第14話 トゥランの贈り物


 翌日の正午まえ、トゥランは改めて皇太子宮の離れ宮を訪れていた。

 昨夜は無理やりにでも王女シオンに会おうとしたトゥランだったが、「今日はもう遅いので」というユイナの断固とした言葉に、しぶしぶながら従ったのだ。

 実際、会いたかった相手 カナン にはもう会えた。日を改めてやるくらいの心の余裕はある。


 離れ宮の玄関先で声をかけると、侍女がお待ちくださいと言って素早く去って行った。侍女頭の言いつけだろう。安易に屋敷の中へは入れてくれないらしい。

 苦々しい笑みを浮かべて佇むトゥランの後ろには、大きな箱を捧げ持った侍女が立っている。皇太子宮の中に入れるのは〝王族男子と女性のみ〟という決まりがあるとは言え、女一人が持つにはいささか大きな荷物だ。



「南方の視察で、俺が滞在していた地域の特産物だ。受け取れ」

 出迎えたユイナに、トゥランは横柄な態度で顎をしゃくった。すると後ろに控えていた侍女が一歩進み出て、手土産の箱を差し出した。


「……どうぞ。庭の東屋にお通しするよう申し付かっております」

 侍女が二人がかりで土産の箱を受けとる姿を尻目に、ユイナは庭へとトゥランを案内した。


 小さな池の畔にある石造りの東屋には、すでに薄青色の衣を纏った人物が待っている。頭から薄絹を被るその人物に目を止めるなり、トゥランはフフンと笑った。

 足早に歩み寄り、東屋に入るなり挨拶もせずに王女の薄絹をめくり上げる。薄絹の中から現れた色白の顔と大きく見開いた瞳を見るなり、彼は満足そうに口角を上げた。


「久しぶりだなカナン王女。相変わらず色白で儚げな様子だが……そろそろ首を隠した方がいいんじゃないか?」


 トゥランがシオンの喉にツーっと指先を滑らせると、シオンはハッと両手で喉元を隠した。近頃ようやく目立つようになってきた喉仏だ。


「ご忠告、痛み入ります」

 シオンは丁寧にお辞儀をすると、トゥランに向かいの席を指し示した。


「ずいぶん元気そうじゃないか。あれほど病弱だったおまえが、まさか月紫ユンシィ国に来るほどの体力を得たとはな。だが……おまえの事を皇太子が知ったらどうなると思う? 生きて帰れないどころか、国を巻き込む騒ぎになるぞ」


 トゥランの指摘を受けてシオンは小さく息をつく。


「わかっています。ですが、どうしても妹を行かせることは出来ませんでした。彼女は王族に戻るよりも、臣籍であり続けることを選んだのです。今度は私が彼女の代わりにならなければと……」


 決意を込めて口にした言葉は、尻つぼみに消えてゆく。

 シオンの思いとは裏腹に、結局カナンはこの旅について来てしまった。自分が何の役にも立てていないことが情けなくて仕方がない。

 シオンはしょんぼりと肩を落とした。


「仕方ないさ。あいつだっておまえが心配なんだろう。さすが双子だな。おかしいくらいそっくりだ。が……この俺にそんな話をしていいのか? 皇太子に告げ口するかも知れないぞ」


「あなたは言わないですよ。だって、彼女が窮地に立つような真似はしないでしょう? もしそんな事をすれば、私もあなたに謀反の恐れありと触れ回りますよ」


「なるほど」

 トゥランは石のテーブルの上に肘をつき、ゆっくりと両手を組んだ。


 一年前、彼は迂闊にも、カナンの前で皇帝の座を狙うと発言している。恐らくシオンは彼女からその話を聞いたのだろう。

 用意されていた冷たいお茶とお菓子には目を向けず、二人は無言の睨み合いを続ける。

 その静かな闘いを中断したのは、ユイナの声だった。


「王女様、先ほどトゥラン様から頂いた贈り物でございます」


 ユイナの後について進み出た三人の侍女は、それぞれがお盆を手にしている。そのお盆の上には、色とりどりの絹の反物や宝飾品が並べられていた。


「これは……また、沢山」


 煌びやかな贈り物を呆れたように眺めてから、シオンはちらりと侍女の一人に目を向けた。仏頂面をしたカナンだ。彼女はもう我慢できないというように口を開いた。


「こんなの頂けません。持って帰って下さい!」

「は? 誰がおまえにやると言った? これは王女様への贈り物だぞ」


 トゥランが真顔で言い返すと、カナンは目を見開いてみるみる赤面する。己の立場を忘れていた羞恥か、それとも軽んじられた怒りか、どちらにしてもトゥランにとっては揶揄いの種でしかない。


「ほぅら、特にこれ。南方の海で採れる紅珊瑚だ。カナン王女には赤が似合うからな。地元の職人に首飾りに加工させたんだ」


 お盆の上の首飾りに手を伸ばし、トゥランは赤い珠が連なった首飾りを手に取った。それを緩やかな弧を描くように両手で持つと、シオンの首元にあててみる。


「やっぱり似合う」


 目を細めてシオンを愛でてから、立ちすくむカナンに同意を促すように微笑みかける。

 ギョッとしたまま固まっていたシオンは、ようやく我に返りトゥランの手を押し戻した。


「私もご遠慮申し上げます」

「は? 贈り物を突き返すのは無礼だぞ。知らないのか? それはもうカナン王女の物だ。要らなければ捨てればいい」


 トゥランは鷹揚な態度で椅子の背もたれに体を預けると、いま初めて気づいたようにお茶を飲み始めた。

 カナンとシオンは困ったように顔を見合わせると、同じタイミングでため息をついた。

 ────その時。


「失礼します。ユイナさま!」


 アルマが慌てたようすで駆け寄って来た。

 いつも冷静な彼女がめずらしいな、とカナンが驚いていると、ユイナに耳打ちする声が聞こえて来た。


「玄関に、皇太子殿下がおいでです」


 パッと振り返るユイナにつられて、カナンも玄関がある庭の入口へ目を向けた。

 ちょうど庭木と建物の間から、ユーランが庭に入って来るところだった。恐らくアルマの静止を無視して後をついて来たのだろう。

 ここは皇太子宮だ。この宮で彼を止められる者などいるはずはない。


 ざわりとした空気が漂うなか、トゥランが立ち上がった。


「これはユーラン兄上。カナン王女に何かご用ですか?」


 薄絹を被りなおしたシオンも、トゥランに少し遅れて東屋から出ると、カナンを隠すように彼女の前に立ち、皇太子に頭を下げた。


「来ていたのかトゥラン。ちょうど良いからそなたも一緒に聞いてくれ」

 ユーランはトゥランの少し前で立ち止まり、渋面を浮かべた。

「皇帝陛下より書簡が届いた。明日、カナン王女をつれて謁見する。準備をしておくように────トゥラン、少し良いか?」


 踵を返しながらトゥランに視線を向ける。

 トゥランは一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐにユーランの後を追った。



(何を話してるんだろう?)


 少し離れた場所で話をする二人をカナンはじっと見つめた。すると、いつの間にか大柄な侍女が隣に立っていた。トゥランが連れて来た侍女だ。


「あなたは相変わらず、とんでもないことをなさいますね。あの二人がどういう関係か教えて差し上げましょうか?」

「あの二人? って、ええっ? あっ、あなた、ヨナさん?」

 カナンはギョッとして身を引いた。


「お久しぶりですカナン様。ああ、今は〝ハルノ〟でしたね」

 にっこり笑うヨナは、侍女のお仕着せと日よけの薄絹を被っている。

「王族の宮には王族以外の男子は入れませんので、このような姿で失礼いたします」

「い、意外と、お似合いですね」


 カナンは顔を引きつらせながらも笑みを浮かべた。

 もともと男性にしては線が細いと思っていたが、ヨナの女装姿は恐ろしく板についている。これでもう少し背が低かったら、まったく違和感はなかっただろう。


「私のことはどうでも良いです。水龍スールン国で、私がトゥランさまについて話したことを覚えてますか?」

「えっと、あの、お母さんが毒殺された話……ですよね?」


「そうです。トゥランさまの母君を殺したのは皇后────皇太子殿下あのかたの母君です。彼がその事を知っているかは存じませんが、トゥランさまにとって彼はまさしく仇の息子なのですよ」


 責めるように囁くヨナの声を聞きながら、カナンは池の畔に佇む二人の皇子に目を向けた。真剣な表情で話をする二人が、まさかそんな関係だったとは。

 あの話を聞いた一年前、カナンはトゥランに同情したが、どこか遠い異国の出来事としかとらえていなかった。しかし、こうして月紫国に来て当事者たちを目の当たりにしてしまうと、何とも複雑な気持ちだ。

 カナンはヨナを見上げたが、どんな言葉を返してよいのかわからなかった。

  

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