第3話 青の都


「見て見て! 砂漠だわ!」


 岩だらけだった荒野は、国境の山から離れるにつれて白っぽい砂漠へと変化した。

 草木は見当たらず、時おり、枯れ草の塊が風に吹かれてコロコロと転がってゆくだけだ。


「すごい……こんな景色を自分の目で見られるなんて!」


 シオンも馬車の窓から身を乗り出して外を眺めている。

 水龍スールン国の使節団がいる場所は比較的平らで、そこには石畳の交易路が敷かれている。しかし、少し遠くに目を向ければ、幾重もの砂山の連なりが見える。

 青い空と白い砂山が織りなす風景は目に眩しいほど美しく、カナンとシオンは初めて見る景色に夢中になった。

 一方で、使節団の中心である二台の馬車は交易路を慎重に進んだ。石畳から外れれば車輪が砂に埋もれて進めなくなるからだ。御者を任された武官は、騎馬の武官たちを恨めしそうに見つめた。



 点在するオアシスを辿りながら旅を続けたカナンたちは、国境を出て五日後、ようやく中間地点である蘭夏ランシァの都に到着した。

 旅の間に体調を崩していたシオンは、ホッとしたのかその日の夜に発熱した。

 最初は軽い風邪だったのだが、慣れない旅や、砂漠特有の気温差と乾燥した空気のせいか、オアシスに泊まる度にユイナが薬湯を煎じて飲ませても、なかなか回復しなかったのだ。


 城の離宮はオアシスの宿とは違って居心地がよかったが、一晩たってもシオンの熱は下がらなかった。

 看病をしていたカナンとユイナは、様子を見にやって来たジィンとナガルを沈鬱な面持ちで迎え入れた。


「ねぇ、今からでもシオンさまを帰国させた方がいいんじゃない? 馬車一台に護衛をつければ……」


「出来る事ならそうしたいが、この城には月紫国ユンシィの護衛兵が滞在している。ここで使節団の半数を国へ返せば不信を招く事になるだろう」


 ジィンが深刻な顔でかぶりを振った。

 彼の言う通り、蘭夏の都には月紫国の武官が滞在している。彼らはカナン王女に謁見を申し込んで来たが、王女の体調を理由にジィンが断ったのだ。


「しかし、あまり不調が長引くと、蘭夏の医師を寄越よこされてしまうかも知れません。万が一王女が────」


「だいじょうぶだよ……こんな風邪、すぐ治るから」

 ナガルの言葉を、シオンの掠れ声が遮った。

「自分の体調くらいわかるよ。明日もう一日だけ休養させてくれれば、明後日あさってには必ず出発できるから」


 シオンがあまりにも必死に言うので、カナンたちは黙って引き下がるしかなかった。


〇     〇


「はぁ~」

 湖の畔に座り込み、カナンは青い空をぼんやりと見つめた。

 ユイナから少し休むように言われてシオンの部屋を出たものの、とても部屋へ戻る気にはなれず、外の空気を吸おうとして、庭から湖の畔まで来てしまったのだ。


 蘭夏の都は、この湖を中心に造られた都だ。

 大きな湖の周りに緑地が広がり、その緑地を砂漠から守るように町が囲んでいる。

 旧王城である領主の城だけは例外で、湖に近い緑地の中に建っている。カナンたちが宿泊している離宮もそうだ。


 かつて、ここは「青の都」と呼ばれていたそうだ。

 青い湖はもちろん、都の建築物を彩る美しい青タイルが遠くからも良く見えたからだ。日干し煉瓦を積んだだけの四角い庶民の家でさえ、戸口や窓などには青タイルを使っている。

 青タイルはこの都のシンボルであり住民の誇りなのだ。


 普段のカナンであれば、きっと都見物に出かけただろうが、今はそんな事を考える余裕もない。ぼんやりしていても、頭に浮かぶのはシオンのことばかりだ。


(あんな辛そうな顔で強がるなんて……)


 いくら健康になったと言っても、あの弱々しい姿を見れば誰だって心配する。

そもそも、王都を出たことのないシオンが異国へ行くなんて無謀だったのだ。

 手に触れた小石を、カナンは湖に投げ込んだ。ぽちゃん、というささやかな音を聞きつけたのか、背後からジィンの声がした。


「ハルノ! こんな所にいたのか。一人で勝手に出歩くなと言っただろう! ナガルが心配して探していたぞ!」


 頭ごなしに怒られてカチンときたが、ここは異国だ。カナンの身分は侍女見習いだが、観察眼のある者が見れば、王女シオンに似ていることがバレてしまう。ジィンが怒るのも無理はないのだ。

 カナンはすぐさま立ち上がり、ジィンに向かって頭を下げた。


「すみませんでした。すぐに戻ります!」

「王女様が心配なのはわかるが、今は信じて待つほかない」


 ついさっき怒鳴った事など忘れたように、ジィンが優しい言葉をかけてくる。

 彼は普段からシオンには優しく接するが、カナンには一度もこんな言葉をかけてくれた事はない。

 カナンはゆっくりと顔を上げた。そして、ジィンの顔をまじまじと見つめた。

 恐らく彼も、昨夜は一睡もしていないのだろう。艶やかな黒髪は一部の隙も無く首の後ろで結んでいるが、目元にはわずかに疲れが見える。


「ねぇ、ジィンさまは、どうしてこんな無茶を許したの? あなたなら即座に却下すると思ったのに」


 シオン本人が招待されたのならともかく、カナンの身代わりで月紫国へ行くなど、ジィンが許すとは思えない。

 カナンが疑問を口にすると、ジィンは一瞬押し黙ってから、静かに嘆息した。


「私だって、止められるものなら止めたかったさ。だが……おまえが南部へ帰ってからのあの方は、以前にも増して塞ぎ込むようになったんだ。口にするのはおまえの心配ばかり。唯一の楽しみは、おまえからの手紙だけだった。そんな状態で、おまえ一人を月紫国へ向かわせたらどうなる? きっと心配するあまり食事も出来ずに衰弱してしまっただろう。そんな事は出来なかった……」


 なるほど、とカナンは納得した。

 シオンを思うあまり、側近たちは強く反対出来なかったらしい。


「どうして、あれから一度も王都に来なかった? あの方は、ずっとおまえを待っていたんだぞ」

「それは……こっちにも色々あったのよ」


 問い詰めていたはずが逆に問い詰められて、カナンはジィンから視線を逸らした。


「おまえに結婚話がたくさん来たことは知っている。断るのが大変だったらしいな。それで止む無く王家との交流を避ける事にしたのだと、ナガルから聞いた」


「だったらどうして、彼の心配を取り除いてあげなかったの? あなたが一緒になって心配するから、彼が余計に心配するんじゃない?」


 国境の砦で話した時、シオンは何度もジィンを引き合いに出した。カナンを心配しているのは自分だけではないと。


「しかし、おまえの結婚話は本当に問題なのだ。相手によっては、王家に波乱の種を蒔く事にもなりかねない」

「そんな話は、今はどうでも良いでしょ?」

「いや、どうでも良くはないのだ」


 話を元に戻そうとするカナンを、ジィンは珍しく静かに受け止めた。そして、憂いを帯びた表情でじっと見つめて来る。


「……この先こんな話をする時間はないだろう。いい機会だから冷静に聞いてくれ。  王家の邪魔にならず、あの方の為にもなるおまえの結婚相手は誰なのか。私はこの一年、ずっと考えて来た。その結果、一番都合が良いと思われる男は、私しかいなかった。身分も、年齢的なつり合いも悪くない。私と結婚すれば、あの方はいつでもおまえに会えるし、おまえもあの方を支えることが出来る。何もかも上手くいくと思わないか?」


「は?」

 カナンはポカンと口を開けた。


 シオンの話が、いつの間にかカナンの結婚話になっている。しかも、犬猿の仲を互いに認めているはずのジィンと────。

 カナンが固まっていると、ジィンが眉をひそめた。


「聞いているのか? なるべく早くおまえの養父と連絡を取り、帰国後すぐに婚約を発表すれば、今後おまえは結婚話に煩わされることは無くなる。万が一、月紫国から縁談が来ても防げるだろう」


「本気で言ってるんですか?」

「当り前だ。私がこんな冗談を言うと思うのか?」


 聞き返されたことが不満なのか、ジィンの形の良い眉がピクピクしている。

 これは恐らく、契約結婚的な話だ。

 シオンの為なら、彼は大嫌いなカナンと結婚するくらい苦ではないのだろう。

 しかし、カナンは嫌だった。反りが合わない相手と一生を共にするなんて、冗談ではない。


「ねぇ、ジィンさまは本当にそれでいいの? いくら彼のためでも、嫌いな相手と結婚出来る? あたしは嫌だな。結婚するなら好きな人としたい!」


 カナンがそう言うと、今度はジィンがポカンと口を開けた。

 彼のこんな顔は見たことがなくて面白かったが、今はそんなつまらない事で喜んでいる場合ではない。


「あたしとあなたじゃ、毎日喧嘩ばかりになるわ。そんな姿を見て、彼は本当に喜ぶかしら? だからね、他の方法を考えようよ!」

「は?」

「大丈夫だよ。きっと、何か良い方法が必ずあるって! ね?」


 カナンはにっこり笑って、ジィンに方向転換を要求した。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る