第7話 サラーナ


「ねぇ、皇太子から帰国の許可をもらったよ! あと五日は滞在しないといけないけど、よくやったと思わない?」


 ユーランが帰った後、シオンが嬉々としてそう言った。褒めて褒めて、と言わんばかりの満面の笑み。すっかり頼もしくなったくせに、こういう可愛らしい所は少しも変わらない。


「はい王女様。ちょうど洗濯場で嫌な噂を聞いたばかりなので、ホッとしました!」

 笑みをこぼしながらカナンが答えると、シオンとユイナはサッと顔色を変えた。


「ハルノ、その嫌な噂と言うのは?」

「ユイナ様、それは私からお話致します」

 眉をひそめるユイナに、アルマが洗濯場で聞いた噂話をかいつまんで話してくれた。


「────なるほど。では、極力あちらの興味を引かないように気をつけねばなりませんね」


 ユイナがそう言ってカナンを見つめる。その隣に立つアルマと、シオンまでもがカナンをじっと見つめてくる。


「あたし……何もしませんよ?」

「もちろん、信じていない訳ではありませんよ。ただ、私たちはあなたが心配なのです」


 カナンの前で、三人が同時に目を細めた。残念そうな、困った人を見るような目で。


「ハルノはとにかく気をつけてね。いっその事、きみは何もしない方が良いんじゃないかな?」

 シオンまでが溜息まじりにそんな事を言うので、カナンは少しだけむくれてしまった。


(みんなして……あたしのこと、どんな人間だと思ってるのかしら?)


〇     〇


 夕方になると、カナンはアルマと一緒に籠を持って洗濯場へ向かった。干しておいた洗濯物がそろそろ乾く頃だ。

 洗濯場を囲む垣根を超えると、井戸端に集まった女たちが何やら揉めている。

 カナンとアルマは、少し離れた場所に立つエンユに声をかけた。


「どうかしたのですか?」


「ああ、あんたらかい。主様の侍女がね、探し物に来てるんだよ。洗濯に出した覚えはないが、紛れ込んだかもしれないってね。こっちの不手際でもないのに、えらい剣幕で乗り込んで来たんだよ」


「皇太子宮の侍女が、ですか?」

 アルマは驚いたように聞き返した。


「ここにいる侍女たちは、地方ではそれなりに身分のある娘なんだよ。あの娘もどこかのお姫さんらしいが、愛想はないし、最初っからここに馴染もうって気持ちが無かったみたいだね。そのせいで侍女の中でも浮いているらしいが、だからって、あたしらに当たられても困るってもんだよ!」

 よほど鬱憤が溜まっていたのか、エンユは容赦がない。

「まぁ、他の娘たちみたいに主様に媚びないところは買うけどね」


 カナンは、洗濯女中に囲まれている背の高い女を見つめた。

 年の頃はアルマと同じくらいだろう。すらりと背が高くてものすごく姿勢がいい。肩からすっと伸びた細い首。栗色の髪は三つ編みをまとめて結い上げている。化粧っけのない色白の面と、やや目尻のつり上がった一重瞼がハッとするほど印象的だ。


(……かっこいいひとだな。どこの国の人だろう?)


 水龍スールン国を含めて、この大陸の住人たちは民族的にそれほど大きな違いはない。けれど、彼女が月紫ユンシィ国中央の人間でないことはカナンにもわかった。


「さ、洗濯物を取り込んでしまいましょう」


 アルマに促されて、カナンは干場へ移動した。

 侍女のことは気になるが、余計なことはするなと釘を刺されたばかりだ。みんなの信用を得るためには仕事に専念するのが一番だ。

 乾いた衣類をせっせと畳んで籠に入れながら、カナンはふと、庭木に目を向けた。枝先に青い布が引っかかっている。細長い手拭いのような布だ。


「風に飛ばされたのかしらね?」


 手を伸ばしても届かなかったので、カナンはヒョイっと飛び上がって青い布を引っ張った。幸い布は綻びもなく、中央部分に施されていた蔦模様の刺繡も無事だった。


「あっ! もしかして、探し物ってこれの事かしら?」

 カナンは手にしていた青い布をアルマに見せた。


「そうかも知れませんね。渡してきます」

「いえ、アルマさんはここに居て下さい。あたしが行ってきます!」


 アルマの申し出を断り、カナンはそそくさと洗濯場に戻った。

 かっこいい侍女を近くで見たかったし、言葉を交わすせっかくの好機を逃す手はない。


「あのぉ、探し物ってこれですか? そこの木の枝に引っかかってたんですけど」


 人垣の外側でカナンが青い布を高く掲げると、侍女が息を呑むのがわかった。彼女は洗濯女中をかき分けて来ると、カナンの手から素早く布を奪い取った。


「これを……探していた。私の大切な物だ。ありがとう!」


 よほど大切なものだったのだろう。彼女は両手に握りしめた布を胸に抱き、潤んだ目でカナンを見つめている。

 一見強そうな彼女が涙を浮かべているのがとても不思議だった。


「あなたが見つけてくれなかったら、これは私の手元に戻って来なかっただろう。本当にありがとう。私はサラーナだ。あなたの名前は?」


「あ、あたしは水龍の侍女でハルノと申します。お届けできて良かったです」


 カナンは彼女と青い布の関係が知りたくてウズウズしたが、ユイナの言葉を思い出してそのまま静かにアルマの元へ戻った。


 〇     〇


 カナンが去った後、サラーナは足早に洗濯場から離れた。

 皇太子宮の部屋に戻る途中、庭園の林の中で立ち止まりホッと息を吐く。

 手の中に視線を落とし、そこに青い布がある事に安堵して、もう一度ぎゅっと抱きしめる。失くしたと気づいた時の衝撃は、今も胸の痛みとなって残っている。


(良かった……おまえを失くしてしまったかと思ったよ…………ゾリグ)


 愛しい男の顔を思い浮かべ、サラーナはぎゅっと目をつぶる。

 固く閉じた瞼の隙間から、涙が一粒こぼれ落ちた。

  

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