第6話 洗濯場の噂
朝早く起きたカナンは、先輩侍女アルマと一緒に皇太子宮の洗濯場にいた。
立てかけてあった大きなたらいを借りて井戸水を汲み、黙々と衣類を揉み洗いする。
昨夜は、あまり眠れなかった。
自己犠牲を厭わないシオンの態度や言葉が、どうにも気になって仕方がなかったからだ。心配してくれるのはもちろん嬉しいけれど、自分の安全の為にシオンを犠牲にするなんて冗談ではない。カナンだってシオンが大切なのに。どうしたらそれをわかってもらえるのだろう。
モヤモヤした気持ちを晴らすように力を込めて揉み洗いするうちに、いつの間にか無心になっていた。
洗濯に集中することで、不思議とカナンの心も洗い流されたようだった。
(うだうだ考えてても仕方ないわね)
カナンは隣で洗濯しているアルマに目を向けた。彼女はカナンより三つ年上だ。
黒髪をきっちりと低い位置に結った彼女は、物腰柔らかで大人しい印象だが、侍女長ユイナの信頼厚い上位の侍女だ。
気分を変えようと、カナンはアルマに声をかけた。
「今日はカラッとしてて、よく乾きそうですね!」
「はい。この皇都は高原なのかも知れませんね」
手を止めたアルマは、カナンを見て苦笑を浮かべた。
日に焼けていることを除けばシオンとそっくりなカナンの顔や、頭の上に丸く結い上げたくせ毛の髪を改めて見分しながら、少々呆れているようでもあった。
「本当に手伝って頂けるとは思いませんでした」
「そうですか? あたし、けっこう何でも出来るんですよ。あ、敬語はやめてくださいね、アルマさん」
カナンは笑顔で釘を刺す。
彼女がシオンの妹だということは、王子宮の使用人なら知らない者はいない。
もちろん、一年前の晩餐会でその存在を知られてからは、「捨てられ姫」と仇名されるほど城中でも有名になったが、こうして侍女見習いハルノとして行動していることは王子宮の使用人だけの秘密だ。
アルマは半月に及ぶ今回の旅で、カナンの性格をすっかり把握したと自負していたが、この侍女ぶりには少々面食らっていた。
「おや、見たことのないお仕着せだね。もしかして
恰幅の良いおばさんが洗い物を抱えてやってきた。
アルマが立ち上がって会釈をする。
「はい。カナン王女の侍女アルマと申します。しばらくの間お世話になります」
「ハルノと申します。洗い場を勝手にお借りしてすみません」
カナンも並んで頭を下げた。
「ああ構わないよ。皇太子殿下のお客様だからね。あたしゃ洗い場を任されてるエンユだ。わからない事があったら遠慮なく聞いておくれ」
エンユがたらいで洗濯を始めると、少し遅れてぱらぱらと洗濯女中が集まって来た。
人が集まると話題になるのは何処でも同じ。高貴な方々の噂話だ。
何番目の皇女さまがどうしたとか、何番目と何番目の皇子さまがケンカしたとか、どこから聞いてくるのか皇太子宮の女中たちは情報通だ。
(そう言えば、本物のハルノも情報通だったな。使用人食堂には色んな宮の侍女や下女が来るから、噂話が飛びかうんだって言ってたっけ。ここにもそういう場所があるのかな?)
懐かしい顔を思い浮かべながら、カナンは何だかソワソワした。
月紫国の皇宮を知り尽くしているであろう彼女たちには、聞きたい事がたくさんある。皇太子ユーランの噂や、トゥラン皇子の所在だ。けれど、ここでそんな事を尋ねて良いのかわからない。
カナンが迷っていると、エンユが話しかけて来た。
「水龍の王女様はどんな方なんだい?」
「え……ええっと……」
カナンとアルマは顔を見合わせた。今はシオンが王女役を演じているが、訊かれているのはカナンの人となりだ。
「王女様は明るくて快活なお方ですが、初めての長旅に体調を崩されて、今は少々、快活さは影を潜めております」
アルマが代わりに答え、大丈夫だと言うようにカナンに微笑みかけた。
「そうかい。確かに水龍からじゃあ大変な長旅だったろう。体調を崩したのは気の毒だったが、考えようによっちゃ良かったのかも知れないよ」
エンユが含みのある物言いをしてニヤリと笑うと、洗濯場の女たちも頷いて賛同の言葉を口にする。
「それは、どういう?」
アルマが促すように声をかけると、エンユは身を乗り出して声を潜めた。
「ここだけの話だがね、ここの主様は女癖が悪いんだ。そりゃもう毎晩とっかえひっかえさ。まぁ、この宮に仕える若い女たちは、みんな主様に好かれようと必死なんだがね。主様が皇帝になったら後宮に入りたいから嫌がる女はいない。それが主様の行いを増長させちまうのさ」
(うわぁ……正真正銘のクズ皇子じゃん)
カナンが「うへぇ」とつぶやくと、エンユが大きく頷いた。
「この状況に耐えかねて、ご正妃様は皇帝陛下の後宮に逃げ込んだって話だよ」
「ええっ、お妃様が後宮に?」
後宮こそ魑魅魍魎の巣窟だったはずではないか。
カナンは思わず声を上げてしまってから、ハッと自分の口を塞いだ。
「後宮と言ってもね、皇后さまの宮にお住まいらしいよ。まっ、ここに居て、主様の所業を見聞きするよりはマシなんじゃないかな。だからね、水龍のお姫さんも気をつけてやりな。いつ主様の手がつくかわからないからね」
「……わかりました。肝に銘じておきます」
アルマは神妙な顔でエンユに頭を下げた。
〇 〇
離れ宮に戻ると、皇太子ユーランが来ていた。開け放たれた居間の扉の向こうに、円卓に向かい合って座るシオンとユーランの姿が見える。
悪い評判を聞いたばかりのカナンとアルマは思わず眉をひそめたが、円卓の中ほどではユイナがお茶の支度をしている。今のところ、シオンに魔の手が伸びる隙は無さそうだ。
カナンがホッと息を吐くと、アルマが腕をつついてきた。
「裏に回りましょう」
囁き声に頷いて、カナンとアルマは回廊をぐるりと回った。
侍女が使う控えの間に面した小窓からなら、円卓で向かい合う二人の顔が見える。
「────カナン王女。お加減は如何ですか?」
円卓に頬杖をついたユーランは、くつろいだ様子で
王女姿のシオンは頭から薄絹を被っていて、顔を伏せていると目元は見えない。
「あまり良くはありません。ですが、ようやく月紫国にたどり着き、こうして皇太子殿下にお会いすることが出来たのです。ぜひ、私を招待した理由を教えて頂きたいのですが?」
シオンの声は小さかったが、そこには芯の通った強さがあった。
「きみを呼んだ理由、ですか? ……うーん。そんな風に真剣に聞かれると困りますね」
ユーランはクスッと笑った。右目の泣きぼくろに長い睫毛の影が落ちる。
「単なる興味かな。コウン王子がね、きみの話を聞かせてくれたんだ。シオン王子のふりをしたり、あのトゥランを思い切り振ったって聞いて、どんな子なのか気になったんだけど……思ったよりも普通なんだね。もっと型破りな王女なのかと思ったよ」
急に砕けた口調で話し始めたユーランは、落胆しているようにも見えた。
そんな彼とは対照的に、シオンはわずかに口角を上げる。
「コウン王子が大げさに話したのでしょう。きっと皇太子殿下と親しくなりたかったのですね。でももう、私がここに居る必要もないようですし、体調が回復したら帰国させて頂いてもよろしいですね?」
静かにそう尋ねたシオンは驚くほど落ち着いていて、気弱な少年だったかつての面影は少しもなかった。
控えの間から二人の様子を盗み見ていたカナンは、シオンの成長ぶりに思わず目を瞠っていた。
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