、兄上も無事ではいられない」
トゥランにいきなり指差されて、ユーランは眉間に皺を刻んだ。
「そなたは何が言いたい?」
「兄上の覚悟のほどを訊いているのさ。昨日の話、俺は後宮にいる知り合いに渡りをつけたぞ。気持ちは変わってないだろうな?」
「…………」
ユーランは無言でトゥランを見つめている。
二人の間でどんな話が交わされたのか、カナンにはわからない。ただ、仇の息子だということなど関係なく、トゥランは彼に何かを提案したのだろう。
カナンは静かにユーランの答えを待ったが、口を開いたのはトゥランだった。
「その女と水龍国の連中を無事に逃がすには、それ以上の混乱を巻き起こす必要がある。こいつらのことなど追ってる場合じゃない事態をな」
「それが……私か?」
「そういうことだ。この鳥籠から、逃げる勇気はあるか?」
カナンはハッと息を呑んだ。ユーランが皇宮のことを鳥籠と呼んでいたことを思い出したのだ。
トゥランは、彼の鬱屈を知った上で出奔を促している。あの日カナンが言ったようないい加減な言葉ではなく、本気でそれを提案しているのだ。
「そなたの言い方だと、私はこの二人を逃がすための囮のようだな。……すこし、考えさせてくれ」
ユーランはそう言って席を立った。
その後ろ姿は、ずいぶんと憔悴しているように見えた。
〇 〇
ユーランが自分の宮に帰った事で、話し合いはお開きとなった。
いつの間にか西の空は赤く色づいている。思ったよりも長い時間話し合っていたのだと、トゥランの後について歩きながらカナンはじみじみと思った。
一旦自分の宮に帰るトゥランを、内門まで送って行くようカナンに勧めたのは、シオンだった。今回のことではみんなトゥランに感謝している。もちろんカナンもだ。
「俺に、何か言うことは?」
もうすぐ内門にたどり着くという時になって、トゥランが振り返った。
カナンはハッと顔を上げた。そういえば、まだちゃんとお礼を言っていなかった。
「あのっ、ありがとうございました! 本当に助かりました! まさかトゥランさまの顔を見てホッとする日が来るとは思ってもみませんでした!」
「は? 何だそれは? 感謝の気持ちが少しも伝わってこないぞ」
トゥランは顔をしかめたが、カナンは気にしなかった。
「本当に、今回ばかりはどうしていいのかわかりませんでした。最悪の事態を自分が引き寄せてしまったのに、何も打つ手が見つからなくて、生まれて初めて絶望しました」
真剣に言い募るカナンの額を、トゥランが忌々しげに指で弾いた。
「痛っ」
「絶望ほど、おまえに似合わない言葉はないな。そんなに感謝してるなら、何かお礼をしてくれ。言葉じゃないお礼だ」
「言葉じゃない、お礼?」
カナンは首を傾げた。お礼の品など何も持っていない。後で送るにしても、カナンの故郷には贈り物になるような特産物はない。あるのは農地と海くらいだ。
「あのっ、もしみんなが無事に帰れたら……ですけど、あたしの故郷にトゥランさまを御招待します。南部の人たちは素朴なので、
「それが、おまえのお礼なのか?」
トゥランは不満げに唇を歪めたが、こらえきれずにプハッと笑った。
「まぁいいだろう。おまえの養父に会っておくのもいいかもしれん」
トゥランは手を伸ばしてカナンの頬をつまんだ。
「俺には何の得にもならないが、明日また来てやる。たぶん、明日には何か動きがあるだろう。おまえたちも自分の為にどう行動するか考えておけ。それと、何が起きても動じない覚悟も決めておけ」
トゥランの言う通り、あの皇帝がこのまま自分たちを放っておいてくれるとは思えない。明日には何かが起こるだろう。
「はい」
カナンは唇を噛みしめて、トゥランにうなずき返した。
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