第12話 再会


「……トゥラン? そなた、どうしてここに?」


 振り返ったユーランは、カナンの背後に異母弟の姿を認めて柳眉をひそめた。

 一方カナンは、トゥランの名を聞いた途端ヒクッと喉を鳴らしたきり、振り返る勇気もなくただ前を見つめている。


(なんで? トゥラン皇子は居ないって言ってたのに、ジィンの嘘つき!)


 一番会いたくなかった人に、カナンは今、後ろから抱えられている。

 ユーランに連れて行かれるのもマズいが、この状態も非常にマズい。

 ドクドクとカナンの心臓の音が大きくなってゆく。


「カナンが来ると聞いて急いで戻って来たんだ。が……兄上は相変わらずお盛んだな。あと一歩遅かったら、俺は兄上にまで要らぬ恨みを持つところだったよ」


「なるほど。この侍女はそなたの知り合いであったか」


 ユーランは目を細めて、カナンとその背後に立つトゥランを見つめた。そして、つかんでいたカナンの手を放してくれた。

 カナンはつかまれていた手首をそっと撫でてから、胴に回されたトゥランの腕を引き剥がしにかかった。が、こちらはどうも外れそうにない。


「顔見知り? いや……そんなもんじゃないな。このは俺のお気に入りでね、誰にも取られないように唾をつけておいたんだ」

「────つ、唾ぁ?」


 カナンは思わず声を上げた。よりにもよって人に唾をつけるとは何たる言いざまだ。いくらなんでも酷過ぎる。

 抗議の目で振り向くと、トゥランの指がカナンの唇にむぎゅっと触れた。


「つけただろ? ここに。忘れたのか?」


 ニヤリと笑う。

 その顔を見て、カッと頬が熱くなった。「唾をつけた」とはことだったのだ。出来れば忘れたかったあの日のことを思い出すにつれ、カナンの頬がみるみる赤く染まってゆく。


「あ、ああ、あっ……あれは!」

「嘘じゃない。だろ?」


 トゥランがカナンの頬をむにっとつまむ。

 カナンはわなわなと震えるだけで何も言えない。

 そんな二人の様子を見たユーランは、残念そうにため息をついた。


「せっかく面白い娘に会えたのに。そなたの手がついているなら仕方ない。残念だがあきらめるよ。ただし、水龍スールン国の者を招待したのはこの私だ。侍女一人と言えど、この宮から連れ出すことは許さぬ。それだけは守れ」


 ユーランは名残惜しそうな視線をカナンに向けながらも、そのまま大人しく林の奥に消えていった。

 皇太子が去りホッとしたのも束の間、カナンは肩をつかまれクルリと反転させられた。


「久しぶりだなカナン。一年ぶりに会えたのに、なんだってそんな顔してるんだ? 危ない所を助けてやった俺に、何か一言くらいあってもいいんじゃないか?」


 トゥランは再びカナンの頬肉をつまみ上げる。


「痛たたっ……あふっ、危ない所を……助けていただき、ありがとうございます」

 頬をつままれながら、カナンは投げやりな笑顔を浮かべた。

「えっひょ、お元気そうで何より……あれ? 一年前よりも背が伸びましたか? あたしもけっこう伸びたのに目線の差が変わらない……」


 悔しげに見上げてみれば、以前より逞しくなったトゥランがいた。髪も前より短くなっていて、一年前にはあった少年ぽさが消えている。


「ふっ、さすがのお前も、皇太子の呼び出しには逆らえなかったようだな。魔界の毒気にてられないうちに早く帰った方が良いと伝えに来たんだが……せっかく会えたんだ。俺に宮にも招待するからゆっくりして行け」


「それは遠慮します。ほら、皇太子殿下も言ってたじゃないですか。宮から連れ出すなって。それにあたしたち、あと三日で帰りますから!」


「へぇ、たった三日? 本当にそれで帰れると思ってるのか?」

「だって殿下がそう言ったんですよ」

「へぇ。ずいぶんと、おまえにご執心だったみたいだが?」

「それは……あれですよ。たまたま通りかかったのがあたしだっただけで、誰でも良かったんじゃないですか?」

「ふぅん」


 トゥランは顎に手をかけて一瞬だけ思案気な顔をしたが、すぐに何か思いついたように片方の眉を上げた。


「ま、さ、か、おまえの片割れが来てるんじゃないだろうな?」

 トゥランの口端が歪んで笑みの形を作る。


(やばい……バレてる? そんな訳ないよね?)


 カナンは懸命に平静を装った。

 いくらトゥランでも、今の会話でシオンが来ている事までわかる筈はない。きっと彼特有の”張ったり”だ。


「おまえ、動揺し過ぎ」


 額が触れそうなほど至近距離からトゥランに覗き込まれて、カナンの心臓は飛び上がった。あわあわしているうちにトゥランの唇がカナンの唇を啄んで、離れてゆく。

 揶揄からかうような口づけに、カナンは目を見開いたまま固まった。


「〇×△※&%!!」


 金縛りが解けたカナンは、意味不明な叫び声を上げながら思いきりトゥランを突き飛ばした。そして出来る限り間合いを取ろうと、じりじりと後ずさる。

 このままでは、一年前と同じようにトゥランのペースにはまってしまう。


「ククッ……おまえ変わってないなぁ」

 トゥランが声を上げて笑い出した時、離れ宮の扉が開いた。


「そこに居るのは、ハルノ? こんな時間まで何を……あっ……」

「ユイナさま!」


 カナンは脱兎のごとくユイナの元へと駆け寄った。

 この状況をどう説明したものかと困惑しながら見上げると、ユイナは驚いたようにトゥランを凝視している。たぶん彼女も、トゥランが視察に出ている事をジィンから聞いていたのだろう。


「シオン王子付きの侍女長殿か。やはり、おまえの片割れも来ているんだろ?」

「な、何言ってるんですか? シオンさまは水龍です。来るわけないじゃないですか!」


 ユイナの存在に勇気をもらいカナンは胸を張ったが、トゥランはそんな言い訳など信じないとばかりに、口端を歪めてニヤニヤしている。


「俺を誰だと思っているんだ? 例え皇宮の人間がすべて騙されても、俺は騙されないぜ。何たって、俺はおまえたちが頭おかしいって知ってるからな」

「頭、おかしい?」

「さぁ案内しろ。シオンに会ってやる」


 トゥランは尊大に言い放つと、ぐいっと顎をしゃくった。


  

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